三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【2042】お初です 弥勒成聖 2005/11/5(土) 20:16 教えて
┣ 【2067】Re:諸葛亮の評価 清岡美津夫 2005/11/18(金) 12:10 ひと言
┃┗ 【2068】Re:諸葛亮の評価 弥勒成聖 2005/11/19(土) 13:38 感謝♪
┣ 【2132】Re:お初です 魯粛 2005/12/25(日) 19:07
┃┗ 【2136】Re:お初です 清岡美津夫 2005/12/31(土) 16:51 ひと言
┃┗ 【2141】補足で失礼します。 そうとく 2006/1/1(日) 21:52
┃┗ 【2153】Re:補足で失礼します。 弥勒成聖 2006/1/7(土) 22:59
┗ 【2368】Re:お初です チャート 2006/7/4(火) 22:31
┗ 【2382】Re:お初です 陳平 2006/7/12(水) 13:36 お答え
┗ 【2383】Re:お初です 海月 2006/7/12(水) 17:45
┗ 【2384】Re:お初です 陳平 2006/7/12(水) 21:18

【2042】お初です
教えて  弥勒成聖  - 2005/11/5(土) 20:16 -

引用なし
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   初めまして、今日から参加させて頂きます弥勒成聖と申します。^0^以後宜しくお願いします。早速皆さんにお聞きしたいのですが、諸葛亮孔明は昔から著名な歴史家から様々な評価をされてきました。では皆さんは諸葛亮をどの様に評価しますか?
僕は優れた用兵家であり政治家だったと考えますがいかがでしょう?(いきなり長文ですみません)

【2067】Re:諸葛亮の評価
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/11/18(金) 12:10 -

引用なし
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   どうもすでに何回かやりとりしてるのですが、改めて初めまして。
タイトルは書き込み内容に関係することの方が読まれやすいですよ。
もうすっかり下がっちゃったので、とりあえず上げておきます。
諸葛亮への評価は三国志が書かれたときから賛否両論のような気がしますので一旦、書こうとするとかなり本腰を入れて書かないといけないと思われているかもしれませんね。それもあってレスがつきにくいかと。

【2068】Re:諸葛亮の評価
感謝♪  弥勒成聖  - 2005/11/19(土) 13:38 -

引用なし
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   こんにちは清岡殿。先週お世話になった成聖です。
わざわざ上げて下さりありがとうございます。
とても参考になりました。^^

【2132】Re:お初です
 魯粛  - 2005/12/25(日) 19:07 -

引用なし
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   僕は孔明をあまり高く評価しません。
政治的には高い評価を僕は与えます。
しかし軍事的才能はあまり高く評価できません。
赤壁の戦いでは、演義では十万本の矢を集めたのは孔明ですが、正史では、10万本の矢を集めたのは周愉です。
それに、北伐では、(第一次北伐〜第六次北伐)は全て失敗に終わっています。
第一次北伐は、馬しょくが街亭で大敗北をしました。
これは先帝(劉備)の遺言「馬しょくを重く用いるな」と言う遺言に背いたからと思います。
これは明らかに人を見る目が無いと思います。
第二次北伐では陳そう攻略に失敗しました。
その攻撃時に、大規模な攻城兵器を使いましたが、何とその兵器をもって帰ろうとしたのです。
後の第三〜第五次北伐は全く話になりません。
それに最後の第六次北伐も全く駄目ですね。
軍師は天文観測にも優れているはずですから、孔明は自分の寿命を痛感しているはずです。
だからやはり孔明は軍事才能は高く評価できません。
実際演義は、正史を一般化し、庶民に読みやすくしたものですので、孔明や劉備の人間像が、豊かに美化されたものと僕は思います。
ちなみに僕が高く評価しているのは趙雲です。
文武両道で優れた武将と思います。
しかしその趙雲も歳を取ると、猪武者っぽくなっていきます。
やはりどの人間も歳を取ると能力は小さくなっていくものです。
だから孔明はやはり一介の政治家タイプと思います。
長すぎてすいません。
ではまた会えたら何処かで会いましょう。
さようなら〜。

【2136】Re:お初です
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2005/12/31(土) 16:51 -

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   どうも初めまして。
本筋とはあまり関係のないささいなことなんですが、勘違いされる方が現れるかもしれないので一応、指摘しておきます。

▼魯粛さん:
>赤壁の戦いでは、演義では十万本の矢を集めたのは孔明ですが、正史では、10万本の矢を集めたのは周愉です。

周瑜は十万本の矢を集めたりはしません。

【2141】補足で失礼します。
 そうとく WEB  - 2006/1/1(日) 21:52 -

引用なし
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   ちょっと愛のある補足がしたい気がして、書込みます。
(この補足が間違ってるとえらいことですが(笑))
魯粛さんが話しの元ネタにしている赤壁で孔明が集めた十万本の矢の、
さらに元になった話は呉書呉主伝の注に引く魏略の記事に見えます。

ただし、曹操が濡須口に攻めてきた建安十八年(213年)のことですから赤壁の戦いとは場所も時間も全然異なっています。
記事の内容は、対陣が一か月続き、孫権自身が視察に舟を出した際、敵に発見され大量の矢を浴びた。矢を舟の片方にばかり浴びたため、舟が転覆しそうになったが、孫権は舟を反転させ、反対側にも矢を受け均衡を保ったという話。

少なくとも僕の知る限りでは、清岡様のおっしゃられるように、三国志中で周瑜が十万本の矢を集めたことはないと思います。しかしそのエピソードの元はありましたというお話です。

【2153】Re:補足で失礼します。
 弥勒成聖  - 2006/1/7(土) 22:59 -

引用なし
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   お久しぶりです。
そうですかぁ10万本の矢の元の話が有ったんですね〜とても勉強になります。
久しぶりにサポ板を覗いたらこんなに投稿が有った事に今とても感激してます。
僕のスレに投稿してくれた皆さん本当にありがとうございます。^^

【2368】Re:お初です
 チャート  - 2006/7/4(火) 22:31 -

引用なし
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   自分的には、                    知力や采配などよりも孔明という人物を評価します!

