三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【362】質問です ますた 2003/11/5(水) 15:09

【364】山越のルーツはなんでしょう? 清岡美津夫 2003/11/5(水) 22:51 教えて
┣ 【365】Re:山越のルーツはなんでしょう? 白崎ゆきと 2003/11/6(木) 2:02 マニアック!
┃┣ 【366】「sage」機能 清岡美津夫 2003/11/6(木) 12:09 管理系
┃┣ 【373】そうなんですか! ますた 2003/11/8(土) 1:09 感謝♪
┃┃┣ 【376】Re:そうなんですか! 孫ぽこ 2003/11/8(土) 17:20 ひと言
┃┃┗ 【411】ついでに・・・ ますた 2003/11/17(月) 12:37 教えて
┃┃┣ 【418】Re:ついでに・・・ 孫ぽこ 2003/11/18(火) 19:03
┃┃┗ 【524】Re:反省 白崎ゆきと 2003/12/20(土) 23:31 ひと言
┃┗ 【415】Re:山越のルーツはなんでしょう? 清岡美津夫 2003/11/18(火) 2:16 ひと言
┗ 【474】Re:山越のルーツはなんでしょう? さんすけ 2003/12/3(水) 10:19 ひと言
┗ 【475】もとは越人 清岡美津夫 2003/12/3(水) 23:54 感謝♪

【364】山越のルーツはなんでしょう?
教えて  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/11/5(水) 22:51 -

引用なし
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   とりあえず、山越のルーツを調べたら、ヒントぐらいわかるかなぁ、と思って、「台灣中央研究院」の學術資源→漢籍電子文獻で正史を調べたら、意外に「山越」って単語は三国志に集中してますね。それ以前は後漢書の本紀で出てくるぐらいで。
(後漢書の部分:http://cte.main.jp/sunshi/w/w030201.html#11

何か途中で呼び名が変わったのか(前は百越? 違うかなぁ…)、あるいは呉会の地の方言なのか、後漢末から知られるようになったのか、どれでしょうね。
前者二つで別名があれば、まだ調べやすいんですけど……

【365】Re:山越のルーツはなんでしょう?
マニアック!  白崎ゆきと E-MAIL  - 2003/11/6(木) 2:02 -

引用なし
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   最近、あれこれ忙しいのでなかなか書き込めなくて申し訳ないです。
ちょっと史料を漁る余裕がないので、うろ覚えのいい加減な知識だけでレスしちゃいますがご容赦を。

■ ますたさん
> 呉書を読んでいるとしょっちゅうお目にかかる不服従民の山越、彼らはどうしてかたくなに朝廷に逆らい続けたんでしょうか?
はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
要は、山越から見た孫呉朝廷(というか漢人勢力)というのは侵略者以外の何者でもないからですよ。
後漢は江南への漢族の進出が顕著になった時代で、当時の江南は漢人の植民地のようなものです。
そのような世界ですから、漢族の山越に対しての過酷な搾取など当たり前。
山越を捕らえて奴隷とし酷使することも、かなり大規模にやっていたようですね。
かの陸遜も丹楊で起きた山越の反乱を平定した際に、その捕虜を手勢に加えちゃったりしてます。

■ 清岡さん
> 山越のルーツ
厳密には不明でしょうが、この一帯に古くからいる「越」の一種と考えるのが一般的かと。
罪を犯し山中に逃げ込んだ漢族とする説もあるのか、あったのかしますが、
すべての山越がそうだとは考えにくいですね。
現在ですら江南の山奥には、いわゆる少数民族が暮らしているわけですからねぇ。

> 意外に「山越」って単語は三国志に集中してますね。
山越なる言葉は、後漢代に現れ唐代まで確認できるらしいのですが、
もっともよく出てくるのはやはり三国時代だそうです。
つまりは、江南各地に進出する漢族と、
それに抵抗する非漢族の原住民との攻防がもっとも激しかった時代だということでしょうね。

これらとはまったくの別件なのですけれど、
即座にレスを書き上げられなくて、結局タイミングを逃してしまうことがあるので、
某所でいうところの「sage」機能を加えていただけると助かるのですが……。

