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【3393】「中平」年号について(地名、地方史の点から)
教えて  巫俊(ふしゅん) WEB  - 2009/3/29(日) 21:34 -

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   こんにちは。
[#1198]ツリー下段の袁紹、本初元年生まれ説、大変面白いと思いました。

私、[#3392]で三重県伊賀市にある劉備、孔明、五虎将揃いの明治二十五年奉納「絵馬」を紹介致しましたが、
「絵馬」発見のきっかけは、私が地方史研究の一環として現地で参加している「伊賀の國地名研究会」の活動に由るものでした。
そのことはいずれ詳しくまとめて紹介することがあるかもしれませんが、
とにかく人名や地名にまつわる風土の歴史といったものに興味があります。

今日は「中平」年号について調べていました。
「中平」年号は改元当初より黄巾の乱という史上有名な大叛乱に逢い、「中平」という平和で穏やかな年号とは相違して乱世と相成り、とても皮肉なものだと思います。

私は子どもの頃から何故か、「中平」という年号は変わった言葉だなと思っていました。
みなさんもそう思われてるでしょうか?それともそう変わってるとも思えないでしょうか?
感想があったら聞かせてください。


中央研究院の漢籍電子文献で調べましたところ、「中平」という姓は勿論、名前や字をもつ人物も出てこないことが明らかになりました。
もっとも、二十五史、十三経、上古漢語…、人文資料…の検索窓しか使っておりませんので、中世、近世の碑文などを研究すれば結果は変わってくるのかもしれません。

実は、日本の地方史においては、「中平」はそれなりに存在感がある姓氏です。
ウィキペディアの項目「中平 正彦」には、
―中平 正彦(なかひら まさひこ)は、日本の漫画家。高知県高知市出身―
とありますが、

高知県立図書館には、土佐国の代表的な中世勢力である中平家に関する文書が蔵書されています。
「津野中平氏由来補遺」など。
戦国の頃、中平家は長宗我部家と争乱して負け、一族の中には伊予国に逃れたものもあったと聞いたことがあります。

土佐国の津野中平氏はその先祖が、『日本書紀』仁徳天皇紀に出てくる「紀角宿禰(きのつののすくね)」に由来すると伝承され、
仁徳天皇紀によると、紀角宿禰は朝鮮半島の百済において、国郡の境の分け方やそれぞれの郷土の産物をまとめ、百済王族の「酒の君」が無礼であるとして捕縛して日本に連れ帰っています。
仁徳天皇紀には、日本に連れて行かれた「酒の君」の後日談がありまして、鷹狩りに詳しいということを仁徳天皇から認められて、「鷹甘部(たかかいべ)」の創設に尽力したとされています。

三重県の伊賀地方の南部に隣接する大洞山(下、写真)には、『延長風土記』によると「酒の君」を葬ったところであるとされ、高間見(たかまみ)の神という大変恐ろしい疫病をもたらした神がいたとされています。
鷹が群れている山であるという伝説もあり、10世紀の伊勢神宮所領関係史料にも大洞山の麓の集落「色豆(しきず、現在の奈良県御杖村敷津)」に鷹巣が置かれていたことが分かります。


つまり四国や伊賀の地方史においても、朝鮮史や中国史との関係をのぞき見ることができるのですが、
紀角宿禰の子孫には高知県の津野中平氏がいる一方で、中国史において「中平」という人物が確認できないことや、地名としても古代においては「中平」地名が皆無であることなど、調べてみた結果に驚いています。

平、安、寧といった言葉は、後漢、三国時代においても郡名、県名などで盛んに使用されていますが、「中平」という古代地名は確認されません。
戦国以前の文献における「中平」の初出は今のところ『荀子』であるようです。
『荀子』の「中平」は地名ではなく、経典の文章の中の言葉として出てきます。

後漢「中平」年号も『荀子』に由来するのでしょうか?
『荀子』以外の戦国以前文献では確認できませんでした。

『史記』の注には、集 解 鄭 玄 曰 : 「 中 平 之 人 . 」とありまして、これは殷王の庶子である微子啓の人柄を指しているのでしょうか?
ちょっとそこまでまだ調べられていません。


「中平」という地名は、

宋史/志/卷九十 志第四十三/地理六/廣南西路

又 於 南 丹 州 中 平 縣 置 砦 曰 靖 南

において、やっと確認されます。
広南西路の中平県ということですから、三国呉の広州にあたりますね。

明史/列傳/卷一百六十六 列傳第五十四/李震
攻  水 、 城 溪 、 莫 宜 、 中 平 諸 砦 , 皆 破 之 .

清史稿/志/卷七十三 志四十八 地理二十/廣西/慶遠府

龍 江 出 南 丹 北 , 為 中 平 溪 , 流 入 州 西 , 右 受 坡 旺 水 , 東 南 入 永 順 土 司 ,

と、『明史』、『清史稿』においても確認されます。

日本史においては、例えば「藤井寺市」のホームページに、
「奈良県東大寺山古墳出土の中平年号(184〜190年)を刻んだ大刀は、中国王朝から卑弥呼へおくられた品物と推定される興味深い遺物です」
http://www.city.fujiidera.lg.jp/9,1163,98,150.html

とあるように、中平年号は考古学ファンなどの間でとても興味をかきたてられるものだろうと思っています。
日本の百貨店では中平年号の古代貨幣などもかつて販売されていたそうです。


まったくの億段ですが、「中平」という地名が出てくるのが宋代と遅れるのは、後漢の中平という時代があまりにも悪名高いので、敬遠されたということが考えられるでしょうか。
「中」と「平」の合成語であるという点で、古典中国語としてもごく一般的であって良さそうな気もしますが、検索結果はそれと反した結果を示しています。
どんなことでも結構ですので、レス戴けるとうれしく思います。


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【3393】「中平」年号について(地名、地方史の点から) 巫俊(ふしゅん) 2009/3/29(日) 21:34 教えて[添付]
┗ 【3394】Re:「中平」年号について(地名、地方史の点... 清岡美津夫 2009/3/29(日) 21:57 ひと言
┗ 【3396】Re:「中平」年号について(地名、地方史の点... 巫俊(ふしゅん) 2009/3/30(月) 0:22 感謝♪

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