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美術鑑賞メモ「マルモッタン美術館展」
040506
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展覧会名:パリ マルモッタン美術館展 モネとモリゾ 日本初公開ルアール・コレクション
開催場所:京都市美術館
開催期間:2004年4月6日(火)〜5月23日(日)
鑑賞日:2004年5月5日(水)



   この情報過多の時代に、二次元の情報を得るためにわざわざ出かけるなんておかしな話だ、なんてたまに思う。

   何がっていうと、美術館へ絵画を見に行くこと。

   だけど、レプリカとかポストカードとか絵画のコピーを見て、本物を見た感覚を思い出すと、違和感を感じ、自然と美術館へと足を向けてしまう。

   わざわざ出かけるんだから、人混みに邪魔されたくないと思うので、空いている開館直後に予定を合わせる。
   今回の美術展は「日本人大好き印象派」なので、余計、混みそうな気がしていた。


   美術展のある京都市美術館へは前回、行ったのが某学校の卒業展覧会だっけと思いながら歩を進める。
   開館前で美術館の前には十人ぐらい人が集まっていた。

   今回の美術展は「パリ   マルモッタン美術館展」。ポスターやチケットには「マルモッタン」の「モ」という文字を囲むように「○」が打たれている。もう少しチケットを見てみると、副題に「モネとモリゾ   日本初公開ルアール・コレクション」と書いている。どうやら、これはこの美術展のメインの画家がモネとモリゾだということを暗に強調したいようだ。イメージ戦略としては良い感じ。
   チケット販売は五分前ぐらいに始まり、チケットを買って、いざ、美術館の入り口へ。

   やがて開場し、中に入る。
   入り口ではチラシも目録も配っていなかったので、音声ガイドのプログラム・チラシをもらう。こうでもしないと何を見たかすっかり忘れてこうやってレポートを書けないようで怖い。
   しかし、音声ガイドというのは聞いてみたい気もするし、アイディアとしてはすばらしいと思うんだけど、何かしっくりこない。それは美術展で絵画を見ず、解説ばかりみるのと同じ感覚がある。
   やはり、多くの人にとって、目の前の絵画に気を向けるより、できる限りの情報を得ようという心理があるのかもしれない。
   (絵画自体、見る人によっては情報量がかなり少ないからね)
   音声ガイドもお客様のご要望にお答えして、そのうちドラゴンボールのスカウターみたく進化するにちがいない(汗)。この三角形の構図がとか、この補色はとか情報が出て…

   というような妄想を抱きつつ、会場へ足を踏み入れる。
   人はあと二割増しぐらいで例のベルトコンベヤ現象<<参照になるってぐらい。

   最初のスペースは「印象派への道」と題されていた。さすが、「印象派」主義の日本の美術展(←失言!)。やはりこの美術展は印象派の絵画が売りなんだなとつづく思い、解説を読む。
   ドラクロワの補色を用いた色彩・筆触、ブーダンの構図(上半分が空とか)、コローの写実性が後の印象派に繋がるとかなんとか書いていた(※うろ覚えなので鵜呑みにしないように)
   なるほどねー、思いながら、ブーダンの風景画をみていた、それからコローの風景画も……って解説にあったドラクロワは?……って一つだけあった。どうも私がイメージするドラクロワの絵画ではなかったのでスカされた感じ。正直、劇的なものを求めてた。
   ここで印象にのこったのがヨハン・ヨンキントの風景画。「アヴィニヨンの通り」
   ちょいと都市の風景(建物の狭間の道)で遠近法を強調したかのような絵だから、ぱっと見てユトリロっぽい。だけど、それより大胆な構図かなと思った。解説では煙の筆触が印象派に繋がるとかなんとか書いていたけど(そこまでコンセプトを意識するとは!・笑)

   で、次のスペースがメインの一つ、「ベルト・モリゾ」。
   美術展の挨拶かなにかで、「日本ではなじみがない女流画家」という前置きがあって、それはすでに私の頭に擦り込まれている。
   解説と共にベルト・モリゾの白黒写真がドーンと飾っている。
   そのトップは何やら宗教画。「シモンの家の食事」。え、印象派の画家がねぇ、と思っていたら解説によるとその模写とのこと。あ、なんだそうか。しかし、模写まで出すとはこの展覧会でモリゾさんの価値を上げようとする意気込みは……本気だ

