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【3745】後漢紀の有る記述について 1208 2013/5/9(木) 15:13
┗ 【3747】Re:後漢紀の有る記述について 清岡美津夫 2013/5/9(木) 20:41
┗ 【3748】Re:後漢紀の有る記述について 1208 2013/5/10(金) 6:11

【3745】後漢紀の有る記述について
 1208  - 2013/5/9(木) 15:13 -

引用なし
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   >>【3739】Re:王允死後の韓遂・馬騰の動きについて     
    >>1208 - 2013/5/4(土) 19:22 -
        
    >>引用なし

    >>パスワード


     >>▼清岡美津夫さん:
>>▼1208さん:
>>初めまして。1208です
>>三国志を愛する諸兄に質問なのですが、王允が滅亡した後韓遂・馬騰が、新たに朝廷の権力者になった李カクに投降したと董卓伝には有ります。これは一体どう言う事なのでしょうか?
>>韓遂等が叛乱したと言う記述は無いのに朝廷に降伏したと言う事は、韓遂達は190年から192年のどこかで朝廷に背いたのでしょうか?
>
>
>どうも、初めまして。
>それは『三国志』巻六魏書董卓伝に
>
>是歳、韓遂・馬騰等降、率衆詣長安。
>
>この歳、韓遂・馬騰等が降り、衆を率い長安に行く。
>
>という記述ですね。
>まず韓遂ですが、『後漢書』紀八孝霊帝紀に
>
>(光和七年十一月)湟中義從胡北宮伯玉與先零羌叛、以金城人邊章・韓遂為軍帥、攻殺護羌校尉伶徴・金城太守陳懿。
>
>(光和七年十一月、紀元184年11月)湟中義從胡北宮伯玉と先零羌が叛し、金城人辺章・韓遂を以て軍帥と為し、護羌校尉伶徴・金城太守陳懿を攻め殺した。
>
>とありそこからずっと反乱勢力ですね。その経緯は『三国志』巻一魏書武帝紀建安二十年五月条注所引『典略』にも詳しく書かれています。
>
>一方、馬騰は『後漢書伝』伝六十二董卓伝に
>
>(中平三年冬)太守李相如反、與遂連和、共殺涼州刺史耿鄙。而鄙司馬扶風馬騰、亦擁兵反叛、又漢陽王國、自號「合衆將軍」、皆與韓遂合。
>
>(中平三年冬、紀元186年冬)太守の李相如が反し、韓遂と連和し、共に涼州刺史耿鄙を殺した。耿鄙の司馬の扶風出身の馬騰はまた兵を擁し反叛し、また漢陽出身の王國は「合衆將軍」と自號し、皆、韓遂と合流した。
>
>とあります。
>
>
>※参照リンク
>・西方から新たな脅威(孫氏からみた三国志25)
>http://cte.main.jp/sunshi/w/w040118.html
>
>・狄道の攻防戦(孫氏からみた三国志37)
>http://cte.main.jp/sunshi/w/w060104.html

>ありがとうございます。後後漢紀についてなのですが。

>六月,孫策を拝して會稽太守、討逆将軍と為し,(陽)侯に封じた[一].

>[一] 三國志の本伝及び注引する江表伝に拠って刪した.

>[出典:ほぼ訳!後漢紀 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei02.html]

>この記述についでですが、上記の様に三国志と江表伝を拠ったと書いています。
>と言う事は、江表伝の記述が一定の信ぴょう性を持つと袁宏は判断したと言えるん>でしょうか?


    >【3743】Re:王允死後の韓遂・馬騰の動きについて     
     >清岡美津夫  - 2013/5/9(木) 12:59 -
        
    >引用なし

    >パスワード


     >▼1208さん:
>ありがとうございます。後後漢紀についてなのですが。
>
>六月,孫策を拝して會稽太守、討逆将軍と為し,(陽)侯に封じた[一].
>
>[一] 三國志の本伝及び注引する江表伝に拠って刪した.
>
>[出典:ほぼ訳!後漢紀 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei02.html]
>
>この記述についでですが、上記の様に三国志と江表伝を拠ったと書いています。
>と言う事は、江表伝の記述が一定の信ぴょう性を持つと袁宏は判断したと言えるんでしょうか?