【366】「sage」機能
管理系  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/11/6(木) 12:09 -

引用なし
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   >これらとはまったくの別件なのですけれど、
>即座にレスを書き上げられなくて、結局タイミングを逃してしまうことがあるので、
>某所でいうところの「sage」機能を加えていただけると助かるのですが……。

えーえー、私も即座にレスできないことが多いです。しかも、複数にまたがっていることが多くて、そのうち、一つだけしかできなかったなんてことはたびたびでして(汗)

暫定のルールにある「元の記事がいくら古くても返信(通称、レス)しても良いです。」は「ツリーがあがっても良いですよ」ってのを内包してそうですが、一つの書き込みでツリーがあがるのは気が引けるって方は多そうですね。
というわけで、「sage」機能がつけられるか、このCGIのサイト(右下の「(SS)C-BOARD」という文字をクリックしていけます)に見に行ってみると、どうやら、アップグレードをすると、その機能がつくようでしたので、アップグレードしてみました。
まだデザイン面でコントロールできてないんですが、「sage」機能は使えます。
この機能を使うには、投稿時に投稿欄の右下の「sage」のチェックボックスをチェックしてください。

ご要望、ありがとうございました。
(本編の方はまたの機会にレスしますー)

【373】そうなんですか!
感謝♪  ますた  - 2003/11/8(土) 1:09 -

引用なし
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   どうもありがとうございました!当時漢民族にとって越族などの異民族は、ほとんど人間として見られていなかったってことですかね?(日本で言うところの蝦夷みたいな・・・)
あと重ねて質問になってしまって申し訳ないんですが、「この一帯に古くからいる『越』の一種」というのは、いわゆる「呉越同舟」の「越」と考えていいんですか?
罪人などの漢族を含む・・・と言う記述は呉書の中(たぶん孫権伝だったと思います)にたしかにありました。
<sage>

【376】Re:そうなんですか!
ひと言  孫ぽこ WEB  - 2003/11/8(土) 17:20 -

引用なし
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   ▼ますたさん:
>どうもありがとうございました!当時漢民族にとって越族などの異民族は、ほとんど人間として見られていなかったってことですかね?(日本で言うところの蝦夷みたいな・・・)

人間として見られていたかどうか?は分からないですが、漢・孫呉からすると、彼らを討伐する理由は存在しているようです。つまり、彼らは戸籍として数えられませんから、税を取り立てる事ができません。彼らから税を取り立て、兵として徴兵する。それが漢・孫呉の目的だったようです。

また、反乱を起こして捕らえられれば、兵として戦争にかり出されるのは、この時代いですから当然です。兵力面で不安を抱える孫呉は彼らを兵として補充する事で兵力不足・戸籍不足を補った感も。

>あと重ねて質問になってしまって申し訳ないんですが、「この一帯に古くからいる『越』の一種」というのは、いわゆる「呉越同舟」の「越」と考えていいんですか?

春秋戦国時代の呉・越についてはよく知らないのでなんとも言えないのです(汗)。

>罪人などの漢族を含む・・・と言う記述は呉書の中(たぶん孫権伝だったと思います)にたしかにありました。

確かにありますね。呉書の中には、戦争に負けたり罪を得たりして、山奥に隠れていたという人が何人かいますから、そういう側面も確かにあります。

【411】ついでに・・・
教えて  ますた  - 2003/11/17(月) 12:37 -

引用なし
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   山越の討伐についてなんですが、前にどこかで「山越は本拠地がわからず、すぐに四散してしまうので平地に出てきたところをその都度追い払うしかなかった」という話を聞いたことがあるんですが、実際そのようなかたちだったんでしょうか?
<sage>

【415】Re:山越のルーツはなんでしょう?
ひと言  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/11/18(火) 2:16 -

引用なし
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   返信、ありがとうございます。
うーん、やっぱり、厳密には不明なのですね(まぁ、よくありそうなことですが)
漢人が江南に進出したとき(フロンティア?)にいつの間にか居た存在なんでしょうかね、山越って。

【418】Re:ついでに・・・
 孫ぽこ WEB  - 2003/11/18(火) 19:03 -

引用なし
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   ▼ますたさん:
>山越の討伐についてなんですが、前にどこかで「山越は本拠地がわからず、すぐに四散してしまうので平地に出てきたところをその都度追い払うしかなかった」という話を聞いたことがあるんですが、実際そのようなかたちだったんでしょうか?

