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ありがとうございます!
袋でもってかえり木曷の内容で分配みたいな形だったんですか・・・なるほど勉強になりました。
▼清岡美津夫さん:
>こんばんわ。
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>>Q3、将軍幕僚の俸給は誰がどこで出すのか(将軍個人であつめた人事なので自腹なのか、派遣先の辺境へいってるなら最寄の兵站所になっている太守とかが一時的に肩代わり?)
>>
>>Q4、Q3に続いてそもそも(官吏の)俸給一般はどこで誰がどのタイミングで渡してるのか
>>
>>以上です。よろしくお願いします。
>
>Q4についてですがここでもたびたび出てくる(というか私が引いているのですが)籾山明『[#?漢帝国と辺境社会]』(中公新書 1999年)のp.122によると、前漢の辺境の下級官吏についてですが、佐原康夫「居延漢簡月俸考」(『古史春秋』5号、朋友書店1989年)を参考文献に、「まず俸給は食糧と同じく、支給を受ける側の代表が支給する機関(都尉府もしくは候官)まで出向いて受け取った。」とし、その一例として木簡の「第廿候史良、詣官受部吏奉。三月乙酉平旦入。」という文を挙げています。さらにp.123で「こうして受け取った俸銭は、袋に入れて各部へ持ち帰られた。次に引く一枚は、そうした月給袋に付けた[木曷]であろう(図25)。」とあります。
>
>※[木曷]について書かれた文字について
>--引用開始-----------------
> 候史吏已取
>呑遠部 呑北燧長為已取 今取三千六百
> 萬年燧長已取
>--引用終了-----------------
>
>三国は漢代の制度をある程度引き継いでいますので、(特別変更の理由もなければ)今回の場合もおおむねこんなところだろうと思います。
>
>※居延漢簡については下記サイトで検索可能
>・文物圖象研究資料庫 全文檢索
>http://saturn.ihp.sinica.edu.tw/~wenwu/search.htm
>※関連記事
>http://cte.main.jp/newsch/article.php/413
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