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▼USHISUKEさん:
>ちなみに、以前、Barbalさんもレスつけられていた「劉巴の経済政策」に関するスレ[#T3350]があったかと思います。
>蜀の経済政策を考えるうえでひとつの材料になるなぁ、と考えて拝読しました。
>が、いかんせん経済や政府貨幣の発行のことがよく理解できておらず…困ったときの「はてな」ということで質問をしてみたところ、幸い詳しい方に丁寧に解説いただけています(現在進行中)。
>参考になりましたら。
>http://q.hatena.ne.jp/1254524497
ほかの方の参戦がないのにわたしの自論ばかり書き込むのも肩身が狭いですが (^^;
「はてな」のリンク先、興味深く拝見しました。常々劉巴の献策が詐欺やペテン扱いされることに疑問を感じ、真っ当な施策であることを何とかうまく説明できないものかと思っていたので、大いに参考になりました。やはり、経済に詳しいかたが見ると違いますね。
ただ、一点だけ気になるので指摘させていただきたいのですが、『三国志』の「府庫充実」を「倉庫を物資で満たす」と解釈するのはあまり正確ではないと思います(これは さとうしゅう氏の訳の問題ですが)。
佐原康夫著『漢代都市機構の研究』P.130やP.163にくわしく説明されていますが、もともと戦国時代には府=文書庫・庫=兵器庫だったものがのちに財庫・宝物庫になっています。実際、手元にある漢和辞典でも「府庫:文書や宝物をしまっておくくら」(『漢字源』P.501)となっており、ただの物置き(保管庫)ではなく現代の金庫(および財政機構)を指しています。 「府庫充実」というのは単に物置きが物資で一杯になったのではなく、大きな収入を上げ宝物(資産)が蓄積された意味だと考えるべきではないでしょうか。
劉巴の献策はひとつながりではありますが、貨幣の発行益だけでこれだけの収入を上げたとは考えにくく、銭の発行=府庫充実ではなく
「まず良質な銭を発行しインフレを抑えて物価を安定させ」しかる後に「令吏為官市(公営マーケット。売り上げはすべて国庫に入るので、普通に商人から徴税するより実入りが良い)を設置して収入を増やす」、
銭の発行=物価の安定→公営マーケットが商売繁盛でメシウマ、なのだと考えます。
もしUSHISUKEさんがその通りに解釈されておられるのでしたら、わたしの勘違いです。すみません <(_ _;)>
実際、当時でも公営マーケットは珍しいものではなく、呉のハンショウ(変換めんどいのでパス;)伝で彼が占領地で商売をしていたこと、『晋書』宣帝紀で司馬懿が長安(だったかな?)に軍市を設けたこと、『後漢書・劉虞伝』での『『開上谷胡市之利,通漁陽鹽鐵之饒(上谷に胡市を開き、漁陽の豊かな塩鉄によって利益を得た)』などなど、少なくない記録が見られます。
いかん、何が書きたいのか自分でもわからなくなってきた <(゚ロ゚;)> Oh,no!
最後。ついでに脱線させていただきますが、この公営マーケット。民は安定した価格で物を買えるし、政府も短期間で収入を上げられるのですが、あまり長く続けると民業を圧迫して発展を妨げますし、いざ何か(戦争や災害)あったときに政府の定めた価格を押し付けられることにもなります。 これは塩鉄の専売制もそうですが、なるべく期間限定で実施し、徐々に制限を緩めながら民間業者を参入させるべきであるように思われます。
このように、蜀が「民と利を争う」(『塩鉄論』より)政策を導入した点をもって前回の『短期間に税収を上げることに気をとられ、ゆがんだ産業に』の部分の補足とさせていただきます。
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