三国志ファンのためのサポート掲示板 ※共同掲示板。話題は三国志関係。横レス歓迎。初心者モードの質問からマニアックな雑談まで
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【886】歴史系『三国志』を、ゲームの観点から ジョージ真壁 2004/4/26(月) 19:30 マニアック!

【893】Re:190年1月「董卓打倒」の時代の群雄 ジョージ真壁 2004/4/28(水) 1:43
┗ 【894】Re:190年1月「董卓打倒」の時代の群雄 清岡美津夫 2004/4/29(木) 2:12 雑談
┗ 【907】(Re)進む空想。実現の日はあるか? ジョージ真壁 2004/5/1(土) 3:05 マニアック!

【893】Re:190年1月「董卓打倒」の時代の群雄
 ジョージ真壁  - 2004/4/28(水) 1:43 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:


 どうも、真壁です。
 御意見、御指摘、どうもありがとうございました。
 勉強させて頂き、また、参考になりました。


 今回は返事を兼ねて、せっかくですので、この機会を利用して、
今まで色々と疑問に思っていた点についても、僭越ではございますが、
質問をさせていただこうと思っていおります。いつもの、長々しい私の
主張も健在です。
 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


 いちおう、システムとしては、シミュレーションで想定しています。
 私も、色々なシステムに惹かれますが、今は、「気軽に戦争を楽しめる」
という点で、私の中では評価が高いKOEIの『信長の野望 烈風伝』の
システムを頭の中で基礎として、「三国志」の本や資料を読んでいます。


>>今、ぱっと思いつくのは
>
>>190年1月「董卓打倒」
>>  袁術    南陽      魯陽    張勲・李豊・紀霊・劉詳・他
>>  張咨    南陽      宛     いたはず
>>  王叡    荊州      襄陽     いたはず
>
>このあたりが微妙ってことですかね。
>
>後漢書 孝獻帝紀だと
>
>(初平元年 是歳)孫堅殺荊州刺史王叡、又殺南陽太守張咨。
>
>初平元年(西暦190年) この年に孫堅が荊州刺史の王叡を殺し、また南陽太守の張咨を殺した
>
>ってなっていて、
>
>三国志魏書袁術伝だと
>
>董卓之將廢帝、以術為後將軍;術亦畏卓之禍、出奔南陽。會長沙太守孫堅殺南陽太守張咨、術得據其郡。
>
>(前半、省略)たまたま長沙太守の孫堅が南陽太守の張咨を殺し、袁術はその(南陽)郡を得てよりどころとした。
>
>ということなので、一月の時点では微妙ですね。
>
>張咨(南陽太守)  南陽郡  宛
>王叡(荊州刺史)  武陵郡  漢壽
>
>↑とりあえずこういう感じにしておいて、イベントか何かでそれぞれ袁術と劉表にかえるんでしょうかね。
>それから劉表のイベントで州府が襄陽に変わるんでしょうね

 御指摘、ありがとうございました。
 こちらの御指摘の件ですが、後漢の荊州の州都は、この時はまだ武陵郡の
漢壽だったのでしょうか? 陳舜臣『秘本三国志』では、「州都は漢壽から
移り、この時代は襄陽」という主旨のことを明言していましたので、つい
つい深く調べずに書いてしまいました。勉強になりました。
 私の群雄一覧も、特に地名については、このほかにも、かなりいい加減な
ことを書いているかもしれません。

 袁術については、私のイメージでは、最初は南陽の魯陽で董卓に対して
備えていて、南陽の宛が孫堅のおかげで空いたので、宛に入った、という
流れで記憶しているのですが、どんなもんでしょうか? 

 ゲームにするなら、190年でゲームが始まったところで、プレイヤー
が孫堅なら、「董卓を討つために北上するか否か」を選ぶ『孫堅北上イベント』
が起こるようにしたいところです。「可」を選べば、勝手にイベントが起こり、
王叡と張咨が謀殺され、清岡さんのおっしゃるように、孫堅が袁術と魯陽で
会見し、破虜将軍、領豫州刺吏になる、という形が理想的です。
 「否」を選ぶと、自力で北上するか、長沙でコツコツやるか、自分の力で
プレイせねばなりません。なお、孫堅でプレイしていないなら、このイベント
は勝手に起こります。


