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美術鑑賞メモ「石田徹也−青春の自画像−展」
2006.12.17.
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展覧会名:“飛べなくなった人”異才・石田徹也−青春の自画像−展&マイコレクション
開催場所:駿府博物館
開催期間:2006年11月10日(金)-12月28日(木)
鑑賞日:2006年12月17日(日)



   私が石田徹也さんの作品を知ったのはミーハーながら2006年9月17日に放送された「新日曜美術館」というNHKの番組だ。同じようにこの番組で石田徹也さんを知った人は多かったらしく反響が大きいので12月24日に再放送されるとのこと。石田さんは踏切事故で2005年5月23日に亡くなっており、その一年後、つまり2006年5月に遺作集が出され、さらに11月10日から駿府博物館にて遺作展が開催されている。さらに12月24日までだった遺作展も28日まで延長されたそうな。
   番組を見て、そのシュールな作品世界にとても惹かれたんだけど、その直後、遺作が世間から不必要に神聖視され、私自身、実際に作品の前に立ってもちゃんと作品を楽しめないかという危惧を抱いていた。
   番組によるとすでに遺作が売りに出されている動きがあるとのことなので、今、見に行かないともう見れないんじゃないかという予感がしたので、駿府博物館に行くことを決意する。

   ちょうど青春18きっぷの期間と重なる時期があるので、頃合いを見つけた12月16日。
   朝6時に出発し、途中三度乗り換えし、電車に揺られること6時間弱。到着したのが最寄り駅の静岡駅。
   電車の中で目的地の場所は公式サイトで確認していたからすんなり行けた。静岡駅を北に出ると、国道一号線が横たわっていて、それを地下を通って向こう側左方向に行ったところにある。時刻は12時過ぎ

>>駿府博物館

   駿府博物館は都会の博物館っぽく普通の四階建てのビル(上の写真)。入り口はいると、別の展覧会がやっていて、目的の企画展はどうやら二階にあるとのこと。目の前の階段を登ってすぐのところの、小部屋で「新日曜美術館」の上映会が行われているが、先に作品だとばかりに、
   先へ進む。また別の大部屋があって、その部屋を入って左の壁際で受け付け。入場料を払って、作品リストを貰って、いざ。

   順路は部屋を入って、右の壁から。
   壁にはまず石田さんの写真。それからパネルが掲げられている。てっきり展覧会にありがちな主催者の挨拶か何かだと思ったら、石田さんのメッセージだった。後で気付いたんだけど遺作集の冒頭にあるやつと同じ。
   その中で私が印象に残ったのは「2年位前から、意味をやめてイメージで描いている。」というところ。この後で何かメッセージを込めて描くと、「駅前で拡声器でワーワー言っているのと変わらないのかなって思っちゃって……。」ということが書かれていた(ここらへんの文、後で訂正します)。そうそう作品とメッセージ性の距離感ってやつのさじ加減は難しいんだよね。説教臭くなるかアホっぽくなるかの瀬戸際というかなんというか。

   それでいよいよ作品。パネルの左にずらりと壁に掛けられている。「みのむしの睡眠」、「SLになった人」、「大車輪」、「だんご虫の睡眠」の四作品。比較的小さい作品かつ初期の作品が多い。それほど作品の世界にのめり込まず、どういった絵を描く人なのか、導入部分としてみていた。絵に出てくる男性はほとんど石田さんに似ているとか、こういうふうに人間とそうでない生き物や物とを融合させたりするとか、そういう作品なんだな、と。四作品とも石田さん似の人が出てくるし、前から順にみのむし、SL、車輪、だんご虫とスーツ姿の男が融合している。絵の感じはマグリットを彷彿とさせるようなあっさり感。
   その次は同じ壁の展示なんだけど、ガラスケースに入っている作品群。まず「健康器具」。これはじっくり見る。ルームランナー(これ商品名だっけ?)の上を走るスーツ姿の男。ベルトコンベアの上を走る健康器具なんだけど、ベルトコンベアのベルトは普通の健康器具と違って、走る男のすぐ後で終わらず、延々と後へ続いており、そのベルトの両脇には白い帽子と白い服を被った男たちが鈎棒をもって待ちかまえている。男達の帽子には「精肉工場」と書かれている。まるでパースを間違えたかのように男達の両足は地面へめり込んでいる。走る男も待ちかまえる男達もやっぱり石田さん似。そして皆が指摘するように、その表情はどれもうつろなもの。この絵からは「強迫観念」やら「拘束」やらという言葉がすぐに浮かび上がる。健康器具を使っている男が何かに追われている配置だし、男たちは走る男より一見自由だけど、足が地面にめり込んでいるし。こういった感じで、展覧会、冒頭のメッセージを忘れすっかり「意味」を考えてしまっていた。
   次は「スーパーマーケット」。こちらは両腕がベルトコンベアのスーツ姿の男。やっぱり石田さん似。レジがどちらかというとコンビニっぽい。次が「トイレに逃げ込む人」。こちらもやっぱり「強迫観念」とか「抑圧」とかを連想してしまう。日本ではトイレの大は個室だし、便器に入るような滑稽さがあってもやっぱり「逃げ込んでいる」ってストレートに思ってしまう。姿が右腕しか見えない影が後から追ってきているしね。続けて、「異動の夢」。中央の男は机に伏し眠っていて日常の光景なんだけど、周りが不思議な光景。机の脚が人間の足だし、壁の下にはたくさんの足がある。足が異動の象徴ならば、男の心象風景(夢)が画面にしみ出しているとも捉えることができる。それからスーツ姿の人間と小包が融合したような「無題」、それからどこか特定できないアジアのような異国でガイドブックをもっている「無題」。後者はやはり画面の中央にいる三人は体の半分が地面に埋まっている。絵の両者とも何かしら「拘束」されている。

