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地方官の場合は,原則三年単位,場合によっては五年単位になります。
ですので,三年・六年・九年であったり,五年・十年と言った具合です。どちらかというと,地方官は三の倍数,中央の官は五年の倍数でしょうか。ただし中央の官は六百石以下のケースが多いかと思います。なお六百石以下の場合,正除されるまで,試用期間があります。官によって違いますが,半年か一年です。
(前漢は八百石がありますが,後漢以降は)比千石以上の,郡守県令を除いては,期間はあってないようなものです。
地方官で言うなら,まともに機能していれば,原則は徹底されるでしょう。ただ前漢と後漢以降では,運用実態に変化が生じます。特に太守と県令(ないしは県長)と長史・功曹等の関係が変化します。後漢以降ほど,実質的な統治者が中央から派遣される人ではなく,地元の有力者から選ばれる(辟召)人へとかわっていきますので。この点は,東晋次先生あたりがよく研究しています(是非は別として)。
ちなみに,三年・五年のルールは,この周辺の時代の史料には出てきませんが近世以降の史料には頻出するので,このルールは中国の官僚制の中で割合継承されていたものと考えてよいでしょう。
刺史については行政官化とか郡県と特段意味合いがかわらなくなったりという経緯があって,隋以降では州(漢代でいう県)名が郡名を帯することもあるように,後漢以降,あんまり制度的に厳密な意味をもたなくなったりもします。なので原則がどこまで徹底されていたかは,時代を下るごとに怪しくなります。
あとは年齢的なものも関係するでしょう。ある程度の名望があって,割と年をとってから官に就く場合などは,いろいろ制度的な抜け道があって,この原則が通用しない場合があります。
孝廉郎の振り分けなんかも,制度上は五十以上か以下かで変わってきます。
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