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どうも、はじめまして。
私もそれを知ったとき、ビックリしました……あ、ビックリしただけで、特に確認してないです(笑)
えーと、史書に載っていることをかきますね。
まず、荀イクの年齢。
三国志の荀イク伝、後漢書の荀イク伝とも、年齢が載ってました。
建安十七年(西暦212年)で50歳だそうです。
(亡くなり方は両史書で書かれ方が違いますかね)
逆に荀攸は三国志魏書荀攸伝の注釈にでてくる「魏書」(三国志の魏書とは別)によると、建安十九年(西暦214年)で58歳だそうです。計算すると6歳差……とよくみると、その「魏書」の文の続きに「計其年大[イク]六歳」と明記されてますね(汗)
それから、どういった血縁関係かというと、まず荀イクは後漢書荀イク伝によると、
淑─[糸昆]─[イク]
という祖父孫&親子関係だそうです。
一方、三国志魏書荀攸伝によると「荀攸字公達、[イク]從子也」ということで、荀攸は荀イクの「從子」と書かれているので、「なんだ、甥かぁ」と思ったら、そこの注釈にある「荀氏家傳」によると、どうやらそう単純じゃないようです。これによると、
曇─彝─攸
ということです。さらに読むと「彝於[イク]為從祖兄弟。」ということで、荀イクの祖父と荀彝の祖父(荀攸の曾祖父)は兄弟のようです。
まとめると、
○┬○─曇─彝─攸
└淑─[糸昆]─[イク]
という感じになるんでしょうね。
世代で区切ると、荀攸にとって荀イクは叔父、だけど、年下といった感じでしょうかね。
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