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【1710】当時の儒教的国家理念など
 黄蓉  - 2005/4/23(土) 4:35 -

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    三国でどこが正統であるか、という一般的な問いは、後漢を理念として受継いだ蜀を正統とする史観と、皇位を簒奪し実質的な支配国である魏(晋)を正統とする史観が存在します、歴史的な勝敗という意味なら正統な王朝は魏です、証明として上げられるものに歴代王朝が記す正史には、その国から見た外国を記す記述が許されます、正史三国志では魏の東夷伝が唯一存在し、もし蜀が正統なら、西南の地域について記した伝が残り、呉が正統なら南方の周辺国の記述が記されていましたか。

 結論から言うと、「正統な国家は我々だ」という極端な観念で魏、或は蜀に敵愾心を抱いていた士大夫は例外的な存在だと思います。国家の正統を基本に敵意を持つのは、特に朱子学の発想だと思うのです、当時の儒教に国家の正統を論じるものもありますが、三国時代は非常に少ないものと聞きます、また、どこが正統で閏統だいう偏った史観で歴史を見るのはとても現代の社会科学の取るべき史観ではないと思うのですが・・・

 当時はまだ漢の武帝による儒教の国教化とその理論の完成、それを国学として広めた影響の色濃かった時代です。後漢〜三国時代の儒教の統治論は「天子を頂点に、あらゆる官僚と庶民が儒教的な徳に基づき上下の秩序を保ち統率され運営されていく」というもの、これは儒家的な家共同体の理論を国家に広げたもので、その徳化(支配)を行う範囲を広げていく事が儒教的統治の理念であり目的であると記憶
しています。

 皇帝(支配者)は、徳化を行うべき人格者であることが何より重要で、孔明が漢の復興を内外に示したのは、支配者、人格者として頂点にいることを意図的でないにせよ彼は認識しており、生前に示した政治的行動が後にも優れたこととして語られるのは、儒教的理論と人格の一致という点で非の打ち所がなかったからです、敵味方に関係なく多くの士大夫に支持され、敬愛されたのも、儒教的支配者として最も理想像に近いことがあげられます。

 また、魏は呉や蜀の侵攻軍を”賊”と認識しているように、彼らを”徳化して支配化に治める”対象とみなしていたはずですから、国家の正統を前提にして争っていたとは到底考えられません。

 教育に関してですが、時期は明確でありませんが、士大夫の教育は経学を中心に、年齢に相応しい内容を順に教えていくという教授法が確立されていました。これは経学に示された内容を学び、知識の増大以上に、人格的に優れた人間になることを意図したものであり、経学そのものが実務(就職に直結)に則した勉強でもあったのです、ですから、その中に極端な観念論を教えて、無駄な時間を取らせていた
とは思えません。師匠に当る人が世を憂えることをそれとなく言った可能性はあっても、国家の正統と間違いを正す言動が社会通念として容認されたとはとても思えず。。。

 以上参考文献なしに、記憶を頼りに書きました、ここまで書いておきながら完全に正しいという意識はないので、他の方の意見や、参考文献などを参考に納得のいく認識をお持ち下さい。1年後に見直したら相当幼稚な内容だろう、という自覚がありますです(謝

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