>イベントと言えば、董卓が[各隹]陽(らくよう。後漢での表記らしい)を留守にしたら、河南尹の朱雋が反乱を起こすとか、孫堅が袁術と魯陽で会見すると、破虜将軍、領豫州刺吏になるとか、長沙太守の後任に張羨が選ばれたりとか、いろいろありそうですね(例えば趣味丸出しですが・汗)

 朱雋のイベントは面白そうですねえ。KOEIの『三国志』では、朱雋が董卓の
部下として活躍し続ける傾向にあるように思えるので、そういったイベントが
あった方が、リアリティが増します。イベントでは容量的に無理なら、朱雋が
比較的董卓を離反しやすい設定にするのも一つのテです。

 長沙太守の後任ですが、直接すぐに張羨で良いのでしょうか? と申します
のは、『三国志』劉表伝の注にある、長沙太守の蘇代なる人物が気にかかって
いるからなのです。彼は何者なのでしょうか? 単に自称していただけの人
でしょうか? 『三国志集解』などでは既に否定されている人物かもしれません
ので、読んでいない私としては大きなことは言えませんが、そのへんで、
ちょっと、つまづいてます。

 ところで、つまらないことをおうかがい致しますが、[各隹]陽は、いつ洛陽に
代わったのでしょうか? 魏の都になってからでしょうか?


>それと「群雄」の考え方ですが、黄巾の乱初年〜反董卓の時期はうまく当てはまりにくいことが多いのかな、と思います。
>当人たち(太守)は、独立した勢力の主君と自覚していた人は少ないと思います。

 これは、おっしゃられる通りかと思います。
 二袁の争いくらいからでしょうか、群雄(太守)たちが群雄割拠を意識しだした
のは。
 KOEI『三国志』の「黄巾の乱」のシナリオは、ちと現実離れしているような
気がして、私としては、あまりプレイする気になりせん。


>そこらへんは何か今までにないようなゲームの概念(時代性とか帰属意識とか緊急性とか)を入れることで解消できそうな気がします。

 なるほど。それは面白いアイディアですねえ。参考になります。
 ゲームにするなら、「後漢への忠誠度」という形にするか、「後漢の威光度」
という形にして、この数値が高いと群雄は静まり、この値が低いと群雄が
好き勝手にする、という形でしょうか。


>既存のゲームと史書とのギャップを私は少し興味あります。

「既存のゲームと史書とのギャップ」についてですが、これは、書きたい
ことが山ほどあります。長くなるとアレですので、それは別の機会にまわす
ことにして、今回は、KOEI『三国志』シリーズに対して、一つだけ書かせて
いただこうと思います。

 今、一番思うことは、「董卓打倒のシナリオで、なぜ群雄・張バクでプレイ
できないんだ!」ということです。なんか知らないが、曹操の配下で、まるで
野盗と見まがう風貌です。『秘本三国志』なら、かなりイイ奴なんだけどなあ。
陳留に曹操を置かないといけない都合上から、本来の陳留太守の張バクは、
曹操の配下扱いなんでしょうが、これは、私のような張バクファンにとっては、
辛い仕打ちです。新君主で、別の張バクを作って君主にしようと思ったら、
同名の奴は作れないという。仕方がないので、弟の張超を作ってプレイする始末
です。ああ、なんと悲しいことでありましょうや。
 かつて中学生時代、『三国志2』が発売した時、友人の冷ややかな視線を横目に、
新君主でオフラを作ってプレイしたことを思い出します。『秘本三国志』で、
オフラがシブかったので、オフラでプレイ。しかし、部下もいないので、
友人たちが孫堅や曹操で国を富ませている間、セコセコと人材集めから始めて
ました。せっかく引き抜いた人材が、次のターンで取られた時は、涙が出そうに
なりました。『三国志3』では、三好徹『興亡三国志』で劉虞がイイ奴だったので、
劉虞でプレイ。今や劉虞ではプレイできるようになり、私は毎回最初は劉虞で
プレイしていますが、オフラ・張バクを君主としてプレイできないのが淋しい
限りです。

