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▼清岡美津夫:
>▼NAGAICHI Naotoさん:
>>井波律子訳『三国志演義4』(ちくま文庫)の第五十七回によると、
>>「建安十五年(210)冬、十二月三日」とあるのは、嘉靖本演義のようですね。
>>毛宗岡本にはないってことかな。
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>なるほど、三国演義の嘉靖本の方に書かれているのですね。
>もっとたどれるかもしれませんが、これほど知られた命日なので、妙に納得してしまいました。
>どうもありがとうございます。
嘉靖本を見つけだすために、ネットで「祭天地桃園結義」と検索したら、代わりに葉逢春本のDigital Imagesを見つけました。
※葉逢春本については清岡は詳しくないので、フォローよろしくです。
・BabelStone
http://www.babelstone.co.uk/index.html
※ここの→「Ye Fengchun Edition」→「Table of Contents」
で、早速、周瑜の亡くなるところ(諸葛亮三氣周瑜)を探していたのですが、亡くなるページが「NOT PHOTOGRAPHED」とでてきました(汗)
それでも周瑜が孫権にあてた遺書に今の三国演義(中央研究院のやつです。毛宗岡本?)にはない「至建安十五年冬十二月朔周瑜謹書」の文字を見つけました。
建安十五年冬十二月朔(一日)に書かれたってことですね。
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