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知識不足で込み入ったところはわかりませんが、
ちくま訳の正史三国志を読んで感じたことを記します。
もし誤認等がありましたらご指摘のほどをお願いします。
まず趙雲伝は関羽や張飛と同じ括りをされていますので、
程度の差はあっても蜀を代表する武勇があったのだろうとは思います。
ただ、趙雲の武勇を示す具体的な記述は本文中に見当たらず、
敵将と一騎討ちをした様子も特に見受けられません。
その代わり長坂橋では劉備を先に逃して甘夫人と劉禅の護衛を務めたり、
箕谷で囮部隊としての任務を受け持って被害を最小限に止めたなど、
どちらかと言えば冷静かつ粘り強い戦いぶりが特徴だと思います。
また、劉備の主騎となっていたことからも、
趙雲は信用のおける人物と判断されていたことだけは確かでしょう。
後の評価は『趙雲別伝』のエピソードですからこれら本文だけでみると、
典韋や許チョの同類とするのは流石に無理はあるかとは思いますが、
当時の武将としては平均以上の武勇を持っていたのではないかと愚考いたします。
(『趙雲別伝』が信頼における文献なら話は別でありますが)
ただ、指揮官として大軍を率いていたり政治に関与していたりはしないので、
優れた戦略眼や政治手腕があったかどうかは評価できません。
このことを「趙雲が劉備の身辺警護する人物としてうってつけの適性だった」
が故に大軍や政治運営に携らなかったのか、
それとも「武勇もあるし人格も優れてはいるが、それだけの人物」
であったかどうかは推測の域を出るものではないと思います。
(ただ、物語的には前者の方が面白いですよね)
> 近衛隊長を将軍・司令官の類としてどう評価するか
私個人の意見からしてみれば、
近衛隊長に最も求められるのは忠誠と滅私奉公の姿勢だと思います。
何しろ主君の命を守るのですから、私用や私利私欲を優先されても困ります。
また一般的に近衛兵の類は国内でも最精鋭の兵士で構成されることが多く、
これらを統括、指揮するに相応しい人格や能力は持ち合わせていないと厳しいでしょう。
ただ近衛部隊がどれ位の規模を持つかはピンからキリまでありますが、
三国時代における近衛部隊の規模がどれ程かはわかりません。
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