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どうも初めまして清岡です。
字(あざな)の話は三国志系の検索ワードではかなり上位にいく話だと思いますよ。
実際、わからない部分もあると思いますが、それよりファンの間であまり知られていないのかなと思いました。
▼イオンさん:
>『字』は元服してから名乗るものとちくま学芸文庫の正史三国志に書いてあるのですが、それまでは、どういうふうに呼ばれていたのでしょうか?
>幼名なのでしょうか?その割には幼名って、あまり聞かないです。
>あと、『字』は誰が、いつ頃名付けるものなんですか?
>曹繰には吉利という名前があると書いてあるのですが、どういった目的で名乗られたものなのか、それに、他の人たちの幼名て、なんだったのかとか考えると???でいっぱいです。
>何方か教えて下さい。お願いします。
そうですね、成人のときに字(あざな)がつけられるようです(参照:[#T651])
成人までの呼び方はあまり史書に載ってないのですが、「小字」などがあったようですね。
二十四史だと晋書あたりから「小字」の他に「幼名」がでてきます。だた「小字」と「幼名」が同じように使われていたかどうか不明です。
例えば、曹操の「小字」は阿瞞となります。吉利は「一名」にあたります。別名ってニュアンスなんでしょうかね。(曹操の「小字」、「一名」ともに三国志魏書武帝紀の注に引く曹瞞伝より)
ただ、この「小字」をみんなが使っていたのか、ある階級で使われていたのか、特定の地域で使われていたのか、私にはわかりかねますね。
史書に載っている分だと、載っていない人より載っている人の方がごく少ないです。
あと「呉下阿蒙」でお馴染みの「阿」+名ってありますが、これも呼び名なんでしょうかね。
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