  「ギャップ」というより、単なる愚痴になってしまいました。「ギャップ」
については、また機会がございましたら、書かせて頂こうと思います。


 ということで、今回はいかがだったでしょうか?
 また、御意見、御指摘、御教授などを賜れれば幸いです。


                     ジョージ真壁

【894】Re:190年1月「董卓打倒」の時代の群雄
雑談  清岡美津夫 E-MAILWEB  - 2004/4/29(木) 2:12 -

引用なし
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   ▼ジョージ真壁さん:
>>>今、ぱっと思いつくのは
>>
>>>190年1月「董卓打倒」
>>>  袁術    南陽      魯陽    張勲・李豊・紀霊・劉詳・他
>>>  張咨    南陽      宛     いたはず
>>>  王叡    荊州      襄陽     いたはず
>>
>>このあたりが微妙ってことですかね。
>>
>>後漢書 孝獻帝紀だと
>>
>>(初平元年 是歳)孫堅殺荊州刺史王叡、又殺南陽太守張咨。
>>
>>初平元年(西暦190年) この年に孫堅が荊州刺史の王叡を殺し、また南陽太守の張咨を殺した
>>
>>ってなっていて、
>>
>>三国志魏書袁術伝だと
>>
>>董卓之將廢帝、以術為後將軍;術亦畏卓之禍、出奔南陽。會長沙太守孫堅殺南陽太守張咨、術得據其郡。
>>
>>(前半、省略)たまたま長沙太守の孫堅が南陽太守の張咨を殺し、袁術はその(南陽)郡を得てよりどころとした。
>>
>>ということなので、一月の時点では微妙ですね。
>>
>>張咨(南陽太守)  南陽郡  宛
>>王叡(荊州刺史)  武陵郡  漢壽
>>
>>↑とりあえずこういう感じにしておいて、イベントか何かでそれぞれ袁術と劉表にかえるんでしょうかね。
>>それから劉表のイベントで州府が襄陽に変わるんでしょうね
>
> 御指摘、ありがとうございました。
> こちらの御指摘の件ですが、後漢の荊州の州都は、この時はまだ武陵郡の
>漢壽だったのでしょうか? 陳舜臣『秘本三国志』では、「州都は漢壽から
>移り、この時代は襄陽」という主旨のことを明言していましたので、つい
>つい深く調べずに書いてしまいました。勉強になりました。
> 私の群雄一覧も、特に地名については、このほかにも、かなりいい加減な
>ことを書いているかもしれません。

えーと、基本的には続漢書の郡国志に依ってます。
「○○(地名)刺史治」って記述のあるところが州府のあるところだと思ってます。
あと、後漢書の劉表伝(三国志魏書劉表伝の注に引く司馬彪戰略でも可)の記述にある、[萌り]越(←漢字がうまく表現できてないんですが・汗)の進言で、劉表が襄陽を拠点にして、結果的に荊州刺史の拠点になったのかなぁ、と思いました。
それ以前の州府は武陵郡の漢壽だと、三国志呉書孫破虜討逆伝の注に引く呉録に見られる、荊州刺史の王叡と武陵太守の曹寅のエピソードも合点がいくな、と思ってました。
互いに同じ武陵郡に居ますし。


> 袁術については、私のイメージでは、最初は南陽の魯陽で董卓に対して
>備えていて、南陽の宛が孫堅のおかげで空いたので、宛に入った、という
>流れで記憶しているのですが、どんなもんでしょうか? 

なるほど、そういうイメージなのですね。
私の場合は袁術が南陽へ「出奔」したと書かれているので、勝手に軍備とかあまり備えなしに南陽へ行ったとイメージしてました(汗)

> ゲームにするなら、190年でゲームが始まったところで、プレイヤー
>が孫堅なら、「董卓を討つために北上するか否か」を選ぶ『孫堅北上イベント』
>が起こるようにしたいところです。「可」を選べば、勝手にイベントが起こり、
>王叡と張咨が謀殺され、清岡さんのおっしゃるように、孫堅が袁術と魯陽で
>会見し、破虜将軍、領豫州刺吏になる、という形が理想的です。
> 「否」を選ぶと、自力で北上するか、長沙でコツコツやるか、自分の力で
>プレイせねばなりません。なお、孫堅でプレイしていないなら、このイベント
>は勝手に起こります。

他の勢力の中での行軍スピードとかを考えると、一つのイベントではなくて、連続した複数のイベントになるのかな、と思いました。
それで結果が枝分かれしていて、変な選択すると、史実通りにならないんでしょうかね。
王叡や張咨でプレイするとさぞかしスリルがあることでしょう(笑)……うーん、怖いものみたさで選んでみたい気がします。


