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初めまして清岡と申します。
私の場合、複数質問があると、全部、一度に答えようとして時間かけていると、いつの間にか、元の質問が消えていたりすることが多々あるんですが(汗)、他の人も仮にそうだとすると、いつまで経ってもレスがつかないので、とりあえず、答えられそうな分を書き込みますね。早さ優先でおおざっぱですが。
(もし変なところがあっても他の人が突っ込んでくれると期待しつつ…)
あとそれとは別にここの掲示板には書き込みの量の波があるみたいで、書き込みの少ないときは1ヶ月2ヶ月レスがつかないことはざらで、それをしらずに書き込み主さんがビックリしてしまうことが多々あります(例 [#2795][#2553][#2543])。
先日も二、三日で書き込みを消しちゃった人が居るので、メモとして残しておきました(別に特定の誰に向けた書き込みというわけではありません)。
▼ケータさん:
>【軍司馬】
>「司馬」という言葉を調べていて「各部門の軍事部門を担当する」という解説を見つけたのですが、「じゃあ軍司馬っていうのは、軍の軍事部門???」となってしまいました。
>他の解説で、「司馬=副官」というものも見ましたが……どちらが正しい(本来の)意味なのでしょうか。
>
三国志魏書張[合β]伝の冒頭にある、
漢末應募討黄巾、為軍司馬、屬韓馥。
ってやつですね。司馬は他にも、例えば三国志呉書孫破虜討逆伝の冒頭に
堅以郡司馬募召精勇、得千餘人、與州郡合討破之。
と見られるように、郡に所属する「郡司馬」ってやつもあります。
張[合β]の「軍司馬」はこれとは違って、軍に所属する司馬でしょうね。
例えば、続漢書百官志に見られる大将軍の軍隊編成だと、
其領軍皆有部曲。大將軍營五部、部校尉一人、比二千石;軍司馬一人、比千石。部下有曲、曲有軍候一人、比六百石。曲下有屯、屯長一人、比二百石。
というふうになっており、領軍には五つの部があり、部には「部校尉」と「軍司馬」がいるようですね。
また時代がさかのぼっちゃって張[合β]のころと少し違うんでしょうが、籾山 明/著「漢帝国と辺境社会 長城の風景」(中公新書1473、中央公論新社、1999年)の111ページによると(孫引きになりますが、元は 久保田文次 1988「青海省大通県上孫家塞115号漢墓出土木簡の研究─特に漢代の部隊編成を中心として─」『駿台史学』74号 だそうです)、出土木簡に見られる漢の軍団編成は、
単位 校──部──曲─官───隊──什──伍
指揮官 軍尉─司馬─候─五百将─士吏─什長─伍長
となっているとのことです。つまり「軍司馬」とはここでいう指揮官の「司馬」のことでしょうね。
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