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白崎ゆきとさん、初めましてこんばんは。朕です。
おお、そうだったんですか!
てっきり宦官以外にも入れるものだと思ってましたよ。
宦官の歴史については全然知らないのですが、性器を切断した事など浅い知識(程でもないですが…)持ってます。
紹介くださったサイトに行って来ましたが、宦官の多くは女官と結婚したんですね。
色々と知識をつけてきたつもりでお返事させていただきます。
・属官であろうと宮殿には入れない。
これは、よく考えれば分かる事ですね。
浅はかに質問を投げかけ暇を割かせてしまったこと、陳謝いたします。
敬哀皇后などは相当の美貌の持ち主であったと思われ、そんな中にホイホイ男を投げ入れたらそれはもう!大変と云うか悲惨と云うか…。
白崎さんの言を引用させていただきますが、男子禁制な後宮において男であって男でなく、人であって人でない宦官だけが入れたと云うのも、深く考えたらそれはそれは決死な覚悟であったと思われます。
となり、やっぱり劉永の教育係はさっぱりです。
MM2さんが述べたとおり、太子以外の皇子ついては重要視されなかったんですね。
確かに教育係のせいで一生を滅茶苦茶にされるなんてありえませんし、どう教育しようとも根底の意向までは変えられるものではないですから。
無為無策に国を放り投げた劉禅もそう言えると思います。
話の筋が色々と変わりましたが、劉永の事についてはこれからもネット上を巡って調べていきたいと思ってます。
お付き合いくださった皆様、ありがたく御礼申し上げます。
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