   次の絵は私が最も気に入った絵「説教」。もうこの絵に出会えただけで来た甲斐があったと感じた。
   首から上が画面の上の外に出ている人物が背中を向けて向こう側へ立ち小便している。もちろんその先には小便器があるんだけど、その小便器の上には顔がついていて、それはやっぱり石田さん似。悲しそうな目でどこか関係のない右手の方を向いている。その小便器の左には同じように顔のついた小便器がある。そこにはすこし水が溜まっている。さらに左にはやはり同じような小便器。その小便器は水があふれ出ている。三つも小便器があるんだけど、別に公衆トイレの中というわけではなく、そこは運動場。白線のトラックがバックにあるんだけど、そこ意外は雑草がしげっている。
   これは高見から説教をする人に対する痛快なまでの皮肉だ、そう私は感じた。説教する人にとっては排泄行為同様、すっきりする行為だろうけど、された方はまるで詰まった小便器のようで気持ちよいものではない。どんどん鬱憤がたまる一方だ。しかもそれが為されるところは建物の中など閉じた所じゃなくて、運動場のような何気ない公衆の場、公開処刑のよう。
   よくぞ描いてくれた、と愉快な気分のあまり、この作品を前に思わず声を出して笑いそうになったが、まわりは厳粛な雰囲気だったので手を口に持っていきなんとかこらえた。

   その次が「起床」。こちらは普通の部屋の中に荷台を傾けられるトラックがあって、まさに寝起きの男が荷台から落とされそうになっている。ここらへんも抑圧の構図だね。
   入り口横から続いていた壁の作品展示が終わり、左手前へ九十度、壁は回転。その一つ目の作品は「囚人」。校舎の絵なんだけど、そこには巨大な小学生(やっぱり石田さん似)が窮屈そうに校舎から顔と指を出している。そして校庭にまばらに立っている運動着姿の小学生たち。ここらへんも学校のシステムへの皮肉って捉えてしまうよな。次が「燃料補給のような食事」。ファーストフードのカウンターからガソリンを入れるように客の口に食事を入れる店員三名。日常の何気ない光景を組み合わせたシュルレアリスムは好きだな。「コンビニエンスストアの母子像」。スーパーやコンビニで使われるカゴの中に男と数々の商品が入っていて。そこにバーコードリーダーを持つ女性が中を探ろうとしている。タイトルからしてカゴの中は赤ん坊になりそうだけど、そうじゃないところが含蓄がある。次が「ベルトコンベア上の人」。エスカレーターに等間隔で男が倒れており、両サイドに人が居る。その次が「子孫」。四枚のキャンパスをつかった大作。残念ながら、私はごちゃごちゃしている感がしたのでそれほど引き込まれなかった。

   また壁が左手前へ90度。「使われなくなったビルの社員のイス(右)」「使われなくなったビルの部長のイス(左)」。これも男性と物との融合。タイトル通り、スーツ姿の男と椅子が融合している。両者を見比べて微妙に表情が違っている辺りが面白い。この椅子が体験したこと、あるいは融合している人物の人生観、そういったものをあれこれ考える。
   「おやじ」。コタツがひっくり返った絵。しかしやっぱり融合していて、コタツの暖かくなる部分が親父の頭。鼻より上の表情が出ていて、それは憤怒の表情だ。そしてコタツの四本の足の先にはそれぞれ両手両足がある。とてもユーモラスな作品。
   次が残骸。「残骸」。労働者と手押し車が融合してある。手押し車は倒れており、中の土砂はこぼれている。よくその土砂を見ると小さい人や車が散乱してあったり、と心象風景なのかな。手押し車のその表情は凍っていて、やるせないものになっている。「トヨタ・イプサム」。これは広告の公募作品だったらしく。カラフルかつユーモラス
   壁が左手前へ90度折れ曲がる。「待機」。病室に廃車があって、患者がそこにすわりぼーとしている。ただ病室のベッドを窓ガラスも塗装もなくなった廃車に置き換えただけなのに、味わい深く不思議な世界となっている。これもあれこれ考えこんでしまう。次が「離乳」。赤ちゃん用の格子に窮屈そうに成人男性が入っている。その表情はうつろ。口から何か駅がたれているしね。これぐらいのメッセージ性、というよりイメージの方が奥深い。
   「リハビリ」。作品の前に図録(遺作集)があって、二カ所、図録と実際の絵が違うと表記がある。探してみると、画面手前の逆さ吊りの男とつながって地面においてある点滴パックが満タンか空か、と画面奥の数人の男性がシャツを着ているかそうでないかの違い。
   「物色」。これはインパクトが強い。男性向けの週刊誌が三面あって、その上に石田さん似の顔がどかんと置いてある。顔から何かの足のように指が何本か放射状に出ている。その指は成人男性の指で毛が生えてある。物色するときの心のやらしさ、みたいなのが出ていて、そこらへんがインパクトがあるんだね……と商業的なインパクトへの皮肉もこもっていそう。

