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いままで、どこを探してもなかった、三国志演義英訳者の
C.H.Brewitt Taylorの経歴を書いたページをひょんなことから
発見いたしました。
http://www.bris.ac.uk/Depts/History/Customs/careersAH.htm#Brewitt
以下摂訳を記します。(メダル関係の記述は頭が真っ白になりました、不備がありましたらどしどし指摘ください)
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C.H. Brewitt-Taylorは1857年12月11日にイギリス、サセックス州、キングストンに生まれ、清朝時代の中国において福州船政学堂で1880年10月1日より1891年9月30日までの11年間航海術および数学の教授を努める。1891年11月1日より天津にて約5年間、通関で3級補佐官として勤務した。
1898年5月に北京検査局において中国局長補佐に任命され、1900年6月1日には副長官、1908年には長官に就任した。その年の後半、新たに設立された通関大学の副理事長としての職に1912年までの間就いた。その後1912年4月から13年4月の間理事長職を務めた後、奉天および重慶の長官を歴任し、重慶の長官を1920年10月31日までの間勤めた。Brewitt Taylorは中国学者として著名で、有名なテキストのTan Lun Xin Pianの翻訳およびHirthの中国語文語の編集および改訂に携わった。中でももっとも有名なのが三国志演義の翻訳である。3等バッジ、双龍の勲章、3分団2級階級章、Chia Ho勲章3級、使節団防衛任務の従軍記念メダル等、数多くの勲章を授与される。特に1900年の使節団包囲事件において勇敢な任務を果たしたことが銘記されている。
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意外な経歴です。伊能忠敬のように多忙な任務の傍ら大事を成し遂げた人なんでしょうか。中国に長く滞在したという以外、中国文学との接点が見えてきません。
でも研究する価値はありそうです。結構激動の時代を生きた人のようでドラマのいい題材になるかもしれません。
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