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最近、あれこれ忙しいのでなかなか書き込めなくて申し訳ないです。
ちょっと史料を漁る余裕がないので、うろ覚えのいい加減な知識だけでレスしちゃいますがご容赦を。
■ ますたさん
> 呉書を読んでいるとしょっちゅうお目にかかる不服従民の山越、彼らはどうしてかたくなに朝廷に逆らい続けたんでしょうか?
はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
要は、山越から見た孫呉朝廷(というか漢人勢力)というのは侵略者以外の何者でもないからですよ。
後漢は江南への漢族の進出が顕著になった時代で、当時の江南は漢人の植民地のようなものです。
そのような世界ですから、漢族の山越に対しての過酷な搾取など当たり前。
山越を捕らえて奴隷とし酷使することも、かなり大規模にやっていたようですね。
かの陸遜も丹楊で起きた山越の反乱を平定した際に、その捕虜を手勢に加えちゃったりしてます。
■ 清岡さん
> 山越のルーツ
厳密には不明でしょうが、この一帯に古くからいる「越」の一種と考えるのが一般的かと。
罪を犯し山中に逃げ込んだ漢族とする説もあるのか、あったのかしますが、
すべての山越がそうだとは考えにくいですね。
現在ですら江南の山奥には、いわゆる少数民族が暮らしているわけですからねぇ。
> 意外に「山越」って単語は三国志に集中してますね。
山越なる言葉は、後漢代に現れ唐代まで確認できるらしいのですが、
もっともよく出てくるのはやはり三国時代だそうです。
つまりは、江南各地に進出する漢族と、
それに抵抗する非漢族の原住民との攻防がもっとも激しかった時代だということでしょうね。
これらとはまったくの別件なのですけれど、
即座にレスを書き上げられなくて、結局タイミングを逃してしまうことがあるので、
某所でいうところの「sage」機能を加えていただけると助かるのですが……。
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