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図書館に行こう
021124
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   よくよく考えると、どうも、私は物欲が強いみたいだ。
   何かというと、本を買ってばかりで、あまり借りたりするようなことはないから。例えば、図書館に行って、何か興味のある本があっても、著者名、タイトル、ISBNをメモするだけで、あまり借りるようなことがない。お金に余裕があれば、後日、ネットなどで調べ、その本を取り寄せすることが多い。また、他人から借りて読み終えた本でも、気に入ったのがあれば、迷わず購入してしまう。
   でも、世の中には「絶版」という事実があったり、「とても手が出せない高価な本」というものがあったり、「良い本だけど、お金を出すのは気が引ける本」というものがあったりするので、上の「法則」の例外はたくさんある。そういうときは素直に図書館を利用するのだ。

その一、ファッション・チェッ〜ク!

題名:中国古代の服飾研究   増補版
編著:沈従文など
訳:古田真一、栗城延江
出版:1995年
ISBN:4-7636-3258-2

   いざ、三国志の時代を小説にしようとしたとき、いろいろな当時の日常が気になる。
   別に小説だから、そのことをうまく書かないようにすれば、何とかごまかせそうなんだけど、そういうことをし続けると、なんだか読者に物語をリアルに感じ取ってもらえそうにないと心配してしまう。だから、私はちょっとしたことでも気になって仕方なくなってしまうことがある。

   例えば、当時の役人の服装のこと。
   一目で役人とわかる服装なんだろう、とかあたりをつけた上で、史書を調べてみる。三国志には、言ってみれば人物について書かれた「列伝」ばかりで、服装などについてまとまって書かれたカテゴリーがない。そこで、三国志より一つ時代をさかのぼった後漢時代。それについての正史、「後漢書」をあたってみると、あったあった、「志」というカテゴリーの中の「輿服下」というところ。
   そこを当たってみると、目を引いたのは、役人が腰につけていた「綬」というリボンのようなもの。位によって色や長さが違うようだ。ふむふむ、やはりそういうのがあるんだ、と眺める(漢文なので、あまり読めない)。
   で、それを参考にいざ小説を書こうとすると細かいところがわかんなくなる。例えば、太守(二千石)は青い綬をつけているそうだけど、長さが七尺あるとのこと、七尺といったら、当時で161cmぐらいですよ。それを腰からたらすといったら、常識的に地面につく……引きずりながら歩いてたの?   それとも半分以上、服の中に綬を入れてたの?   それとも二つ折り?……などなど、いろんな妄想と疑問がわいてくる。
   だけど、当時、当たり前のことだったからか、史書には詳しく書かれていない。

   そんなことなど、ビジュアル面(考古学的史料)からも解決してくれたのが、今回、図書館で見つけた「中国古代の服飾研究」ってこと。
 
   実は、一年以上前から、私はその本の存在をしっていた。ただ、値段が高いことから、ネット上の古本屋で見つけても手を出せないでいたという経緯がある。
   だから、実際、目にし、手にとってみたのは今回が初めて。
   VHSのビデオテープと一緒にとった左写真を見てもらえば、わかるように、この本、かなり大きく、おまけに厚い。私の受けた驚きを少しはわかってもらえると思う。
   厚く大きいので当然、その分、重い。これは容易に想像できることかと思う。

   その図書館でこの本は書庫に入っており、窓口で、一旦、書庫から取り寄せないと借りられない。一度、窓口の人に頼んで、書庫からこんな大きいものを出してもらった手前、「やっぱり借りるの、やめます」なんて、気の弱い私に言えるわけないので、借りて帰ることにする。

   帰り道が試練の時だったかどうかは、ご想像にまかせる。

   なお、上記の疑問は「24   綬を垂らし、剣を身につけた漢の武人」という章に書かれている。とほほ、今まで書いた小説を書き直さないといけないところがあるなあ……


その二正史、正史と耳に残る頃。

題名:「正史」はいかに書かれてきたか   中国の歴史書を読み解く
著者:竹内康浩
出版:大修館書店
初版:2002年6月10日
ISBN:4-469-23183-5

