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はじめまして、白崎ゆきとさん。
たくさんの質問に、すべて答えてくださいまして、ありがとうございます。
>「中原の豪族」がどれぐらいのレベルの豪族を指してるのかと、
>「魏晋の功臣」が「魏晋の上級官吏」のことか「創業の功臣」のことかで、
>多少はなしが変わってくるんですが、
>基本的には両方から貴族が輩出されたってことになると思いますよ。
曹操直属の豪族と言えば、李典、許チョ、張シュウ、張燕などを、
名士と言えば、荀イク、荀攸、陳グン、鍾ヨウ、華キンなどを、思い浮かべますが、
実際に国家を運営してたのは、名士たちですよね?
豪族そのものが、貴族になったイメージがないんですよ。
大体は地方豪族が、地方官(のちに中正官)を通して、
名士を中央政府に送り込んで彼らをパイプ役にし、
既得権益を守ったり、利権の増大を図っていたような感じがします。
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曹操の求賢令、さらに郷挙里選から九品官人法に切り替わるんですが、
当初の目的であった能力至上主義は消え去って結局、
地方官から中正官に、豪族から魏晋の功臣に代わっただけなんじゃないか、と。
豪族と名士を分けて考えるのは、間違いでしょうか?
>当時の豪族たちは競って荘園をつくったのですが、
>そこの小作人たちに武器を持たせれば立派な私兵なんですよ。
>というか、呉の豪族もそういうものですね。
>領主化傾向は、後進地域である江南や辺境部ではつよかったのですが、
>結局は頭打ちになっちゃいます。
>これが中国中世史の大きな特徴ですね。
たいして軍事力を持たない名士たちがどうやって地方豪族を抑えてきたのか、
また曹操直属の豪族に不満がなかったのか、
そういったことが知りたくて、質問をしてしまいました。
特に、曹丕は好き嫌いが激しく、けっこう自分勝手な人事をして、
地方反乱とか起きなかったのかなぁ、とか思ったりしています。
>異民族なんてその辺にゴロゴロいましたから、
>ゴハンなどと引き替えに使役したことは結構あったと思いますよ。
>ちなみに、国レベルでそれをやっていたのが曹操とかで、
>便利使いしすぎて収拾がつかなくなったのが八王の乱です。
>うーん、現代は民族を強烈に意識する時代なんですが、
>そのような信仰が生まれたのは一昔前のヨーロッパなんですよ。
>三国時代に人種差別がまったくなかったわけではありませんが、
>民族という概念が希薄ですからそれによる差別も当然徹底されません。
>それ以前に、この時代だと漢民族という概念そのものが、
>あるようなないようなって状態ですからねぇ。
そうすると、居住地が違うというだけで、
一緒にいるときは、異民族も漢民族とほとんど同化してたんですね。
五胡十六国の劉淵や石勒などは、民族の自立よりも、
単純に中国全土を制覇することを考えていたんでしょうか?
のちに匈奴の劉聡が、西晋の皇帝を辱めたりしますよね。
あれも個人的嗜好なのかな?
>お薦めなのは、講談社学術文庫の川勝義雄『魏晋南北朝』です。
>これは30年前に刊行された『中国の歴史』シリーズの第三巻を文庫化したもので、
>今日でも名著との誉れが高い非常にすぐれた概説書です。
>
>自分も先日の文庫化で念願かなって手に入れたクチですが、
>想像以上に良い本だったのでいたく感動しております。
>
>ご質問にあった貴族の有り様については、この本でおおよそ掴めますよ。
ご紹介、ありがとうございます。
あと、同じ川勝義雄著の『六朝貴族制社会の研究』(岩波書店)というのが
ありましたので、今度併せて図書館から借りてみて、面白かったら買います。
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