【2382】Re:お初です
お答え  陳平  - 2006/7/12(水) 13:36 -

引用なし
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   ▼チャートさん:
>自分的には、                    知力や采配などよりも孔明という人物を評価します!

初めまして。陳平です。
さっそくですが、孔明の軍事的才能について批判されている方がいますので私的な補足をさせていただきます。


まず趙雲が猪武者といわれますが、ガイテイでの戦いで被害が最小限に食いとどまらせたのは趙雲です。
また孔明を仲間にしてからの業績は膨大なものであり、もっとも役立った武将として世界的にも上位にはいります。

また第一次北伐のさい、天水を即落としています。あと人を見る目がないというのは孔明があせっていたからです。彼は自分の後継者となるものが欲しく、蜀の人材不足の中頭がよかった「バショクを選びました。
また先輩で、五虎将軍で最後の生き残りである「趙雲」も年老いており中心となる人物は「ギエン」だけでした。では何故選ばなかったか。それはですね、孔明は昔からギエンに「裏切りの相がある」と言い続けてきました。ギエンが仲間になった時も首をはねようとしました。このことから、ギエンに攻略をまかせ長安を落とせばギエンの勢力は大きくなります。もし裏切ったら?
こういうことでしょう。

またチンソウを攻め落とせなかったのは敵将カクショウが良将であり、頭も切れる人物であったためです。カクショウの戦術は1000年以上たった日本でも、有名な武将がマネしています。


なおその後の北伐では、名将チョウコウを殺しましたし、諸葛亮のせいで負けた戦もありません。
最後の第六次北伐のさい有名な言葉があります
「死せる孔明 生ける仲達を走らす」 と
さらに、シバイが死んだ後の蜀軍の完璧な布陣を見て
「かれほどの天才がこの世にまたと生まれたもうか」 と。
上の文、言った場所違うかもしれませんけど、どこかで言いました。

【2383】Re:お初です
 海月  - 2006/7/12(水) 17:45 -

引用なし
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    陳平さんのおっしゃるのは、三国演義の孔明ですね。多分。
 史実の孔明の軍事的才能はやはり二流だと、私も思います。

 魏延と孔明が仲が悪かったのは考え方の相違だと思います。職業軍人と政治家の対立というのはしばしばあることです。
 両者は考え方に違いはあったもののそれなりの信頼関係はあったと思われます。
 魏延は漢中という重要拠点を長年守り続け、孔明もそれを認めていました。

 仲達と孔明ですが、仲達が孔明を恐れたのはパフォーマンスと思います。
 仲達には野心があり、それを実現するためには三国鼎立状態が長続きしてほしかったのでしょう。そのために孔明を大きく見せて「蜀は手ごわい」という印象を魏国内にうえつけたような気がします。
 まあ、正史をきっちり読んだわけじゃないので、想像ですが。

 孔明は負け戦はないかもしれないけど、勝ち戦もありません、はっきり言って。
 魏(仲達)ははじめっから引き分け狙いですから、孔明は仲達の手の内で遊ばれていた観もあります。

 孔明びいきの人には申し訳ないことですが、演義中の孔明や関羽はかなりヒーロー化しています。それはそれで、読み物としては楽しいのですけど。

 乱筆乱文にて失礼しました

【2384】Re:お初です
 陳平  - 2006/7/12(水) 21:18 -

引用なし
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   ▼海月さん:
> 陳平さんのおっしゃるのは、三国演義の孔明ですね。多分。
> 史実の孔明の軍事的才能はやはり二流だと、私も思います。
>
> 魏延と孔明が仲が悪かったのは考え方の相違だと思います。職業軍人と政治家の対立というのはしばしばあることです。
> 両者は考え方に違いはあったもののそれなりの信頼関係はあったと思われます。
> 魏延は漢中という重要拠点を長年守り続け、孔明もそれを認めていました。
>
> 仲達と孔明ですが、仲達が孔明を恐れたのはパフォーマンスと思います。
> 仲達には野心があり、それを実現するためには三国鼎立状態が長続きしてほしかったのでしょう。そのために孔明を大きく見せて「蜀は手ごわい」という印象を魏国内にうえつけたような気がします。
> まあ、正史をきっちり読んだわけじゃないので、想像ですが。
>
> 孔明は負け戦はないかもしれないけど、勝ち戦もありません、はっきり言って。
> 魏(仲達)ははじめっから引き分け狙いですから、孔明は仲達の手の内で遊ばれていた観もあります。
>
> 孔明びいきの人には申し訳ないことですが、演義中の孔明や関羽はかなりヒーロー化しています。それはそれで、読み物としては楽しいのですけど。
>
> 乱筆乱文にて失礼しました

げ、すみません。先ほど私が書いた文の最後あたりに、シバイが死んだと書いてしまいました、諸葛亮の間違いです。
後私が書いたのは少々大げさかもしれませんが、正史のことです。ギエンとショカツリョウの中は、ギエンが提出した作戦を諸葛亮が却下したため「臆病だ」とたびたび言っていたことがあります。
あとギエンが仲間になった時首をきられそうになったというのは、もしかしたら演義かもしれません。

確かに演義のほうは蜀びいきな書き方ですが関羽の忠義心は、流石だと思いますよ。

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