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【3558】漢代・三国志時代の官職について スサノオ 2010/1/6(水) 16:15 教えて

【3577】Re:漢代・三国志時代の官職について 2010/2/3(水) 1:07
┗ 【3580】Re:漢代・三国志時代の官職について スサノオ 2010/2/9(火) 6:39
┗ 【3581】Re:漢代・三国志時代の官職について 2010/2/10(水) 3:38
┗ 【3583】Re:漢代・三国志時代の官職について スサノオ 2010/2/15(月) 7:04
┗ 【3585】Re:漢代・三国志時代の官職について 2010/2/19(金) 3:50
┗ 【3593】Re:漢代・三国志時代の官職について スサノオ 2010/2/24(水) 22:20

【3577】Re:漢代・三国志時代の官職について
   - 2010/2/3(水) 1:07 -

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    地方官,具体的には州刺史(行政官と解して),郡太守,國相,県令,県長。これらは三年単位の任期です。
 これら地方官(刺史を除く)の「守」官,「行」官はまた難しい問題になるので別にしますが。
 なお前回書き忘れましたが范曄の『後漢書』は,任命が下った時期,現地に赴任した時期の書き分けをしていません。これが若干面倒な点です。原則,任命が下ってからの計算になります。ですので後の六朝時代に見られるように,例えば三年赴任するにしても,命令が下ってから,送別会だのなんだと一年くらい都にいて,それからようやく赴任するという事も多かったでしょうから,実際は,長史等の幕僚長が実権を握ります。(これらは地元の有力者から選ばれます。この構造については濱口重國とか東晋次が論文書いています。)それは後漢の特徴で,前漢は対照的に地方長官がそのまま,実権を握っています。
 これは中国古代史に限らず近現代史でも共通していますが,上にいけば行くほど,制度的に実はよく判らないことがあります。三公九卿については任期は不明です。まぁあってないようなものでしょう。
 あと中央の二千石クラス。所謂「顕官」というやつですが,これについても不明です。具体的には,光祿勳官属(中郎將・大夫)であったり五営校尉は,名門子弟などが割り当てられるようなもなので,次のポストの繋ぎなどにもなっているので,これも期間はあってないようなものです。
 どの時代にも共通することですが,官僚に対してポストが不足するので,ある程度人材を流動化しなければいけないということもあり,中央の二千石は,流動化のためのクッション的位置づけになっています。特に光祿大夫などは三公罷免後のポスト,侍中などは名門子弟で地方勤務をする必要がない,もしくはしたくない連中にあてられたりなどしています。この辺は生活の場が京師になる云云という話になります。(これは矢野主税が論文書いてます。)
 判りやすく簡潔に整理すると以下の通りです。

三公九卿:期間あってないようなもの
中央二千石(顕官):期間あってないようなもの

地方官(牧守令長):三年単位の更新
その他六百石以下の官:原則三年単位の更新
臺閣(尚書・御史)の六百石未満の官(郎・令史):三年ないし五年単位

※ なお臺閣の六百石未満の官については,雑務多くて安月給なので,五年務めたら良い職(千石)に遷してやるから,というような規約で五年なので,また三年とか五年となることはありません。
※ また臺閣の官で,かつ尚書(六百石)は不明ですが,それ以外の六百石以下の官は「半歳(半年)」もしくは「一歳(一年)」は試用期間として「守」を称します。「守尚書郎」等。この期間が過ぎると「真拜(正式な任命)」になります。

 もっと制度的に専門的に知りたい場合は以下の論文を参考にすれば良いかと思います。

永田英正「漢代の選挙と官僚階級」(『東方学報京都』四一冊、一九七〇年)
福井重雅『漢代官吏登用制度の研究』(創文社、一九八八年)

【3580】Re:漢代・三国志時代の官職について
 スサノオ  - 2010/2/9(火) 6:39 -

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   梟さん

ありがとうございました。
孝廉⇒郎中(比三百石)⇒比六百石・四百石・比四百石⇒千石
孝廉⇒郎中(比三百石)⇒六百石⇒六百石⇒比千石⇒千石
みたいな感覚で居ればいいのでしょうか?

