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こちらの掲示板にはいつもお世話になっております。
上でゆららさんが丁寧にお答えになっているので、余計なことかと思いますが、たまたま読んでいた宮崎市定『九品官人法の研究』で方言について言及された一文があったので、紹介します。
「(東晋の)元帝の江南政権が確立すると、南方土着の貴族は第二流の位に置かれた。これには言語の相異という理由もあったらしい。建康の朝廷では北方の言語を用い、南方の呉語は方言として退けられたので、呉語の訛りのある南方貴族は田舎漢として軽蔑されたのであろう。」
「南朝の国都では北方中原語を標準としたので、官僚になると土着人も北方官話を用いるのを普通とした。」
三顧の礼の時期より百年くらい後のことですが、言語は急激に変化するものではないと聞きます。ご参考程度に・・・
それから、完全に後の時代の話ですが、清朝の官僚は北京官話(?)という共通語で会話したそうです。北京地域の言葉と文語をベースとしたもので、人によっては、文語でしゃべった士人もいたそうです。
読み書きが出来る支配者層ならば、文語という共通言語があったので、口語だけの庶民よりは会話しやすかったのではないでしょうか。
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