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【2301】当時の北方民族について(実際は雑多な話題) 巫俊(ふしゅん) 2006/4/24(月) 19:56 話題提供
┣ 【2302】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な話... ペテン師 2006/4/25(火) 21:25 ひと言
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┗ 【2304】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な話... goggles 2006/4/28(金) 11:39
┗ 【2322】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な話... 巫俊(ふしゅん) 2006/5/9(火) 16:40 お答え
┗ 【2324】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な話... 巫俊(ふしゅん) 2006/5/9(火) 16:53 ひと言

【2301】当時の北方民族について(実際は雑多な話...
話題提供  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/4/24(月) 19:56 -

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   中国史を振りかえると、3世紀から13世紀までは遊牧民の時代と呼ばれています。
4世紀に南下する匈奴や鮮卑が中国に政権を樹立すると、(五胡十六国)
非漢族の群雄が北中国に割拠する分裂時代が到来し、その様子はまるで袁紹や曹操の陣営のようです。
袁紹や曹操が奴隷として扱っていた匈奴兵や鮮卑兵の子孫が、袁紹や曹操と同じ群雄という立場で政権を樹立するのですから、漢族と非漢族の間で主客の関係が転倒した訳でして、三国時代以降の時代は混迷を極めていますね。

その辺が全国3000万人の三国志ユーザーを抱えながら、三国時代以降の時代に話題が伸び悩む理由なのかもしれません。
三国志ユーザーのために、魏晋南北朝時代を説明しますと、
魏晋南北朝時代は濃縮されたまま還元されていない100%オレンジジュースであると断言できます!!
何言ってるか分からないですね(笑)
魏晋南北朝時代は総計して400年間弱、劉備や曹操がゆうに6回は転生して天下統一戦争を繰り返すだけの時間があるということです(笑)

世間にはあまり紹介されませんが、三国時代以降の時代はちゃんとしたエピソードがあるというのに、三国志レベルの深度で語られることが稀ですから、三国時代のファンが次の時代もと思って概説書なんかに手を出すと、あまりにおおまかなことしか書いてない上に、時代の推移が羅列されていて、困るということが私的な感想でした。

三国志的なエピソードによって時代は変わっていくんじゃないか?
曹操配下の江南担当の陳登が若くして病死したり、
郭嘉の若くして病死したことが赤壁の敗戦をもたらしたとされたり、(このエピソードって演義の由来でしたっけ?)
名声の高い青州刺史ゾウ洪や、陳留太守の張バクではなく、名門から外れた曹操が河南を制したことは、かえって三国時代以降の時代の「番狂わせ」を予言しているかのようです。

それで後漢末〜三国時代の北方民族について、エピソードのような話題を拾っていくと、すんなり以降の時代が理解できるような気がするんですが、何か話題のタネはないでしょうか?
初期の劉備集団も幽州の烏丸兵を従えていたそうですね。

【2302】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な...
ひと言  ペテン師  - 2006/4/25(火) 21:25 -

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   ▼巫俊(ふしゅん)さん:
ごちゃごちゃ書いてるのでややわかりにくいですが、三国志以降の時代に脚光を浴びないのは、それは仕方ないことではないでしょうか。
三国志は長いスパンで群雄として戦いに明け暮れ、義に生き、義に死んだりする人や名士寒門などの成り上がりヒストリーであります。これが人物を輝かせる要因の一つだと思いますが、遊牧民は成り上がる為には親分のみならず親でも遠慮なく殺すという形態なので義を基調とする三国志に対して不義や不孝の象徴であり、中国の儒教の観点から見た場合に民族性の違いから受け入れがたかったのではないでしょうか。呂布が沢山いてボスや親を殺しまくる時代なので…
また、遊牧民は傭兵として群雄内で扱われてはいますが、その後の時代は傭兵から職業軍人の形式となり、漢人は文ばっかりになってしまい、戦闘は遊牧民任せになったのが内陸部まで遊牧民を引き入れることになった要因だと思います。
後世に異民族や蛮などの将軍名が多いのもそのためだと思います。

【2304】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な...
 goggles  - 2006/4/28(金) 11:39 -

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   はじめまして.
中国史だけでなく三国志にも詳しいとはいえない者ですが,最近,三国志からやや離れてモンゴル中心に遊牧民関連の本を読んでいたので反応してみます.
といっても新書や文庫などのお手軽な入門書レベルを4-5冊程度ですが.

確かに三国以降,いわゆる五胡十六国に続くわけですから,
三国の頃にも北方民族を含む非漢族が周辺で覇権を争ったりしていたはずですよね.
(争ってなければ,晋が弱体化したらあっさりと乗り込んで 天下統一できちゃう.)
なので,このあたりの時代で面白いエピソードがあれば,私も知りたいです.
私が読んだのは杉山正明さんの著作ですが,主張がやや偏っている感じなので,他に参考書籍や資料があれば教えていただきたいです.