▼梟さん:
> 地方官,具体的には州刺史(行政官と解して),郡太守,國相,県令,県長。これらは三年単位の任期です。
> これら地方官(刺史を除く)の「守」官,「行」官はまた難しい問題になるので別にしますが。
> なお前回書き忘れましたが范曄の『後漢書』は,任命が下った時期,現地に赴任した時期の書き分けをしていません。これが若干面倒な点です。原則,任命が下ってからの計算になります。ですので後の六朝時代に見られるように,例えば三年赴任するにしても,命令が下ってから,送別会だのなんだと一年くらい都にいて,それからようやく赴任するという事も多かったでしょうから,実際は,長史等の幕僚長が実権を握ります。(これらは地元の有力者から選ばれます。この構造については濱口重國とか東晋次が論文書いています。)それは後漢の特徴で,前漢は対照的に地方長官がそのまま,実権を握っています。
> これは中国古代史に限らず近現代史でも共通していますが,上にいけば行くほど,制度的に実はよく判らないことがあります。三公九卿については任期は不明です。まぁあってないようなものでしょう。
> あと中央の二千石クラス。所謂「顕官」というやつですが,これについても不明です。具体的には,光祿勳官属(中郎將・大夫)であったり五営校尉は,名門子弟などが割り当てられるようなもなので,次のポストの繋ぎなどにもなっているので,これも期間はあってないようなものです。
> どの時代にも共通することですが,官僚に対してポストが不足するので,ある程度人材を流動化しなければいけないということもあり,中央の二千石は,流動化のためのクッション的位置づけになっています。特に光祿大夫などは三公罷免後のポスト,侍中などは名門子弟で地方勤務をする必要がない,もしくはしたくない連中にあてられたりなどしています。この辺は生活の場が京師になる云云という話になります。(これは矢野主税が論文書いてます。)
> 判りやすく簡潔に整理すると以下の通りです。
>
>三公九卿:期間あってないようなもの
>中央二千石(顕官):期間あってないようなもの
>
>地方官(牧守令長):三年単位の更新
>その他六百石以下の官:原則三年単位の更新
>臺閣(尚書・御史)の六百石未満の官(郎・令史):三年ないし五年単位
>
>※ なお臺閣の六百石未満の官については,雑務多くて安月給なので,五年務めたら良い職(千石)に遷してやるから,というような規約で五年なので,また三年とか五年となることはありません。
>※ また臺閣の官で,かつ尚書(六百石)は不明ですが,それ以外の六百石以下の官は「半歳(半年)」もしくは「一歳(一年)」は試用期間として「守」を称します。「守尚書郎」等。この期間が過ぎると「真拜(正式な任命)」になります。
>
> もっと制度的に専門的に知りたい場合は以下の論文を参考にすれば良いかと思います。
>
>永田英正「漢代の選挙と官僚階級」(『東方学報京都』四一冊、一九七〇年)
>福井重雅『漢代官吏登用制度の研究』(創文社、一九八八年)

【3581】Re:漢代・三国志時代の官職について
   - 2010/2/10(水) 3:38 -

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    普通の,というか高級官僚予備軍は,孝廉からはじまるので,そういった秩石によって,基本,三〜五年の任期で昇進していきます。

 ただ史料に残るような高級官僚になると,六百石から二千石・比二千石に昇進することもあります。
 あと就官時の年齢と関係があると思われます。例えば二十歳前後で孝廉に察挙されたり,若い頃から任子(父任)によって郎中になってる場合などは,比三百石から比四百石もしくは四百石に遷りますが,五十すぎの場合などは県令レベルの千石に遷る場合もあります。高齢でも郎中止まりの場合もあります。この辺は年齢+αでしょう。+αが何か解明できれば,学術論文一本書けるでしょう。多分,名望とか名声とか,豪族性だとか何だとか,そういうテーマと関係するものになるでしょう。
 あとは,それ以外の人事制度がいくつかあります。茂才の場合は郎中とばして県令・県長に遷れる分,より有利ですし,もっと反則的な人事制度も存在します。その辺の概要についても先に載せた論文を参照されると良いでしょう。

 特に前漢後漢は,そういった制度面が厳格に運用されていたようですから,任期とその功次昇進の過程は把握しておいて損はないですし,大半はその制度通りと見てよいでしょう。

 残念ながら,古代史において史料として現在に残るような類の人というは超高級官僚ですから,その制度の枠外にあるのも見受けられます。

【3583】Re:漢代・三国志時代の官職について
 スサノオ  - 2010/2/15(月) 7:04 -

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   梟さん
ありがとうございました。
凡その状況は分かりました。
論文の内容はNET上どこかで見れるものなのでしょうか。
それとも古書を探さないとならないようなものでしょうか?

▼梟さん:
> 普通の,というか高級官僚予備軍は,孝廉からはじまるので,そういった秩石によって,基本,三〜五年の任期で昇進していきます。
>
> ただ史料に残るような高級官僚になると,六百石から二千石・比二千石に昇進することもあります。
> あと就官時の年齢と関係があると思われます。例えば二十歳前後で孝廉に察挙されたり,若い頃から任子(父任)によって郎中になってる場合などは,比三百石から比四百石もしくは四百石に遷りますが,五十すぎの場合などは県令レベルの千石に遷る場合もあります。高齢でも郎中止まりの場合もあります。この辺は年齢+αでしょう。+αが何か解明できれば,学術論文一本書けるでしょう。多分,名望とか名声とか,豪族性だとか何だとか,そういうテーマと関係するものになるでしょう。
> あとは,それ以外の人事制度がいくつかあります。茂才の場合は郎中とばして県令・県長に遷れる分,より有利ですし,もっと反則的な人事制度も存在します。その辺の概要についても先に載せた論文を参照されると良いでしょう。
>
> 特に前漢後漢は,そういった制度面が厳格に運用されていたようですから,任期とその功次昇進の過程は把握しておいて損はないですし,大半はその制度通りと見てよいでしょう。
>
> 残念ながら,古代史において史料として現在に残るような類の人というは超高級官僚ですから,その制度の枠外にあるのも見受けられます。

【3585】Re:漢代・三国志時代の官職について
   - 2010/2/19(金) 3:50 -

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   本になっているものは,大体,まだ新品でも買えます。
あとは大きい図書館に行けば大体おいてあるはずです。
専門雑誌は購入は難しいでしょうが図書館等にはあるかと思います。

【3593】Re:漢代・三国志時代の官職について
 スサノオ  - 2010/2/24(水) 22:20 -

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   梟さん:
ありがとうございました。
まずは図書館等で探してみます。

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