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>> 「楊昴は、チベット族の可能性がある」>
>また後の時代になりますが、『晋書』穆帝紀に「武都のテイ王の楊初を征南将軍にした
>武都の楊氏
征南将軍は、蛮族の就く官職としてはかなり高いですね。(八王の乱以降の事例かな?)
騎督とか、部隊長クラスの官職だったら、西晋の盛時から蛮族たちも任官しているようです。
>ただ、張魯と関連の深かった少数民族はむしろ巴夷(板楯蛮)の方ですし、張魯が武都郡に支配力を及ぼしていたとする記録は見かけないので(曹操が武都経由で張魯を滅ぼそうとしたときテイ人が立ちはだかったという記録はあります)、どうも信じ難いように思います。
漢中というと、後漢時代に羌族が大挙して、郡府に押し寄せてきたところですね。
ということは、テイ族の例ではないですが、
漢中府にも楊氏の支族が住んでいて、仕官していたとか、ネットワークをもっていたとも考えられますね。
あるいは、張魯が武都に圧力をかけていたとしたら、(今はまだ仮定の話ですが)
その人質が漢中府に住まいしていたとか。
想像の圏内ですけどw
あとテイと巴の民族の関係ってのがよく分からないんですよね。
西晋末葉には、テイと巴が混ざった集団が陝西から四川に南下したみたいですけど。(五胡十六国の「成」国の李氏政権の基盤集団のことです。)
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