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▼さんすけさん:
>>宦官がその子弟を地方のポストにつけるってのは当時ではよくあることみたいでしたけど(あ、引用元、省きます。気になる場合は訊いてくだされ)、そういう政治的な意味合いでもあったのでしょうかね。
>ちょっとだけ調べたんですが、
>桓帝の延熹年間に、侯覧という宦官が関内侯を買って、
>その兄が益州の長官を務めてて、
>当地の金持ちを罪に陥れて、財産を没収して私服を肥やしていた、
>というのがありました。
>たぶん『後漢書』宦者列伝の侯覧伝にあると思いますけど。
>曹騰は、けっこう優秀な人材を推挙したそうですが、
>……本当のところはどんなんでしょ?
>他にも、あるでしょうか?
おぉ、そういうエピソードがあるのですね。なるほど。
根が深い問題ですね。
私が印象に残っているエピソードは同じく宦者列伝の張讓&趙忠のところです(元は後漢紀で知ったんですが)。
えーと、簡単に言うと、黄巾の乱が始まった一年目での張鈞(後漢紀では「張均」)の上書の内容です。
その上書では、黄巾の乱の原因は、十常侍が父兄、子弟、婚親、賓客を州や郡に送り込み、利益を独占したせいとのことでした。
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