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【1274】呂布はどういう意味で強かったか? Hayato 2004/9/6(月) 17:51

【1287】呂布の強さ ペテン師 2004/9/10(金) 0:18 ひと言
┣ 【1314】Re:呂布の強さ Hayato 2004/9/21(火) 14:23
┗ 【1315】Re:呂布の強さ Hayato 2004/9/21(火) 15:18
┗ 【1320】Re:呂布の強さ ペテン師 2004/9/23(木) 11:29

【1287】呂布の強さ
ひと言  ペテン師  - 2004/9/10(金) 0:18 -

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   ▼Hayatoさん:
>武帝本紀や呂布伝では、呂布は戦う度に敗北を重ねていて、彼が戦闘で勝利したという記述は僅かに二回を数えるのみです。(黒山賊攻撃と袁術撃退戦)
>よって運動神経ならともかく、将軍としては彼は全然強い部類ではなかったようですが、それでも一応当時の群雄たちからは怖れられていたようです。
>
>好戦的なうえに、ある程度の兵力を持っていて、かつ何をしだすかわからない性格を怖れられたのでしょうか。単純に「強さ」ではなさそうですが。
>それとも、彼が軍人として「強かった」ことを示す何かエピソードはありますか。

ペテン師といいます。
呂布の強さについて
呂布の強さは個人的武勇に頼ったものではなく呂布の率いた騎馬軍団が恐れられているのです。
呂布自体は将軍としての能力よりも騎兵を率いて戦局を覆す破壊力が周辺群雄に恐れられていたのであり且つ、魅力的なものであったと推測されます。
では何故、そう思うか二つほど例を挙げますと
第一に、黒山賊撃破ですけどこれは個人的武勇よりも彼の率いた騎馬軍団が賊の中に突撃を繰り返し勝利に導いたとあります。
※併州や涼州及び幽州などは辺境塞外の地であり生活習慣や弓馬武芸などが全く異なっていたのもその要因のひとつでしょう。

第二に演義も史書も採用している言葉で呂布がくびり殺される前に命乞いの言葉で「君が歩兵を率いて私が騎馬を率いたら…」というくだりがあります。
呂布自身がおのれの率いていた騎馬軍団の価値を知っており周りからのどう思われているかの評価を知っていなければいえない言葉だと思います。

以上のことから呂布+騎馬軍団=恐れられるの図式で良いのだと思います。

【1314】Re:呂布の強さ
 Hayato  - 2004/9/21(火) 14:23 -

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   >呂布の強さは個人的武勇に頼ったものではなく呂布の率いた騎馬軍団が恐れられているのです。
>呂布自体は将軍としての能力よりも騎兵を率いて戦局を覆す破壊力が周辺群雄に恐れられていたのであり且つ、魅力的なものであったと推測されます。

しかし、その証拠が殆ど全くありません。

>呂布自体は将軍としての能力よりも
>騎兵を率いて戦局を覆す破壊力が

前者が無ければ、後者は成立不能です。

>では何故、そう思うか二つほど例を挙げますと

その二件以外に記録には何の記述もないのです。

これだけの実績(うち一件はゲリラ掃討、一件は処刑寸前の自画自賛)では、呂布がどれほど強かったのか、測定するのは不可能です。
少なくとも、呂布が傑出して強かったことを示す根拠にはなりません。

彼が凡将程度の能力を持っていたことを示すことは可能ですが、彼の将軍としての能力が優れていたと主張するには、これらはあまりにお粗末なエピソードとしか言えません。

【1315】Re:呂布の強さ
 Hayato  - 2004/9/21(火) 15:18 -

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   >以上のことから呂布+騎馬軍団=恐れられるの図式で良いのだと思います。

彼が騎馬部隊(それも数十名)を率いて勝利したという記録は、僅かに一件しかなく、これのみで「呂布+騎馬軍団」という図式を主張するのは、全くもって暴論というほかありません。

それほどの騎兵運用能力が呂布にあったのならば、どうして彼は戦う度に常に負け続けたのか、説明するのが難しくなります。李カク・郭シには敗北し、曹操には敗北し、彼は他の群雄とは違い、放浪を続けなくてはいけなかった。

個人的武勇に関しては、一矢で戟に当てたという記述もありますし、そのエピソードを切り捨てても、王允も董卓も丁原も評価して親しくしていたというあたり、それ相応の実力はあったと考えて良いかもしれません。
また、数十名を率いての戦いでは、綿密な計算能力よりも、個人的武勇が全軍の士気を上げ戦闘の勝敗に影響することは良くあることです。

【1320】Re:呂布の強さ
 ペテン師  - 2004/9/23(木) 11:29 -

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   ▼Hayatoさん:
>>以上のことから呂布+騎馬軍団=恐れられるの図式で良いのだと思います。
>
>彼が騎馬部隊(それも数十名)を率いて勝利したという記録は、僅かに一件しかなく、これのみで「呂布+騎馬軍団」という図式を主張するのは、全くもって暴論というほかありません。
>
>それほどの騎兵運用能力が呂布にあったのならば、どうして彼は戦う度に常に負け続けたのか、説明するのが難しくなります。李カク・郭シには敗北し、曹操には敗北し、彼は他の群雄とは違い、放浪を続けなくてはいけなかった。
>
久しぶりに来て見たらかいてるじゃないですか〜♪
郭シ・李カクへの敗北について。曹操についてはまた今度にします。
これは直接的には呂布は敗北してないと思います。
この当時、李カクや郭シを迎撃に出た主力は徐栄と胡シンの2名ですがこの時
王允の人事の妙を得ておらず、自分が嫌っている胡シンを送り出したがタメに
不安に駆られた胡シンは徐栄を殺しその軍を吸収して李カクや郭シに投降してます。
もともとの李カクや郭シがどれほどの部隊を率いていたかわ謎ですが誇張はあれど10万の兵が長安を襲って10日で陥落したわけですよね。
孫氏には「10倍の兵力があればこれを囲み、5倍の兵力があればこれを攻め、倍すればこれを分断し、互角なら全力で戦う、劣勢なら退却し、勝算が無ければ戦わない。」というのがあります。
孤立無援の長安に対し圧倒的兵力で攻め立てているが判ると思います。
その時、呂布の騎兵部隊は長安の城内にいたわけで外部で騎馬を駆った訳でも個人的武勇を発揮したわけでもないのですよ。
騎兵の有効性は平原や山の勾配からの一撃強襲な訳で城内に居たのでは騎馬の有効性は一切ございません。

呂布は逃亡時数百騎の騎兵と共に敗走していますが戦闘に参加したのではなく小競り合い程度で逃げたという方が正しい気がします。
敗北して逃げているといいますが負けると判っていて玉砕するのは単なる犬死ではないでしょうか
敗走していてもその後の呂布には併州・司隷の部隊が付き従っており一緒に逃げた数百騎以外にもいたと推測されます。(あとで合流したのかも知れないけど)

>個人的武勇に関しては、一矢で戟に当てたという記述もありますし、そのエピソードを切り捨てても、王允も董卓も丁原も評価して親しくしていたというあたり、それ相応の実力はあったと考えて良いかもしれません。
>また、数十名を率いての戦いでは、綿密な計算能力よりも、個人的武勇が全軍の士気を上げ戦闘の勝敗に影響することは良くあることです。

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