>>イベントと言えば、董卓が[各隹]陽(らくよう。後漢での表記らしい)を留守にしたら、河南尹の朱雋が反乱を起こすとか、孫堅が袁術と魯陽で会見すると、破虜将軍、領豫州刺吏になるとか、長沙太守の後任に張羨が選ばれたりとか、いろいろありそうですね(例えば趣味丸出しですが・汗)
>
> 朱雋のイベントは面白そうですねえ。KOEIの『三国志』では、朱雋が董卓の
>部下として活躍し続ける傾向にあるように思えるので、そういったイベントが
>あった方が、リアリティが増します。イベントでは容量的に無理なら、朱雋が
>比較的董卓を離反しやすい設定にするのも一つのテです。

朱雋ファンとしては「董卓の部下として活躍し続ける傾向にある」のは嬉しいようであり悲しいようであり複雑な気持ちです(苦笑)
まぁ、董卓側にたっても、部下の掌握は重要課題でしょうから、そういうイベントが合った方が、ゲームとして楽しめそうですね。
あと、反乱を起こす予兆として朱雋が山東の人々と内応するってのも盛り込むといいかもです。
もしプレイヤーが董卓だと、それをうまく察知し未然に防ぐことができるとか、いろいろできそうです(すみません、思いつくまま好き勝手、書いてます)


> 長沙太守の後任ですが、直接すぐに張羨で良いのでしょうか? と申します
>のは、『三国志』劉表伝の注にある、長沙太守の蘇代なる人物が気にかかって
>いるからなのです。彼は何者なのでしょうか? 単に自称していただけの人
>でしょうか? 『三国志集解』などでは既に否定されている人物かもしれません
>ので、読んでいない私としては大きなことは言えませんが、そのへんで、
>ちょっと、つまづいてます。

蘇代のことをすっかり忘れていました(汗)
そういえば、居ましたね。
「三国志集解」は見ていないのですが、適当に他の史書をあたってみたんですが、三国志魏書劉表伝の注に引く司馬彪戰略以外、私は見つけられなかったですね、蘇代って。

呉人蘇代領長沙太守、貝羽為華容長、各阻兵作亂

呉人の蘇代は長沙太守を領し、貝羽を華容長にし、各自、兵を恃み乱を起こす

という記述から、何か、賊軍のイメージを勝手にもったんですが、単に劉表と敵対しているんで、こういう書かれ方をされているのかもしれませんね。


> ところで、つまらないことをおうかがい致しますが、[各隹]陽は、いつ洛陽に
>代わったのでしょうか? 魏の都になってからでしょうか?

ぱっとは思いつかないですね。
ここらへんの記述がその時代に応じてきっちりしていればわかりそうなんですが、そうでもないですから。
何か見掛けたら、ここへ書きますね。


>>それと「群雄」の考え方ですが、黄巾の乱初年〜反董卓の時期はうまく当てはまりにくいことが多いのかな、と思います。
>>当人たち(太守)は、独立した勢力の主君と自覚していた人は少ないと思います。
>
> これは、おっしゃられる通りかと思います。
> 二袁の争いくらいからでしょうか、群雄(太守)たちが群雄割拠を意識しだした
>のは。
> KOEI『三国志』の「黄巾の乱」のシナリオは、ちと現実離れしているような
>気がして、私としては、あまりプレイする気になりせん。

できれば、ここらへんもきっちりゲームに反映させてほしいと思ってます。
別に勢力として自立していなくてもゲームとして面白いと思いますし。

プレイヤーの歴史観に変な影響を与えそうな気がしますし。


>>そこらへんは何か今までにないようなゲームの概念(時代性とか帰属意識とか緊急性とか)を入れることで解消できそうな気がします。
>
> なるほど。それは面白いアイディアですねえ。参考になります。
> ゲームにするなら、「後漢への忠誠度」という形にするか、「後漢の威光度」
>という形にして、この数値が高いと群雄は静まり、この値が低いと群雄が
>好き勝手にする、という形でしょうか。

あと「大義名分」あたりの概念も欲しいところです。
それと、皇帝でプレイできると面白いかもしれませんね。
上級者向きかもしれませんが。


>>既存のゲームと史書とのギャップを私は少し興味あります。
>
>「既存のゲームと史書とのギャップ」についてですが、これは、書きたい
>ことが山ほどあります。長くなるとアレですので、それは別の機会にまわす
>ことにして、今回は、KOEI『三国志』シリーズに対して、一つだけ書かせて
>いただこうと思います。

