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2013年9月14日(土)三国志学会 第八回大会の懇親会の席で、この件について、渡邉義浩先生に話を伺ってきました。
渡邊先生は、「これは宮川先生独自の見解と思います。宮川先生は幅広く多くの資料を読みこなして、中国の思想や哲学を肌感覚で理解して、独自の見解を持っている方でした。この見解については、宮川先生は諸葛亮が好きだったということもあっての考えではないでしょうか」
また、この見解について、どなたかと意見のやりとりをしていたとも云っておられました。その固有名詞については、聴いたのですが忘れてしまいました。
そして。
「宮川先生とは僕も交流ありましたが、厳しいけれど良い先生でした」とのこと。
これは私の想像ですが、その口調から子弟と言うほどではなくても(宮川先生と渡邊先生の年齢差は50歳近いですから)、指導というかアドバイスを受けたことはあった感じを受けました。
調べてみますと宮川先生は東海大学文学部歴史学科で六朝史教授を1968年4月〜1989年3月まで勤めておられます。
それはともかく。
一つの疑問は解けましたが。ここで新たな疑問が。
諸葛亮が好きだと、なぜそのような見解になるのでしょうか。
劉備が孔明に「国主になれ」という事を言われることは、孔明の人格を貶めるような失礼な発言ということなのでしょうか?
今にして思えば、もう少ししっかり訊いておけば良かったと後悔しています。
少し酔っていたとはいえ、せっかくの貴重な機会を逃してしまいました。
私の不覚です。
実は、渡邊先生はもう少し丁寧に説明してくださったのですが、記憶が曖昧になっている部分があるので、間違いのない部分だけ記入しました。
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