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こんにちは。
>>こりゃホウ涓の最期とおんなじですがな。
>張コウの進軍は、やはりそれが即ち死を意味していたのでしょうか。
>だから諸葛亮も、彼の死を予言するような事を記した、と感じました。
実はこの話、孫子の子孫である孫ピンがホウ涓を殺したときと同じ筋立てなんですよ。どうも登場人物を入れ替えただけでストーリーを盗用したんじゃないか、と…。それに、このとき諸葛亮は作戦がうまくいってなかったから、こんなことする余裕はなかったはずなんですね。張コウ一人殺したところで北伐作戦が成功するわけじゃないので。
【私説十八史略】http://plaza26.mbn.or.jp/~pata/s18_013.html
>張コウが生前、曹爽らのように国内を乱すような行いをしたという話は書かれていませんでしたし(そもそも内政にはほとんど触れていない?)対蜀に対しても献身したという風にしか書かれていませんでした。
>やはり、もし司馬懿が張コウを殺すために進軍命令を出したと考える場合、その理由は今回書いて下さった「資治通鑑に注釈を施した胡三省の解釈」と同じように、司馬懿の私情、私怨によったものと考えるしかないのでしょうか。
司馬懿は冷徹な軍略家のように見えて、意外と私情をはさむことも多いようです。予言書に「牛氏が馬氏の後を継ぐ」とあったので部下の牛金を毒殺したり、杜恕が司馬懿の弟を狂ったように身勝手と批判したので仲が悪くなり、おかげで杜恕の子杜預は出世が遅れたりしました。でも張コウに嫉妬したからといって戦場で恨みを晴らすようなことはしなかったと思うなぁ。
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