>こんにちわ。

>『後漢紀』巻二十九孝献皇帝紀の、

>六月、拜孫策為會稽太守・討逆將軍、封呉(陽)侯〔一〕。

>〔一〕據三國志本傳及注引江表傳刪。

>という所ですね。別に『後漢紀』の撰者、袁宏の意向に関係なく、本文で「呉陽
>侯」となっていたの(元からそうなのか書写を繰り返す中でそうなったのか不明で
>すが)を注を付けた人が、『三国志』及びその注に引く『江表伝』を参考に、
>「陽」の字を削った(括弧を付けた)という意味です。

>それとこの掲示板を見ている人の立場に立つと、元の質問と無関係なので、新た
>に作ったツリーで質問した方が閲覧しやすかったでしょうね。

では、その注釈者が江表伝は参考になると、その記述についてはいかがわしいものでは無いと判断したのですか?残念ながら私は漢文を読めないので判らないのですが、そうだったのなら注釈者が気になります。もしお判りになりましたらお教えください

【3747】Re:後漢紀の有る記述について
 清岡美津夫 WEB  - 2013/5/9(木) 20:41 -

引用なし
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   ▼1208さん:
>▼清岡美津夫さん:
>>▼1208さん:
>>>ありがとうございます。後後漢紀についてなのですが。
>>>
>>>六月,孫策を拝して會稽太守、討逆将軍と為し,(陽)侯に封じた[一].
>>>
>>>[一] 三國志の本伝及び注引する江表伝に拠って刪した.
>>>
>>>[出典:ほぼ訳!後漢紀 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei02.html]
>>>
>>>この記述についでですが、上記の様に三国志と江表伝を拠ったと書いています。
>>>と言う事は、江表伝の記述が一定の信ぴょう性を持つと袁宏は判断したと言えるんでしょうか?
>>
>>こんにちわ。
>>
>>『後漢紀』巻二十九孝献皇帝紀の、
>>
>>六月、拜孫策為會稽太守・討逆將軍、封呉(陽)侯〔一〕。
>>
>>〔一〕據三國志本傳及注引江表傳刪。
>>
>>という所ですね。別に『後漢紀』の撰者、袁宏の意向に関係なく、本文で「呉陽侯」となっていたの(元からそうなのか書写を繰り返す中でそうなったのか不明ですが)を注を付けた人が、『三国志』及びその注に引く『江表伝』を参考に、「陽」の字を削った(括弧を付けた)という意味です。
>>
>>それとこの掲示板を見ている人の立場に立つと、元の質問と無関係なので、新たに作ったツリーで質問した方が閲覧しやすかったでしょうね。
>
>では、その注釈者が江表伝は参考になると、その記述についてはいかがわしいものでは無いと判断したのですか?残念ながら私は漢文を読めないので判らないのですが、そうだったのなら注釈者が気になります。もしお判りになりましたらお教えください

こんばんわ。
わざわざツリーを変えていただきありがとうございます。

校注者は周天游だそうで、ネットで検索すると、百度百科がひっかかって、それによると、1944年生まれの方だそうです。
件の記述は『江表伝』だけでなく『三国志』も参照しており、しかもおそらく同時代の史料で「呉陽」なんて地名が見当たらないため、「陽」を削ったのであって、『江表伝』に限ったことではないですし、信憑性云々とはまったく無関係ですね。

