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気になるアイツ(於夫羅) |
021130
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↑というようなイラストを雑賀真咲さんから頂く。かなり大喜び♪ 描かれているのは、於夫羅さん。![]() さて、この於夫羅。こんな素敵なイラストをもらっといて失礼な話だけど、私は全然、知らない人物だったりする。 名前から、漢民族じゃないぐらいは想像できるけど、いったい、いつ頃の時代の人なのかすらわからない。だけど、このイラストを目で味わうたびに、いろんな想像が湧いてきて、こりゃ是非ともどんな人なのか知りたいという気持ちになる。 例えるなら、興味があるけど、まだ、好きとはいえなくて、だけど、その人のことなら何でも知りたい、といった恋心のよう(笑) まさに「気になるアイツ」! というわけで、さっそく三国志およびその注をあたってみる。 で、彼について、わかったこと。三國志卷一 魏書一 武帝紀第一の注に引く魏書より。 ・匈奴人の南單于(匈奴の南部の王様かな?)の息子 ・だけど、後漢を助けに行っている間に、本国の反逆により親を亡くす なるほど、言ってみれば「悲劇のプリンス」なのか。 はぁ、これだけだと、良くわかんないと思って、もうちょっと、調べてみようかな……と、ちょっとした事実が…… どうやら、於夫羅。後漢書や後漢紀では「於扶羅」と書くらしい。気付かなかったら、中途半端に彼を知ってしまうことに(汗) ということで、はりきって、調べ直す。で、後漢書卷八十九 南匈奴列傳第七十九によると、 ・中平四年、前の中山太守の張純は反乱を起こし、周辺の郡に鮮卑人を率いて侵略。 ・そこで皇帝(のちに靈帝と呼ばれる)は南匈奴兵を幽州牧の劉虞に配しこれを討たせることにする。 ・於扶羅の父、單于の羌渠は、騎兵を率いた左賢王を幽州へつかわす。 ・国の人は羌渠を恐れて、兵を出さない者はいなかった。 ・中平五年、十万人あまりが反乱。羌渠が殺される。 となる。なるほどなるほど、前より具体的になってきてる。それに年代もすっきりしてるし。 ここで前にだした魏書と比べてみると、どうやら、於夫羅は劉虞と左賢王と共に張純を討伐していたのかな。遠い異国の地で偉大なる父が殺される報をきいて、さぞ無念だったでしょう。 だけど、悲しんではいられない! 同じく南匈奴列傳によると、 ・中平五年、右賢王の於扶羅、單于になる。 おう、プリンスどころが、すでにキング(右賢王)だったんですね、於夫羅さん。とまあ、單于ってのはそのキングより、偉いのかな。すごい! そして、匈奴人の故郷では、とんでもないことが…… ・羌渠殺しの共謀者、須卜骨都侯、單于になる。 そう、羌渠の敵対者も單于になってたってわけ。於夫羅さんは故郷を離れている間、何もできずにこの報を聞いたのかな? そこで於夫羅さんがとった行動はというと。 ・後漢の宮中へ自ら、訴えに行った(つまり、皇帝へ直訴)。 ・でも、そのとき、皇帝が崩御していて、後漢は乱れていた。 ・於扶羅は白波賊とともに河内郡あたりへ攻める。 ・でも、抵抗が強く、國に帰ろうとするが、国の人に拒否される。 ・一方、一年ばかりで須卜骨都侯は亡くなったが、国事は老王がすることになる。 うーん、結局、悲劇は父親を亡くしただけに留まらなかったってことだね。於夫羅さんの敵対勢力サイドの單于が亡くなったのに、故郷の人は改めて於夫羅さんを單于にしようとしないなんて……(涙) で、ここからの於夫羅さんの動きはふたたび、三國志で追っていく(いろんなところから引用してる) ダイジェストでどうぞ。 ・袁紹の軍(反董卓軍)と合流した張楊の軍。その軍に於夫羅は合流し、 ![]() ・そこで於夫羅は反逆を企てたけど、失敗。だけど、ただでは転ばず、張楊を連れていった。 ・もちろん、袁紹を敵に回してただですむわけなく、その将、麹義に追撃され、 ![]() ・でも、またまたただで転ばない。それでも、張楊を返さず、黎陽にいって、度遼将軍の耿祉をうち破る。勢力を盛り返す。 ・初平三年に、内黄で曹操に破れる。 ・初平四年の春ぐらい、陳留郡へ入り、封丘に駐屯した袁術の軍をK山賊の残党と共にたすけた。 後漢の領内でさまよっているって感じだけど、なんて言うか、心底、誰かを頼りにするってことはないみたい。特定の勢力にずっとついているわけじゃないし。まさに「孤高の單于」といった感じ。 そして、ついに興平二年に亡くなる。後は弟の呼廚泉がつぐことになる。 だけど、物語はここで終わらない。 実は、於夫羅さんの子孫に前趙の劉元海って人がいるようだ。 私は前趙も劉元海も知らないけど、子孫で、良くも悪くも歴史に名を残す人が出るなんて、何だか、嬉しくなる。 |
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