これは諸葛恪伝に出てくる記述ですね。
実際どうだったかは断言しかねますが、この時の諸葛恪の山越撲滅政策というのは

1.山越の拠点があると思われる近辺の田畑を一気に収穫してしまう。
2.略奪する食料の宛を無くした山越賊は食う物がなくなる。
3.切羽詰まって平地に降りてきた山越を拘束したり処刑するのではなく、他の県にバラバラに移住させる。

という物でした。この諸葛恪の山越討伐は大きな成果を挙げたようで、詰まるところ、
1.山越を攻撃しても四散した後、また集結。結局元の木阿弥という状態があった。
2.基本的に、山越を如何にして住民として帰化させていくか?という事に力点があった。

という二点は分かります。

【474】Re:山越のルーツはなんでしょう?
ひと言  さんすけ  - 2003/12/3(水) 10:19 -

引用なし
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   ますたさん、はじめまして。
さんすけと申します。
清岡さん、お久しぶりです。

吉川忠夫訓注『後漢書 第2冊 本紀二』p.133を引用しますと、

  丹陽山越賊囲太守陳イン、イン撃破之
  丹陽の山越の賊、太守陳インを囲むも、イン撃ちて之を破る。

とあり、山越に注がなされていて、

  『資治通鑑』の胡三省の注に、「山越は本(も)と亦た越人。山険に依阻し、王  租を納めず。故に山越と曰う」。

とありました。
越人を中心に人が集まってきて、租税を納めない(納められない)山賊みたいなものなんでしょうか?
またなにかありましたら、いずれ。

【475】もとは越人
感謝♪  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2003/12/3(水) 23:54 -

引用なし
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   ▼さんすけさん:
>ますたさん、はじめまして。
>さんすけと申します。
>清岡さん、お久しぶりです。

どもども、お久しぶりです

>吉川忠夫訓注『後漢書 第2冊 本紀二』p.133を引用しますと、
>
>  丹陽山越賊囲太守陳イン、イン撃破之
>  丹陽の山越の賊、太守陳インを囲むも、イン撃ちて之を破る。
>
>とあり、山越に注がなされていて、
>
>  『資治通鑑』の胡三省の注に、「山越は本(も)と亦た越人。山険に依阻し、王  租を納めず。故に山越と曰う」。
>
>とありました。
>越人を中心に人が集まってきて、租税を納めない(納められない)山賊みたいなものなんでしょうか?
>またなにかありましたら、いずれ。


おー、「資治通鑑」の注にそんな情報が……って手元の「資治通鑑」には注がありませんでした(汗)
(「後漢書集解」にも載ってそうですね)
「越人」ってのは越の国(会稽あたり?)の人のことなんでしょうかね。そのうち、税を納めるとかの後漢の制度に、準じようとしない人々なんでしょうかね。
(平原で田畑を耕すなんて習慣がなくて、先祖代々、山で狩りだ、みたいな人たちを想像しました)

【524】Re:反省
ひと言  白崎ゆきと E-MAIL  - 2003/12/20(土) 23:31 -

引用なし
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   いくら何でもレスが遅すぎますねぇ……。

■ ますたさん
> 当時漢民族にとって越族などの異民族は、ほとんど人間として見られていなかったってことですかね?

「人権」という概念が存在しない世界でのことですから、
「家畜」ではなく「奴隷」と呼び、略奪・強姦の対象としていたのなら、
立派に「人」として扱っていたといえなくもないでしょうが、
我々にとっての「人間らしい扱い」からはあまりにかけ離れていますからねぇ。
三国時代というのは、陰惨で酷薄などうしようもない時代ですから、
この類の話には事欠かないわけですが、
どうやら曹魏よりも孫呉の方が状況が酷く、
その孫呉の中でも漢人に対するそれよりも、山越などに対するそれの方が苛烈だったようですね。
もっとも、華北でも江南での山越と同様に、
北方の遊牧民族を対象として似たようなことをやっていたりするわけですが……。

> 「この一帯に古くからいる『越』の一種」というのは、いわゆる「呉越同舟」の「越」と考えていいんですか?

