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▼中根東竜さん:
>阿は呼び名につける接頭語のようです。漢字語源・中国語の歴史の研究家だった藤堂明保氏によれば、人名につける「阿」は親しみの意味を表す意味が有り、元々は江南の方言だったそうです。多用されるのは魏晋以降だそうですが、そういわれてみると唐詩には結構出てくるものの三国時代には呉下阿蒙位しか見当たりませんね。
>日本語に訳す時は「●さん」「●ちゃん」などとされるようです。
多用されるのが魏晋以降だと、三国時代にはなかなか見られないのも判りました。
教えて頂き、ありがとうございます。お礼、遅れてしまって済みません。
そお云えば、『谷利』と云う人も初めは孫権に『阿利』と呼ばれていたと、最近読みました。孫権ふうにいうと『利ッちゃン』ですかね(^-^)
▼ゆららさん:
> 幼い頃だと小字か、他に一般的に坊ちゃんという意味の単語
> 孫家の若君という意味だと「孫郎」
> 孝廉に推挙されてからだと「孝廉」(この時はもう字はありそうですが)
またまた有り難うございます。
孫権も『孫郎』って呼ぶンですね。なんとなく孫策だけに対して呼ぶのかと思ってました(^-^)。
『孝廉』は、服喪のお話で出て来てましたね。姓に役職等の名前と云うのもよく見かけました。役職等が無い人は『姓+郎』のほうが自然なのでしょうか?
ちょっと脱線するんですが、陳舜臣先生の秘本三国志を初めの方だけ読み始めてみたんです。
そこには張と云う同じ姓の人が知り合いになったので、「俺の事は車曳きの張と呼んでくれ。」とか、「じゃあ、俺は釣り名人の張だ。」という事が書かれていましたが、こおいう呼び方もありなんでしょうか?
>手持ちの本には小字の風習は一般庶民まで使われていたと書かれてありました。
>例としてあがっていたのが南朝の宋の武帝・劉裕(小字は寄奴)皇帝にはなってますが生まれは貧乏な下級役人です。
>時代的には三国時代よりはちょっと後ですね。劉裕は363年生まれなので割と近い方ではありますが。
一般庶民までと云う事は、(例えばで云った)孫権にも小字はあったけれど、記録には残って無いと云う事なんでしょうね。
▼ヒカルの黒髪が美しくて さん:
> はじめまして。
> 昨日の朝日新聞夕刊の陳舜臣先生の連載「六甲随筆」にて、まるでタイミングを見計らったかのように、字についての話題が出ていましたよ。
> 陳先生、このサイトを読んでいらっしゃったりして。
> それによると、「大きくなって学塾に入るとか結婚したりするとき、字をつける」と書いてありました。
はじめまして、教えて頂き有り難うございます。
朝日新聞ですか、そんなところにも書いてあるとは...。購読してるので早速探したら、朝刊でした...(TAT)
折角教えて下さったのに、すみませんι
> 私も最初はサッパリ覚えられませんでしたが、「三国志」にハマっていくと、だんだん、字でも呼びたくなっていきました。
> 「劉備玄徳」「郭嘉奉孝」「孫堅文台」「郭図公則」「張松子喬」などと、一時期、いかに字を覚えているかで、仲間うちで「三国志ファンレベル」を競ったこともありました。
> さらに、「三国志」にハマっていくと、そのような呼び方が実は間違っていることを知り、「劉玄徳」「郭奉孝」「孫文台」「郭公則」「張子喬」と、呼ばないと気がすまず、「劉備」と言われると、「不敬な!」と思い、「劉備玄徳」と言われると、「そんな呼び方はない!」と思うようになってしまいました。まるでガンコじいさん張昭のように(^-^;;)
よく判ります!覚えていく過程も楽しくなって来て、時間も忘れて夢中になってしまうんですよね。
あ、孫権とか書いてますが、普段はちゃんと孫仲謀て呼んでますよ(^-^)
本当にいろいろ、ありがとうございます。
まだ謎な部分もあるので自分でも探してみますが、なにか分かったら、また教えて下さい。
それでは、長々と失礼致しました。
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