|
初めまして、清岡と申します。
以下一文、お節介じみていてしかも目に付いた自分の書き込み[#3518]からの単なるコピー&ペーストですので、スルーしてもらって構わないのですが、[#T3517]同様、できれば投稿内容をあらわした題名にしてしていただいた方が、他の閲覧者にとって内容が把握しやすく、引いてはレスがより付きやすくなるかと存じます。
それで本題なのですが、
>そうした中で出てきた質問です。ネット上に「晋の時代になっても、河北では袁家の治世を慕う声があった」というような文章をよく見かけます。
>おそらく2次的な情報源は別冊宝島編集部の『僕たちの好きな三国志』だと思われますが、この記述の元となる歴史史料(1次史料)はなんでしょうか?
>『僕たちの好きな三国志』は、斬新な見解がある反面、人物批評で偏りがあるとも指摘されますが、どうなのでしょうか?
私自身、そういった史料を知りませんので、以下、ご存知の方が書き込みになるまでの前座みたいな書き込みになるかと思います(笑)
ネット上でそのような文章をよく見かけるということですが、私は下記のサイト「戦略」での掲示板での書き込み以外、初耳でしたので、(別に疑っているという訳ではないのですが確認のため)試しに「"袁家の治世を慕う声"」でGoogleで調べてみると、いくつか掲示板の書き込みなりサイトのコンテンツなり見られますね。
・戦略
http://www.yo7.org/
・袁家の歴史史料・出典不明 (※上記サイトの掲示板の書き込み)
http://yo7.s185.xrea.com/3594-bbs/yybbs.cgi?list=pickup&num=5197
※「"袁家の治世を慕う声"」をGoogleで検索
http://tinyurl.com/yhzkpym
普通に考えますと、選択肢の一つとして、第三者の立場となる掲示板(つまりここのサイト)に質問を書き込むよりは、そういった文章が書かれた掲示板の書き込み主なりコンテンツを作ったサイト管理人なりに、メールや掲示板を通じ質問した方が確実だと思うのですが、そこらへんを行われたのか、(素朴に)疑問に思いました。
また、「2次的な情報源」とネットからそれぞれ引用し、どういった文章なのか明らかにした方がより建設的な議論ができるかと思います。例えば、「2次的な情報源」の文章とネットでの文章とを比較するだけでも、少なくともネットでの文章がどれほど「2次的な情報源」の影響を受けているのか判りますし。
今のところ、情報が少ないので何とも言えませんが、[#T2022]のツリーを参考にすると、『後漢書』袁紹伝の注に引く袁曄撰『獻帝春秋』に「紹為人政ェ、百姓コ之。河北士女莫不傷怨、市巷揮涙、如或喪親。」とあり、また『三国志』巻五十七呉書陸瑁伝の裴松之注に「迪孫曄、字思光、作獻帝春秋、云迪與張紘等倶過江、」とあり袁曄は後漢末の人の孫世代であることなどから強引に想像してみます。
『獻帝春秋』にあるこの記述を「河北では袁家の治世を慕う声があった」と要約され、さらに『獻帝春秋』が晋代に書かれたものとし、まとめて「河北で袁家の治世を慕う声があったことが晋代まで伝承されていた」となり、それが転じて(変容して)「晋の時代になっても、河北では袁家の治世を慕う声があった」となったのかな、と想像してみました。
|
|