   壁は左奥へ90度折れ曲がる。「速度信仰(右)」「兵士(左)」。前者の絵は左半分がタイヤと人が融合したもの。タイヤの横からおちゃめに顔とネクタイが出ている。右半分に排水溝みたいなのがあって、ふたが一カ所あけてあって、そこにスーツ姿の人がハンドルを握って入っている。排水溝でハンドル持って運転しているつもりだろうけど、所詮、拘束されているってことかな。後者の絵は四方向ビルの空間に巨大なスーツ姿の男性が腰を下ろしている絵。ライフルのように傘を構え、左足の包帯には血がついている。ここらへん、都会の中の孤独感がよく表現されている。
   「ケイタイデンワロボとノート型パソコン少年」。スーツを着て耳の両サイドにケイタイデンワをくっつけた寂れた巨大ロボ、その右肩には白いスーツを着た男性が乗っていてノートパソコンを扱っている。これ、意味を考えると上下関係のある抑圧された構造なんだけど、「ロボ」「少年」ってあたりがほほえましく、少年が感じるような格好良さが内包されている。全体的な寂れ具合や色調でもの悲しいんだけど。
   「面接」。三対一の入社試験のような面接光景なんだけど、面接官が顕微鏡。履歴書など、すごく細かく描写されている。面接する方面接される方の心理状態が
   「社長の傘の下」。言葉→実際に絵にしてみました、みたいな絵画。澄まし顔の男性が公園の遊具っぽい鉄棒の傘を持っている。その傘の端には何人も男たちがぶら下がっていて、楽しそうに宙に浮いた両足を前後に振っている。よく見ると、男たちをつないでみると、動きが連続している。やっぱりどれも石田さん似。
   それから「飛べなくなった人」というタイトルの二作品。右にあるのは遊園地にあるような寂れた船(flying ship)と男性が融合している絵。左にあるのは遊園地やデパートの屋上にあるような飛行機を模した乗り物と男性が融合している絵。後者はこの企画展のポスターに使われたりするほど石田さんの代表作だ。
   さらに壁伝えに左奥に曲がったところに石田さんへのメッセージが書き込めるノートが設置されてあった。

   そうやって見て回ると気付いたら入り口近くまで来ていた。次は受付の右隣。まず「無題」。後で気付いたんだけど、こちらは石田さん最期の作品となったそうな。今までにないほどリアルな石田さんの絵。左腕には静脈が浮き出ている。目の前には白い机(キャンパス?)に何も入っていない箱。それから何かを暗示するような風景。さらに右には「触手」。所々傷ついている女性とクラゲの透明な触手が男性を包み込み幻想的な作品。「僻地」「無題」「不通」。ここらへんはテーマは違いそうだけど、描かれているものが似ている。前者と後者は一見、外にいる光景なんだけど、奥にマンションの扉のようなのがそびえている。
   後はそれらの壁にある絵画の手前にショーケースがあって、絵画以外の作品と原画が飾られていた。「三角形の時間」「腕時計と原画」「絵皿と原画」「タコ原画」、それから大槻ケンヂの文庫本二冊、共に石田さんの絵。

   というわけで、一通り見たわけだけど、出入り口の扉に貼ってある新聞記事を読んで、もう一回、見て回る。時計は13時過ぎだったのでにわかに人が集まってきている。
   あまり会場でもたつくと帰宅時間に響くので八分ぐらいの堪能で会場を後にする。その前に受付で「石田徹也遺作集」を購入する。ここには今回、展示されなかった作品がたくさん載っている。すでに海外へ行ってしまった作品も載っている。

   さぁ、電車の中で遺作集を堪能するぞ、と会場を後にするものの、近くの小部屋でやっていた「新日曜美術館」が気になって、結局、全部見てしまう。おかげでさらに石田さんについて詳しくなった。
   24日の再放送もまた見てしまいそう。

   それにしても会場の入り口付近のパネルに「僕の絵を見て、笑ってる、怒ってる、悲しがってる……。そういう人が同時にいるのが理想。」と書かれていたが、もっと「笑ってる」ことになる作品を見たかったと思った。
   惜しい人を亡くした。






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