   「三国志」を「正史」という言葉に置き換える人に何か違和感を感じる。
   「三国志は正史だ」。正解。「正史は三国志だ」。不正解といわないまでも紛らわしい。
   正史と呼ばれるものは三国志だけじゃない。後漢書も晋書もその他、いろいろある。「正史」というグループの中にある史書の一つが「三国志」なのだ。だから、例えば三国志だけを見て、「正史に載っていない」と書くのは、私にとって違和感ありまくり。

   とまぁ、子供じみたことを書いてみたけど、言葉的にあたかも「三国志=正史」になってしまった風潮も理解できるし容認もしている(大人な対応&反省)。
   やはり、この日本において、「三国演義」を「三国志」と呼ぶような風潮が出来たからだろう。だから、本来の三国志が、日本において「三国志」の名を剥奪され、「正史」なんて曖昧な呼ばれ方をされているんだろう。その点、三国演義が根付いている中国において、決して「三国演義」を「三国志」と名付けないのはうらやましい。(「三国志」の三文字は使ってもちゃんと「三国志通俗演義」と称するし)

   そういうようなことを思いながら、図書館に行ったんだけど、そこで目にとまったのが「正史三国志」の文字。よく見ると、それは、ちくま文庫の三国志日本語訳版なのだ。私はハードカバー版しか持っていないので、文庫版は見たことなかったのだけど、まさか、タイトルに「正史」と銘打たれているとは予想だにしなかった。ハードカバー版はシンプルに「三国志」とあるだけだ。もっとも「筑摩世界古典全集」とか修飾はされているものの。
   私が思うに、この文庫版のタイトルは、上記の日本の風潮を受けてのことだけど、「三国志」を「正史」と言い換える風潮を少なからず増長させる一因になっているのかもしれない。
   (まあ、Web pageやWeb siteを、まわりで平然と「ホームページ」と呼ぶのを、容認している私が言うことじゃないんだけど)

   図書館で、そういうようなことを思いながら、さらに散策していると、目にしたのが「『正史』はいかに書かれてきたか」。
   「正史」という言葉にうじうじとこだわる割には、正史のことをあまり知らない自分自身に気付き恥じる。その思いから自然とその本を手に取る。

   もちろん、本来の三国志にわざわざ「正史」と銘打つ、三国志系の出版業界の常識(?)はそこにない。「史記」、「漢書」、「三国志」を中心に正史にまつわることが書かれているほか、それらの起源ともいうべき「春秋」についても多くのページをさいている。もちろん、「正史」のなりゆきも書かれている。

   今まで何となく理解していた史書の形式「紀伝体」についてもちゃんと書かれている。どうやら、「史記」を書いたとされる司馬遷の発明とのこと。

「紀伝体とは、王・皇帝のことを記した本紀と、臣下のことを記した列伝とを必須とした形式である。『史記』には、さらに、諸侯のことを記した成家、制度のことを記した書(のちには志)、年ごとの事件などを記した表(これは世界的に見て画期的な発明である)、などが設けられていて、極めて周到な用意がなされている。」(P.43)

   なるほど、本紀や列伝は必須だけど、志はそれほどの扱いではないのか。
   三国志を紀伝体とするのも納得ができる。
   それに、今、「年表」として普通に使われている形式は、実に司馬遷の発明なのか。

   私は前々から、「史記」と「漢書」とに書かれた時代が重なる部分があるのに居心地の悪いものを感じていた。そのことについても書かれている。
   つまり、「史記」は司馬遷が書いたころまでの歴史を書く「通史」なのに対し、「漢書」は漢朝について書かれた「王朝ごとに区切る」、いわゆる「断代史」であるそうなので、どうやら、漢のはじめの頃の記述が重なるのは当たり前のようだ。
   この本ではそれよりさらに進んだことが書かれている。一連の同じ出来事が二つの異なる史書によって書かれているところがあるので、両者の史書の特徴が浮き彫りになっているらしい。同じ一連の出来事が書かれているにしても、それらを史書のどこに配置するかで書き手の意思が読みとれる等々。

   また、三国志についても書かれている。こちらはちょっと深いファンだったら、もう周知のこと、陳寿による三国それぞれの書き方などだ。

   これで、ちょっとは正史について詳しくなった……つもり(笑)

   


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