   仕切り直し。
   その次が「ワイト島のウジェーヌ・マネ」。タイトルに「島」と書いているけど、全然、「島」要素のない絵。どちらかというと日常的なかんじ。部屋の中から、窓と窓の外の庭や海の光景。窓には彼女の夫であるウジェーヌ・マネが腰掛け窓の外を見ている。見ている人が心温まるような日常的な光景。
   絵はさっきの絵とちがって、筆跡がみえるようだし、色合いが補色がわかりやすいし……といわゆる印象派的な絵画。

   その絵の続きかとおもうような、次の絵。「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」
   夫・ウジェーヌ・マネの体を横から見たような構図。庭のベンチに腰掛けて居て、その膝越しに娘がみえるのだ。夫の膝(というか太股)に娘がおもちゃみたいなのをのせてそれをいじっている。やっぱり日常的家庭的な暖かさを感じる。
   二つ合わせても個別でも、幸せを感じてしまう。

   次のスペースももちろんベルト・モリゾ。
   右手には風景画。港の絵。これもいわゆる「印象派的な絵画」。
   解説をちらりとみると、ボートの上から書いた絵で、揺れるからこういうふうになっているとかなんとか。
   そういえば、印象派の特徴として、絵画の技法以外にも、題材とその方法があったな。何でも屋外で写生するのはそれまでなかったとか何とか(うろ覚え)

   「ルイーズ・リズネルの肖像」と「舞踏会にて」と続いて、共に上半身の肖像。
   さっきの印象もあってか、どうも家族を見る暖かみを感じてしまうんだような。なんでだろ?   描かれているのは舞踏会の衣装姿なんだけど、娘を送り出す親の心境というか(※注、この文を書いている人には娘はいません)
   さっきよりは「印象派的度合い」は少な目。はっきりとした描像。

   その次に目が惹かれたのは「自画像」。そうベルト・モリゾの肖像なのだ。
   40代ぐらいの絵だったかな?
   体は横向き、顔は正面近く。
   背筋がピンとしているし、左肩はドンとあるし、視線はまっすぐこちらだし、とても決然とした感じ。つよさを感じる。その印象は色彩とか筆運びとかから感じるんだろうか。
   お気に入りの一つ。

   このスペースは肖像画が多いなぁと感じながら、次のスペースへ。
   そこは唐突に人混みが。何かと思ったら休憩スペース兼ビデオ上映スペース兼カタログ売場だった。絵の前より人がわらわらいる。
   やっぱり上で書いた「できる限りの情報を得ようという心理」なのかなぁ、これも。

   気にせずそこを素通りし、次のスペースへ。
   さっきのビデオ上映のおかげで、人混みがそこへトラップされたようで、ここはむちゃくちゃ空いていた。
   それにまだまだベルト・モリゾのスペース。あの気丈な(ように見えた)モリゾの絵画をまだ見れる!
   右の壁を見ると、緑っぽい色彩で埋まっていた。もちろん印象派だから、補色(この場合暖色系)をバシバシいれている。(それに題材は屋外が多しますます印象派っぽい)
   「桜の木」とか「横たわる羊飼い」とか。
   二つとも人物が入る絵で、やっぱり家族的なものを感じる。
   「桜の木」にはやはり娘が登場(解説をみると途中でモデルがプロのモデルになったそうだけど)。
   以前、「ブージヴァルの庭のウジェーヌ・マネと娘」で出てきたときはホント、ヨチヨチ歩きのおこちゃまだったんだけど、もうサクランボウをとれるぐらいに、十代半ばに成長しているだなんて妙な感慨をもってしまう(なんか、思いっきり親視点になっていが・汗)
   ここらへんの対象に向けられた暖かみがルノワールとはまたちがった暖かみがあるんだよな。包容感があるというか。

   次に目を引いたのは、「ブーローニュの森」と「ジェリー・マネとグレーハウンド犬ラエルト」。
   両方とも娘と犬のラエルトの絵。あ、後者のタイトル通りの娘の名前は実はジェリー・マネっていうらしい。
   ちなみにこれも一目みて、印象派って思う筆遣いに色彩。前者は屋外で、後者は屋内。私としてはどちらかというと後者の方がいいかな……犬のなつき具合が。休日のやすらかなひとときを感じる。
   しかし、娘だけでも暖かみがあるのにこの上、愛犬まで登場させるなんて、すばらしい!

