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中国史を振りかえると、3世紀から13世紀までは遊牧民の時代と呼ばれています。
4世紀に南下する匈奴や鮮卑が中国に政権を樹立すると、(五胡十六国)
非漢族の群雄が北中国に割拠する分裂時代が到来し、その様子はまるで袁紹や曹操の陣営のようです。
袁紹や曹操が奴隷として扱っていた匈奴兵や鮮卑兵の子孫が、袁紹や曹操と同じ群雄という立場で政権を樹立するのですから、漢族と非漢族の間で主客の関係が転倒した訳でして、三国時代以降の時代は混迷を極めていますね。
その辺が全国3000万人の三国志ユーザーを抱えながら、三国時代以降の時代に話題が伸び悩む理由なのかもしれません。
三国志ユーザーのために、魏晋南北朝時代を説明しますと、
魏晋南北朝時代は濃縮されたまま還元されていない100%オレンジジュースであると断言できます!!
何言ってるか分からないですね(笑)
魏晋南北朝時代は総計して400年間弱、劉備や曹操がゆうに6回は転生して天下統一戦争を繰り返すだけの時間があるということです(笑)
世間にはあまり紹介されませんが、三国時代以降の時代はちゃんとしたエピソードがあるというのに、三国志レベルの深度で語られることが稀ですから、三国時代のファンが次の時代もと思って概説書なんかに手を出すと、あまりにおおまかなことしか書いてない上に、時代の推移が羅列されていて、困るということが私的な感想でした。
三国志的なエピソードによって時代は変わっていくんじゃないか?
曹操配下の江南担当の陳登が若くして病死したり、
郭嘉の若くして病死したことが赤壁の敗戦をもたらしたとされたり、(このエピソードって演義の由来でしたっけ?)
名声の高い青州刺史ゾウ洪や、陳留太守の張バクではなく、名門から外れた曹操が河南を制したことは、かえって三国時代以降の時代の「番狂わせ」を予言しているかのようです。
それで後漢末〜三国時代の北方民族について、エピソードのような話題を拾っていくと、すんなり以降の時代が理解できるような気がするんですが、何か話題のタネはないでしょうか?
初期の劉備集団も幽州の烏丸兵を従えていたそうですね。
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