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▼飛燕さん:
>実際のところですと、難しいでしょうね汗
>値段も半端ないものになりそうですから、出版されても大学などの研究機関しか手に入れられないという感じになりそうな気がします。現在汲古書院で出版されている渡邉義浩先生翻訳の『後漢書』みたいに。(一冊数万円が十冊近くも…)
>ちなみ僕は『晋書』和訳が欲しいのですが…こちらは需要もなさそうです…泣
『後漢書』が「一冊数万円が十冊近く」ですか。数十万円はきついですね。大学図書館ででも閲覧するしかなさそうですね。
>もしかするとですが、「繆」と「穆」は本当は厳密には使い分けられていたのかもしれませんが、ちょっとわかりません。僕も詳しいわけではないので…
>ただちょっと調べてみたんですが、『史記』秦本紀における秦の「ボク」公は、「繆公」となっているのが圧倒的に多く、「穆公」となっているのは一例のみです。司馬遷の参照した秦関係の原史料は「繆公」となっていたのかもしれません。それがいつしか「繆」と「穆」は通用するという事で、後世では「穆公」が一般的になった…完全に想像ですが。
>
>『三国志』に話を戻しますが、蜀書巻34に穆皇后傳が立てられています。関羽傳の「繆」と使い分けられています。また同趙雲傳には
>「於是関羽・張飛・馬超・ホウ統・黄忠及(趙)雲乃追諡、時論以為栄。」
>ともあります。
>「繆」は「穆」と通用して美諡とすることもあれば、悪い意味で取って悪諡とすることもある。これが実態なのかもしれません。ただし、不完成など若干そういう意を含ませたいときは、関羽のようにあえて「繆」として、美諡としたのかもしれません。これも想像です。そのように使い分けられていたのならば、当代の関羽の評価が垣間見えて面白い問題ではありますが、最早『三国志』に留まるものではないというものに思えます。もしかすると研究があるかもしれません。
>僕はこの道に詳しいわけでなく、あくまで『集解』にはどう書いてあるか、を言ってみただけですので、R・Fさんの要望に沿うものではなかったと思いますが、参考になっていただけたなら幸いです。
>あと、何度も申し上げてくどいかもですが、僕の『集解』訳等は間違っているかもなので、もっと多くの人にお聞きになるのがいいと思います。何しろ僕はまだ大学三年ですので…
とんでもございません勉強になりました。これを機に、自分なりに調べてみようと思います。
今回は重ね重ね本当にありがとうございました。
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