話がずれますが「東西文化の交流」松田壽男 著では,呉の孫権と南方の民族とのかかわりに触れられていて,ちょっと「おぉ!」と思いました.

【2322】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な...
お答え  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/5/9(火) 16:40 -

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   お返事が大幅に遅れてしまってすいません。

▼gogglesさん:
>中国史だけでなく三国志にも詳しいとはいえない者ですが,最近,三国志からやや離れてモンゴル中心に遊牧民関連の本を読んでいたので反応してみます.
>といっても新書や文庫などのお手軽な入門書レベルを4-5冊程度ですが.

そうですね〜、手にとった本を五冊挙げるとしますと、
―――
杉山正明氏の『モンゴル帝国の興亡』上・下
『万里の長城 攻防三千年史』
『新書東洋史2 世界帝国の形成』 
『新書東洋史3 征服王朝の時代』
『グレートジンバブウェ東南アフリカの歴史世界』
―――
といったジャンルになるでしょうか、私の場合。すべて講談社現代新書です。
杉山本と万里の長城は、遊牧民に関心がある人は必見だと思いますし、
新書東洋史の二冊も中国史のなかの遊牧民の基礎知識を求めるということでしたら、少々読むのに時間はかかりますけど、身につきますからお薦めです。
最後の本はおまけですが、東南アフリカのジンバブエ付近にも草原の遊牧民チャンガミレという覇者がいて、ポルトガル人を追放して国土を統一したというエピソードを知ることができます。

>確かに三国以降,いわゆる五胡十六国に続くわけですから,
>三国の頃にも北方民族を含む非漢族が周辺で覇権を争ったりしていたはずですよね.
>(争ってなければ,晋が弱体化したらあっさりと乗り込んで 天下統一できちゃう.)
>なので,このあたりの時代で面白いエピソードがあれば,私も知りたいです.

三国時代は鮮卑が草原を統一した時代ですね。
匈奴や烏丸といった人たちが魏の内地で牧畜をしていたことも見逃せません。
西晋時代には高句麗や匈奴なども中原に住まいするようになっています。
(高句麗の数は少ないけど)
>私が読んだのは杉山正明さんの著作ですが,主張がやや偏っている感じなので,他に参考書籍や資料があれば教えていただきたいです.

中国史のなかの遊牧民は、4000年間ずっと農耕民とされる中国王朝に影響を与え続けています。
だからエピソードも数えきれないくらいありますが、大別すると、
―――
匈奴以前     スキタイ以前
漢の平和     ローマの平和(古典古代)
五胡の民族大移動 ゲルマン民族大移動
北朝の樹立    フランク王国の樹立(中世)
宋、元、明、清  ヨーロッパの近世に相当
―――
と分類できると思います。
三国時代は中国史のなかで過渡期的な時代なんですよね。
漢とローマの平和が音をたてて崩れると、漢やローマという「苗木」から新しい樹木が生まれるということでして、
それが新しい中国です。

>話がずれますが「東西文化の交流」松田壽男 著では,呉の孫権と南方の民族とのかかわりに触れられていて,ちょっと「おぉ!」と思いました.
ローマ人もはるばる呉にやってきていますしね。

【2323】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な...
お答え  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/5/9(火) 16:46 -

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   ▼ペテン師さん:
>ごちゃごちゃ書いてるのでややわかりにくいですが、三国志以降の時代に脚光を浴びないのは、それは仕方ないことではないでしょうか。

時代が大きく変化しているということですよね。
繰り返しになりますが。
さっきも書きましたように、三国時代という時代は過渡期的な時代で、そこに着目して激動の時代であると意識しないと、続く以降の時代に戸惑いを覚えると心配するばかりです。

>後世に異民族や蛮などの将軍名が多いのもそのためだと思います。
ウッチ敬徳って武将が隋末唐初にいたと思うんですけど、当時は漢民族らしからぬ変な名前が気になって、唐が中国だといわれても納得できなかったものです。
そういう三国志好きの人って多いと思うんですよ。
なかなか克服できないというか。

【2324】Re:当時の北方民族について(実際は雑多な...
ひと言  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/5/9(火) 16:53 -

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   魏書(北魏の歴史書)あたりの訳が普及したら、きっと中国史像も変わると思うんですよ。
なんだか北魏と呼びますと、曹魏のニセモノのような印象さえあるんですが、
北魏は後魏と呼ばれますように、魏晋の後継者たる王朝なんですよね。

北魏の時代の北中国は、胡人と漢人の割合が半々ぐらいだったといいます。

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