   モリゾのスペースはこれで終わり。


   次はもう一人の「モ」。そう、クロード・モネのスペースなのだ。
   やっぱり解説、それに白黒写真もどどんとある。
   それより目を惹いたのが、モネの肖像画三枚。
   ハッキリした肖像。印象派らしくない、っておもったらどうやら自画像ってわけじゃないらしい。カロリュウス=デュランによる「クロード・モネの肖像」。
   27歳のときの顔らしい。ヒゲもじゃら。なかなか精悍な顔立ちなのだ。

   その二つ横に自画像があった。「アトリエでの自画像」。
   こちらは44歳のお姿。なかなか優しそうな感じ。


   で、次のスペース。そこは「睡蓮」ばかりだった。

   白状しよう。
   よく名前が似ているからか、「あなたはどっち派?」って話になるけど、私は断然、モネよりマネ派。なのでそれほど興味がなかった(余談だけど、ルノワールの絵が良いと思うことが多いかな)
   モネといえば代表作は「睡蓮」なんだけど、その何作かは生で見たことある。だけど、あまり「良いなぁ」って思ったことがない。なので、今回の密かなテーマは「良いなぁ」って思えるかどうかなのだ。

   で、その「睡蓮の間」ともいうべきスペース(実際、5作品もある!)でまず目に付いたのが、左奥の「睡蓮」。

   いきなり気に入ってしまった!

   睡蓮の緑、水面に映る青空、その青空に浮かぶ淡いピンクがかった白い雲。色の対比がかなり心地よい。それに筆跡も心地よい
   他の「睡蓮」もこれほどじゃないにしても良い感じ。同じタイトルだけどどれもそれぞれ個性を感じてしまう。朱っぽい「睡蓮」によく塗り混んでいる「睡蓮」

   冷静に思い出してみる。

   よくよく考えたら「睡蓮」といえば、日本人大好き印象派の中でもメジャーな部類に入るし人気が高い。よくよく思い出すと、「睡蓮」を見た記憶というのは例のベルトコンベア状態(人が多すぎて列をなして順序よく見ていく状態)のことばかりだ。
   そう、見たいように見れないばかりか、人混みのせいで、いつもかなり近場でみていた。
   そう、印象派特有のあの筆遣いも色遣いも近くすぎるところで見すぎると単なる荒い筆跡、しかも色に調和がとれてなく見えるんだ。
   ところが、今回はタイミングがよかったのか空いている。ちょうどいい距離で絵を見れていた、きっとそうだ。

   気付いた喜びのせいか、もっと見たいというせいか、私はすのスペースをくるくる廻って、五枚の「睡蓮」をみていた。


   充分、「睡蓮」を味わってから、次のスペースへ。
   次もモネ・スペースだけど今度の中心は「日本の橋」。
   さっきより厚く太く塗っていて、もう形が消えかけていて、一気に抽象世界へとばされた感じ。解説の一つに「モネの白内障」が影響しているというようなことが書かれてたけど、そんなもんなのかな。よくわからん。


   モネのスペースが終わって、「同時代の画家たち」というタイトルのスペース。
   このタイトルからして最後っぽい。それにタイトルから言ってこれはもしや。

   画家はドガ、ルノワール、カイユボット、ピサロなどなど。
   これってもしや、よせあつ……いやいや、モリゾやモネの同時代の画家たちがいろいろ見れて良かった良かった。


   というわけで、美術展はこれにて終了。
   その後にはいつものように販売スペースがあった。
   作品を思い出すきっかけがほしくて、ポストカードを何枚か買ったんだけど、そこの会場で、モリゾの絵のポストカードをさして「そうそう、この人の絵、良かったなぁ」っていう人がいた。
   「モ」に「○」がつくほどのメインで押している画家さんなんだから覚えようよ。


   ちなみに出口にどんな絵画があったか目録があった。
   それにあとで検索すると公式サイトに目次も解説もいっぱいあった。





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