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ちょいとばかし目に付いたので書き込みです。
趙雲の伝に載ってるエピソードは、曹軍単騎駈けにせよ、何にせよ、評価されているのは「一身これ全て肝」の言葉通り、全て度胸の評価だけで、どこの誰かを大破した、討ち取ったというものでは無く、本当に三国演義に描かれているような、彼自身にせよ、彼の率いる部隊にせよ、その「殺傷能力」に関しては特筆されていないような気がします。
これを書くと「大軍の中を突っ切るには、相当な武芸武術がいるだろ。」といわれる方もおられるでしょうが、果たして、特に攻めてきているわけでもなく、ただ単騎でそこらを駆けずり回っているだけの騎馬武者を、『劉備捕獲』が最優先の曹操軍が相手にするでしょうか?また、趙雲が突っ切ったのは、戦法の曹純、文聘らの軽騎兵数百のはず。単騎ならば、民家、丘、林、樹木などに隠れながら、少しずつ捜索する程度のことは、なんとかできるはずです。また、曹操本隊の大軍であったとしても数万の大軍が、劉備一人を探すのに、ひとところにまとまっているわけも無く、中核を除いては、無数の捜索部隊に分割して追撃しているはずです。
つまり趙雲はそのことを、長い戦場の経験で知っていた。
知っていても、ある程度の腕前と、物凄い肝っ玉がないと実行できるものではないでしょうが、演義であるように、数万が集中している陣営のど真ん中をつっきるという、いわば「匹夫の勇」を実行するのとを比べてみれば、自ずとその状況が分かると思うのです。
従って、断定は出来ませんが、「敵を殺傷する目的」で、対呂布決死隊に参加し、いくつかの首級を挙げて帰還した典韋のようなそれとは、スケールダウンして考えるのが妥当じゃないかなぁ・・・と、某は思っております。
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