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こんにちは。
>旧軍閥ということは、
>次第に私兵集団を解体したり、他に振り分けたりしたんですね。
>曹氏の直属軍にしたんでしょうか?
いまひとつ『三国志』から読みとるのは難しいですが、顕著な例として李典が挙げられるでしょうか。
同族と思われる李進という人が呂布軍団を追放してのけるほど李氏は大勢力でしたが、
ギョウが陥落したとき、李典は一族一万数千人を本拠地から移住させてますね。
まあ李典の場合は特殊なケースかも知れません。
曹氏の「家兵」というより、官の支配下に置いたということでしょう。
>でも結局は、個人的能力より、名声を得て名士になって高級官僚になるのにも、
>家柄になってしまうんでしょうか?
貧しい家の出身で、豪族から憎まれながら出世した人もいたようです。
『王朗伝』の注に引く『魏略』に「薛夏伝」があります。
漢陽郡の四豪族(姜・閻・任・趙)に楯突いたため故郷を追われ、曹操に匿われたとのこと。
その子孫が貴族化したかどうかは分かりませんが、
もしそうなってしまったら、薛夏の立身出世の美談も形無しですね。
>すると李通の子孫には、爵位だけを与えて、実権を与えなかったんでしょうか?
>だけど、家門に関係なく貴族(?)になれたのは、
>漢代のころのことを考えると、特異と言うべきかな……。
能力ある者には職権を、功績ある者には食邑をと『三国志』のあちこちにあります。
李通の子孫は食邑を賜ると同時に職権も与えられているんです。
ほかに子孫が職権を与えられた部将は楽進・臧霸といったあたり。
文官では桓階・陳羣・鍾ヨウ・華キン・王朗・程イク・賈ク・郭嘉あたり。
そのほかは食邑数百戸と小さな官職が与えられた程度で没落しているように思えます。
調べたわけじゃないので断言はできないのですが、
やはりもともと名士豪族だった人物の子孫が貴族化しているという印象があります。
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