そのものかと問われてしまうと答えられないのですが、近種であるのは間違いないでしょうね。
先史時代にすら広範な人や物、文化の流れが存在していたいたわけですから、
近隣に暮らす民族同士が血縁・文化的に断絶していたとは考えにくいです。
また、山「越」という名も、漢族が山越を越の一種と捉えていたことの証左でしょう。
その上で問題になるのは、越と山越の関係ですが、
直接的な史料がまったく無いハズなので分かっていないと思います。
もう少し分かるとすごく面白いんですけどねぇ。

> 山越の討伐についてなんですが、前にどこかで「山越は本拠地がわからず、すぐに四散してしまうので平地に出てきたところをその都度追い払うしかなかった」という話を聞いたことがあるんですが、実際そのようなかたちだったんでしょうか?

まぁ、そんなもんでしょうね。
現代の日本(とくに太平洋ベルト地帯)に暮らしていると、どうしても都市は面で広がっているものと思いこみがちですが、
そのようなイメージは三国時代の光景を思い浮かべる上では大敵です。

中国は広大な世界ですし、その歴史は春秋以前の都市国家からスタートしていると考えられています。
さらに、後漢あたりの城市の大半は春秋戦国あたりに起源をもつとされているわけで、
三国時代でも中国は点(都市)と線(交通路)の世界なんですよ。
そして、基本的に中央政府は城市しか押さえませんから、その郊外にはあまり支配力が及びません。

そんなわけでますたさんが挙げられたような話は、山越に限らず、盗賊や山賊でもあることなんですよ。
(この手の話は高島先生の『中国の大盗賊』に詳しいです)
確かなことは、孫呉が支配する都市の外には、
孫呉に非協力的な一方、孫呉に刃向かう山越には協力的な人たちがいたってことですね。
それが漢族なのか、山越なのかは分かりませんが。

■ 孫ぽこさん
> 漢・孫呉からすると、彼らを討伐する理由は存在しているようです。つまり、彼らは戸籍として数えられませんから、税を取り立てる事ができません。彼らから税を取り立て、兵として徴兵する。それが漢・孫呉の目的だったようです。

自分は人狩りや搾取が最大の理由であり、主な目的であると考えています。
といっても、そのような論を唱えられた川勝先生などの受け売りに過ぎませんが……。

まず、山越への搾取や拉致を行ったのは何も漢・孫呉といった王朝だけではありませんよね。
呉・会稽などの大姓が似たような所業を行っていた記録があるわけですし。
というわけで、戸籍や税が討伐の目的だったとはしがたいと思います。

また、孫呉の兵卒は平時には屯田を耕作する労働力だったとされます。
孫呉が広範囲に屯田をもうけていたのも確かなことで、
連行された山越がふたたび郷土に帰されたとは考えにくいでしょう。
そういったことを踏まえると、孫呉の目的を徴兵や税の徴収と考えるのは難しいように思います。


> >これらとはまったくの別件なのですけれど、
> >即座にレスを書き上げられなくて、結局タイミングを逃してしまうことがあるので、
> >某所でいうところの「sage」機能を加えていただけると助かるのですが……。
> えーえー、私も即座にレスできないことが多いです。しかも、複数にまたがっていることが多くて、そのうち、一つだけしかできなかったなんてことはたびたびでして(汗) [後略]

即座の対応感謝します。
お陰様でこうやってレスも書けるというものです。

自分は掲示板の生命線は回転率だと思ってますから、
長文や古い話題をぶり返すのには非常に抵抗があるんですよ、実は。
にもかかわらず、タイミングを外した長レスになることが多くて、
結局レスを断念せざるを得ないことが多いので本当に助かります。
<sage>

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