以下、個人的意見ですが、ある史書に対して信憑性があるかないかで頭ごなしに決めつけると思考の幅が狭まって(あるいは思考停止で)損することが多いかと存じます。
信憑性あるなしありきではなくて、史書に記載のある事柄ありきで、それについて、道理に合わなかったり他の史書の記述と矛盾する場合があれば、初めてその事柄だけについて信憑性のあるなしやその度合いを検討すれば良いかと存じます。
話に上がる『江表伝』についても、信憑性がないと頭ごなしに決めつければ、『江表伝』にしか記述のない、赤壁の戦いでの風向きの東南も、呉下の阿蒙に非ずも、周瑜と孫策の義同断金な関係も、「信憑性がない」の一言で片付けられてしまいますし。

【3748】Re:後漢紀の有る記述について
 1208  - 2013/5/10(金) 6:11 -

引用なし
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   ▼清岡美津夫さん:
>▼1208さん:
>>▼清岡美津夫さん:
>>>▼1208さん:
>>>>ありがとうございます。後後漢紀についてなのですが。
>>>>
>>>>六月,孫策を拝して會稽太守、討逆将軍と為し,(陽)侯に封じた[一].
>>>>
>>>>[一] 三國志の本伝及び注引する江表伝に拠って刪した.
>>>>
>>>>[出典:ほぼ訳!後漢紀 http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/4838/koukanki-kentei02.html]
>>>>
>>>>この記述についでですが、上記の様に三国志と江表伝を拠ったと書いています。
>>>>と言う事は、江表伝の記述が一定の信ぴょう性を持つと袁宏は判断したと言えるんでしょうか?
>>>
>>>こんにちわ。
>>>
>>>『後漢紀』巻二十九孝献皇帝紀の、
>>>
>>>六月、拜孫策為會稽太守・討逆將軍、封呉(陽)侯〔一〕。
>>>
>>>〔一〕據三國志本傳及注引江表傳刪。
>>>
>>>という所ですね。別に『後漢紀』の撰者、袁宏の意向に関係なく、本文で「呉陽侯」となっていたの(元からそうなのか書写を繰り返す中でそうなったのか不明ですが)を注を付けた人が、『三国志』及びその注に引く『江表伝』を参考に、「陽」の字を削った(括弧を付けた)という意味です。
>>>
>>>それとこの掲示板を見ている人の立場に立つと、元の質問と無関係なので、新たに作ったツリーで質問した方が閲覧しやすかったでしょうね。
>>
>>では、その注釈者が江表伝は参考になると、その記述についてはいかがわしいものでは無いと判断したのですか?残念ながら私は漢文を読めないので判らないのですが、そうだったのなら注釈者が気になります。もしお判りになりましたらお教えください
>
>こんばんわ。
>わざわざツリーを変えていただきありがとうございます。
>
>校注者は周天游だそうで、ネットで検索すると、百度百科がひっかかって、それによると、1944年生まれの方だそうです。
>件の記述は『江表伝』だけでなく『三国志』も参照しており、しかもおそらく同時代の史料で「呉陽」なんて地名が見当たらないため、「陽」を削ったのであって、『江表伝』に限ったことではないですし、信憑性云々とはまったく無関係ですね。
>
>以下、個人的意見ですが、ある史書に対して信憑性があるかないかで頭ごなしに決めつけると思考の幅が狭まって(あるいは思考停止で)損することが多いかと存じます。
>信憑性あるなしありきではなくて、史書に記載のある事柄ありきで、それについて、道理に合わなかったり他の史書の記述と矛盾する場合があれば、初めてその事柄だけについて信憑性のあるなしやその度合いを検討すれば良いかと存じます。
>話に上がる『江表伝』についても、信憑性がないと頭ごなしに決めつければ、『江表伝』にしか記述のない、赤壁の戦いでの風向きの東南も、呉下の阿蒙に非ずも、周瑜と孫策の義同断金な関係も、「信憑性がない」の一言で片付けられてしまいますし。

そうですね、判りました。以後は気をつける事にします。ご教授ありがとうございました

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