えー、機会があれば見てみたいですね。
そのギャップの影響で、たまにゲーム系の三国志ファンの方と話が合わないことがあったりと、つつけばいろいろ話がひろがりそうです。

> 今、一番思うことは、「董卓打倒のシナリオで、なぜ群雄・張バクでプレイ
>できないんだ!」ということです。なんか知らないが、曹操の配下で、まるで
>野盗と見まがう風貌です。『秘本三国志』なら、かなりイイ奴なんだけどなあ。
>陳留に曹操を置かないといけない都合上から、本来の陳留太守の張バクは、
>曹操の配下扱いなんでしょうが、これは、私のような張バクファンにとっては、
>辛い仕打ちです。新君主で、別の張バクを作って君主にしようと思ったら、
>同名の奴は作れないという。仕方がないので、弟の張超を作ってプレイする始末
>です。ああ、なんと悲しいことでありましょうや。
> かつて中学生時代、『三国志2』が発売した時、友人の冷ややかな視線を横目に、
>新君主でオフラを作ってプレイしたことを思い出します。『秘本三国志』で、
>オフラがシブかったので、オフラでプレイ。しかし、部下もいないので、
>友人たちが孫堅や曹操で国を富ませている間、セコセコと人材集めから始めて
>ました。せっかく引き抜いた人材が、次のターンで取られた時は、涙が出そうに
>なりました。『三国志3』では、三好徹『興亡三国志』で劉虞がイイ奴だったので、
>劉虞でプレイ。今や劉虞ではプレイできるようになり、私は毎回最初は劉虞で
>プレイしていますが、オフラ・張バクを君主としてプレイできないのが淋しい
>限りです。

ゲームではそんな風になっているんですね。
今のKOEI三国志はどうなっているんでしょうかね。やっぱりそういった制限があるんでしょうかね。
於夫羅で中原をかき回せたらさぞ爽快でしょうね。

【907】(Re)進む空想。実現の日はあるか?
マニアック!  ジョージ真壁  - 2004/5/1(土) 3:05 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:

 どうも、真壁です。
 御教授下さり、誠にありがとうございました。


 荊州の州都が武陵なら、確かに、王叡と曹寅との対立も、理解しやすい
ですね。


 『孫堅北上イベント』は、確かに、何回かに分けて行われるイベントに
なりそうです。KOEI『三国志』で言うなら、董卓・呂布の「連環の計」の
イベントみたいな感じで。

 王叡・張咨で、プレイできるようになるとしたら、難易度は結構高くなり
そうです。著名な配下がいないので、KOEI『信長の野望』で城に武将が
いない(少ない)時に登場する足軽・田吾作のような連中を使って孫堅を
防がなければならないのが、大変です。
彼ら本人自信の能力値も、あまり高くなりそうにありませんし。

 王叡の場合は、待ちに待てば、甥である、「二十四孝」の一人・王祥が一族
として登場するように設定することもできますが、おそらく常識で考えれば、
その前に滅亡しそうです。兵士数が結構多そうなのが、救いでしょうか。


 KOEI『三国志』や『信長の野望』シリーズでは、信用度、信望、威信、
などの数値がおなじみになっていますが、これはやはり、ゲームのリアリティ
のためにも必要かと思います。
 董卓が、朱雋に離反されないようにするためには、善行を積んで、「声望」を
上げるしかありません。董卓の「声望」値は、190年1月で、かなり低めが
予想されるので、内政や人心掌握に努めなければやはり朱雋は離反するでしょう。
董卓は、「声望」が低く、「威名」が高いように設定すれば、よりリアリティが
増します。


 蘇代は、私も、「賊」なイメージを持っています。ほんと、何者なんでしょうか。

 「洛陽」については、よろしくお願い申し上げます。


 「大義名分」の概念。
 これは、私も昔考えたことがあったんですが、どうゲームに反映できる
のかが、難しいところではないかと思い、今は、つまづいています。


 「皇帝」プレイ。
 昔、友人が、KOEI『三国志2』の新君主で、「劉協(献帝)」を作って
プレイしていました。それはともかく、システムをうまく考えれば、これも
不可能ではないと思います。


 歴史系『三国志』と、ゲームとのギャップについては、少しづつ書いて
いけたら、と思っております。


 というわけで、今回はかなりかいつまんで(?)述べさせて頂きましたが、
いかがだったでしょうか?
 御意見、御感想、御指摘などを賜れれば幸いです。


                   ジョージ真壁

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