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こんにちは。
>>楊氏については分かりませんが、張角や張魯が張氏だったことから、黄老道を奉ずる者が彼らにならって張氏を称したというのは聞いたことがあります。
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> それは初耳です。確か張燕伝に「張雷公」「張飛燕」「張白騎」といった人物の記述がありましたが、彼らが張姓を名乗ったのはそのことからなのでしょうか。
張雷公は分かりませんが、張飛燕は張牛角からもらった姓なので直接は関係なさそうです。張白騎は本名を張晟といったらしく、これも最初から張姓だったような感じがします。張氏が増えるのはこれより少しあとの時代になるようですね。
さきほど検索した結果です。
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200604/daodu/zhuanwen60.htm
http://lovelovedog.cool.ne.jp/umaatama/947859257bull-kakei.html
> 字形は、「昴」は素直に頷けます。「白」は下の部分を書き忘れたとすれば納得できます。
> 音ですが、私が調べたところ
> 白…bai
> 帛…bo
> 昴…ang
> のようです。「昴」は他とは違う気もします。私の結論ですが、楊白と楊帛は同一と思えますが、楊昴は少し引っかかります。
古代はどうだったか分かりませんが、『康煕字典』によると帛は白と同音であると『集韻』『韻会』に書かれているそうです。彼(ら)の名がどのような史書に記載されているかを調べてみると次の通りでした。
楊昂:魏志武帝紀 同楊阜伝
楊帛:蜀志霍峻伝
楊白:典略(蜀志馬超伝注)
霍峻伝は楊帛が活躍した蜀で書かれた史書なのでまずまず信頼性が高く、『典略』は魏で書かれた史書でやや信頼性が落ちます。それに『典略』の著者(魚豢)はほかでも当事者から聞きだした証言を著作に盛り込んでいることが伺われるので(隗禧・鮑出)、証言者が楊帛と言ったのを耳で聞いて楊白と書いた可能性も考えられます。しかし楊帛表記を是とした場合、武帝紀と楊阜伝がそろって誤写したという少し考えにくいことになってしまいます。やはりそう簡単には解決できないようです。
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