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▼清岡美津夫さん:
レスをありがとうございます。
表現が舌足らずで申し訳ありません。
『三国演義』の元になった講釈が、唐の時代にはすでに存在していて、それが晋書に影響を与えたのではないかということです。
宋代には「説三分」という講談があったという記録が雑記の中にあるそうです。
内容については、不明ですが、個人的に元代に成立した「三国志平話」のタネではなかったかと想像しています。
唐代には、講談が庶民の娯楽として成立していたという話を聞きますので、『三国志』を元にしたあ講談もあったのではないか、ということです。
なぜ、そう思ったかと云うと。
「晋書 高祖宣帝懿紀」
http://strawberrymilk.gooside.com/text/shinjo/01-1.html
王導から宣帝の行状を聞いた(東晋の)明帝は顔を寝台に伏して言った。「もしあなたの言うとおりなら、晋の国祚も長くはあるまい」。宣帝の猜疑心と残忍さとを辿るに、まさしく狼顧の相がさし示すとおりのものであった。という言葉。
また、最後の(唐の太宗李世民による)講評が、余りにも酷かったからです。
ここまで貶さなくとも、と思えるほど酷評しています。
その理由を『三国演義』というか、世間に流布していたかもしれない講談にあるのではないかと想像したわけです。
自分でもかなり無理のある論理とは思いますが、李世民がそこまで酷評したこと等が不思議だったので質問させていただきました。
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