<<
>L<
>>
次の小説を読む前に。
020924
<<小説本編の入り口へ戻る
<<「京師まで三千八百里」「八、河水」
<<●

ここの文は小説「京師まで三千八百里」を見終わった後に小説「憧れのもとに」を読もうかなと思っている人向けに書いてます。




   「孫氏三代」は短編の寄り集まりの総称なので、一応、一つの話と一つの話は連続性はありません。だから、時代的にそれより前の話を読まなくても、その話を読めるようにしてます。具体的に言うと、「憧れのもとに」を読む前に、「京師まで三千八百里」を読まなくても、すんなり入り込める(はず・汗)と言うことです。
   逆に言うと、一回、話を読んで、次の話を読むときに、話の設定が自然とリセットされるというわけです。話を読んで、一度、「孫氏三代」の設定を覚えてもらったのに、設定がリセットされるなんて勿体ない……ということで、ここでは「京師まで三千八百里」の設定をベースに「憧れのもとに」の設定を少し書きたいと思います。それに、いくら「孫氏三代」が短編の集まりだといっても、実際の歴史を参考にしているので、2つの作品が無関係ということではありえません。

   で、時代から説明します。
   「京師まで三千八百里」が喜平二年(西暦173年)。それに対し、「憧れのもとに」は中平二年(西暦185年)。12年ぐらい経過しています。
   この間に、「京師まで三千八百里」の主人公・孫文台は、反乱討伐の手柄などもあって、富春県の尉→郡司馬→鹽涜県の丞→くい県の丞→下ひの丞と歴任します。
   文台さんの生年は諸説ありますが、この間はちょうど、十代から二十代までの期間であり、結婚し、子どもは数人、できることは間違いありません。
   文台さんの妻になったのが、呉夫人さんです。ちなみにこの人は呉氏からの嫁ですが、名前は伝えられていません。「孫氏三代」では「江姫」と名付けています。「憧れのもとに」に少し登場します。
   このときに生まれた子どもは四人。策、権の姉、権、翊です。この中で長男の策は「憧れのもとに」にかなり長く登場します。

   さて、文台さんが上記のように歴任した後、転機が訪れます。
   それは黄巾賊の乱が発端です。それまでの十年、各地でいろいろ反乱がありましたが、この黄巾賊の乱より小規模だったり辺境だったりしました。ちなみに文台さんが反乱討伐に関与したのは、史書によると、喜平元年〜三年(西暦172年〜174年)の許昭(あるいは許昌)の乱のどこかです。「京師まで三千八百里」に出ていた乱もこの許昭の乱です。それらに対し、光和七年(西暦184年)、黄巾の乱は京師(洛陽)のある司隷を取り囲むように冀州、豫州、荊州で一斉に、つまりかなり大規模に起こりました。
   そこで政府は各地に軍を派遣します。その中で豫州方面担当は左中郎将の皇甫義真と右中郎将の朱公偉です。この朱公偉は「京師まで三千八百里」で主役の文台さんの次に出ずっぱりの、あの朱公偉さんです。あ、但し、「京師まで三千八百里」で文台さんと朱公偉さんは出会ってますが、あれは史書に載っているわけじゃありません。つまりこの二人の出会いに関してはフィクションです。
   とはいうものの、この朱公偉さん、なんと、自分の部下に文台さんを指名します。そして文台さんは朱公偉さんの部下として黄巾賊の討伐に参加します。このとき、文台さんの役職は佐軍司馬です。
   黄巾賊の討伐は、各地でいろんなエピソードがあるんですが、ここでは皇甫義真と朱公偉の軍に絞って説明します。まず、豫州潁川郡で、朱公偉の軍は一度はやぶりれたものの、皇甫義真、それに曹孟徳の軍と共同して、大いに黄巾賊をやぶります。続いて、南下し、豫州汝南郡でも黄巾賊を大いにやぶります。ちなみにこの汝南郡には「憧れのもとに」の主人公、呂子衡さんの出身地でもあります。但し、史書を見る限り、黄巾賊と戦ったところが汝南郡のかなり北だったのに対し、呂子衡さんの出身地、汝南郡細陽県は郡の南寄りです。「孫氏三代」ではこの黄巾賊の乱から呂子衡さんらは疎開し、細陽県から南東の寿春(揚州九江郡)に移住したという設定です。
   さて、豫州の黄巾賊をあらかた平定した皇甫義真と朱公偉の軍は別地域へと移動します。皇甫義真の軍は冀州へ、朱公偉の軍は荊州へと軍を進めます。そして、2つの地域の黄巾賊も平定します。政府は黄巾賊の乱が平定されたとして光和七年(西暦184年)十二月に、「中平」と改元します。
   と、これだけ書いていると、まったく黄巾賊はいなくなったようですが、実のところ、残党はまだまだいたようで、次の年の中平二年(西暦185年)あたりから、史書でまた黄巾賊の名をちらほらとみるようになります。その中で結構、史書のいろんなところで目にするようになるのは、徐州の黄巾賊です。「孫氏三代」では、それまで徐州下ひ郡下ひ県に住んでいた文台さんの家族がこの黄巾賊の乱から逃れるため、先に挙げた寿春へ移住させています。ちなみに三国志の注に引く呉書では黄巾賊の乱が始まった時期に文台さんの家族は寿春へ移住しています。
   「孫氏三代」の世界ではこの時期、寿春に呂子衡と文台さんの家族がいて、何かしらの交流があったという設定です。なお、文台さん自身は史書でも「孫氏三代」でも、北宮伯玉らが涼州や三輔(司隷の西側)で起こした反乱の討伐へ赴いてます。そのとき、「憧れのもとに」で、文台さんは寿春に立ち寄って、呂子衡さんに会ったことにしています。
   「憧れのもとに」の物語は寿春から反乱の地(涼州や三輔)へ赴く文台さんと呂子衡との対面から始まります。そして、寿春から南方へおよそ180キロ離れたところにある、揚州廬江郡舒県の地で黄巾賊が乱を起こそうとしています。



<<
>W<
>>