|
>ペテン師 さん
>巫俊(ふしゅん) さん
>むじん さん
>清岡美津夫 さん
レスをありがとうございます。返事が遅れて申し訳ありません。
>巫俊(ふしゅん) さん
>私的な感覚としましては、「儒教的」って括りでの判断が曲者というか、儒教といっても前漢の学、西晋の学、南宋の朱子学それぞれで全然違うものでしょうし、それ以前に生活習慣と原典経典とは違うものですしね。
>同時代や別の時代の儒教の解釈を見て、当否を判断することになりますが、別の人の意見を元にするんですからどこまで信用できるかは分かりません。
>儒教がどうだとか言ってる最大の陣営は南北朝隋唐の史家か宋代の史家なんで、ちょっと参考にし過ぎると古代史的には研究になりません。
指摘ありがとうございます。云われてみると、確かにそうですね。「儒教的」という表現は少し考えが足りませんでした。当時は、皇帝の兄・叔父はどう呼ばれていたか、と表現するべきでした。
しかし、そうなると、
>『晋書』武帝紀に、
>封 皇 叔 祖 父 孚 為 安 平 王 , 皇 叔 父 幹 為 平 原 王 ,
と記されていても、実際にそう呼ばれていたかどうか、の参考にならない可能性もありますね。『晋書』は唐代に作られたものですから。
そうやって考え出すと、混乱が増殖していく一方ですね。
>在位中の皇帝個人って「至尊」でしたっけ?
>皇帝個人よりその遠祖の方が偉いに決まってるというのは、私の先入観なんでしょうか^^
確かにそうですが、この場合は、生きている人限定でお願いします。遠祖ならまだしも、天帝とか孔子とかを考えると収拾が付かなくなります。
そうでなくとも、頭が混乱中です。孫ぽこさんのサイトで、儒教はタブーという言葉の意味が実感しています。自分で振った話題ながら少し後悔しています。
>ペテン師 さん
>この問題は親に対する孝と国家の指導する立場の威との板挟みが問題なのでしょう。
そうなんですね。それが本質ですね。私と公。現実と建前(思想)ともいえます。
落とし所をどこにするか、どこで折り合うか、ということでしょう。
その意味では、
>黄朗は当然使役する側にいるので、官職で呼ぶべきなのですが、黄朗は姓又は字で呼んでいるとあります。
が妥当なようですね。
>むじん さん
>あまり関係のない話題で恐縮ですが、北宋の時代に「濮議」という論争が起こったことがあります。
これは、現実と建前(思想)で折り合いが付かなかった例ですね。
けれど、儒の思想が漢より更に強固であったはずの北宋で、王伯派・皇考派という呼称で議論された、ということは現実に「皇叔」という呼び名があってもおかしくないような気もしてきます。
それとも、生者でないならよいのでしょうかね。
疑問は深まるばかりです。
>清岡美津夫 さん
>『晋書』武帝紀の記述は司馬炎が皇帝に即位したことを承けて、まさに血縁で近い者が王に封じられている史書での記述でしょうね(※念のため書くと、そこでの「皇叔父」は当時の呼称ではなく史書上での記述ですね。
と、いうことですし。
史書の会話文で、「皇叔父」のような表現があればもう少し明解なんでしょうが。
少し混乱した文章で申し訳ありません。
ご教示頂いたことを元に、もう少しゆっくり考えて見ます。
(素性のあやしい)劉備が「劉皇叔」と呼ばれていなかったことは云えても、「皇叔」という表現自体はありえない、と断言できないことはわかりました。
いつもややこしい質問ばかりで申し訳ありません。
ありがとうございました。
|
|