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▼清岡美津夫さん:
>以前、後漢の蔡[巛/邑](サイヨウ)の『獨斷(独断)』を見ていて[#2789]、その質問の答えに近いものを見かけて気になっていたんですが、そのままちゃんと読まずに現在に至ってます。その部分を下記に引用しておきます。
『獨斷』は難しいですね。一見、簡単そうに見えるのですが、普通の漢和辞典では意味が載っていない単語が随分出てきます。といって、諸橋大漢和は持っていません。欲しいけれども置き場がない(笑)
以前、図書館で芸文印書館の百部叢書集成『獨斷』影印本を見つけてコピーして訳してみたのですが、一部分しか訳せず、結局、福井重雅編『訳注西京雑記・独断』東方書店(2000年)のお世話になりました。
以下の訳文は、この訳注本を参考にして、私なりに訳したものです。同書の訳文には、私にぴったりこない箇所もあるし、まあ、翻訳は百人百様ですから……(汗)
なお、引用文の修正は原則として影印本によりました。ただし、群と羣(影印本)のようなものは修正していません。
>凡群臣上書於天子者有四名一曰章二曰奏三曰表四曰駁議
群臣の天子への上書には、章、奏、表、駁議の四種類がある。
>章者需頭稱稽首上書謝恩陳事詣闕者也
修正:詣闕者也 → 詣闕通者也
「章」は、文頭を字下げし、文末に「稽首」と記す。皇帝の恩恵に感謝し、意見を述べるもので、宮中に参内して提出する。
※「需頭」とは文頭を一字ないし二字下げることで、皇帝の裁可が必要な書類の場合に行われるものだそうです。ですから「章」と「奏」は「需頭」しますが、「表」は裁可が必要ないので「需頭」しないそうです。「駁議」については『独断』に「需頭」についての記載がないので、はっきりしませんが、裁可が必要なはずなので「需頭」したのではないかと思います。
>奏者亦需頭其京師官但言稽首下言稽首以聞其中者所請若罪法劾案公府送御史臺公卿公尉送謁者臺也
「奏」もまた字下げする。その京師の官は文頭にただ「稽首」と記し、文末に「稽首以聞」と記す。
もし罪法や弾劾の内容が公府に関するものであれば御史台に送り、公卿や公尉に関するものであれば、謁者台に送る。
※ 京師の官でない場合はどうなるのか分かりません。上奏は京師の官だけしかできなかったのかも知れませんが、ちょっと納得がいきません。
>表者不需頭上言臣某言下言臣某誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪左方下附曰某官臣某甲上文多用編両行文少以五行詣尚書通者也公卿校尉諸將不言姓大夫以下有同姓官別者言姓
修正:有同姓官別者言姓 → 有同名官別者言姓(訳注本により修正)
「表」は、字下げせず、文頭に「臣某言」と記し、文末に「臣某誠惶誠恐頓首頓首死罪死罪」と記し、左下に「某官臣某甲上」と付記する。
文が長ければ(木簡を)編んで二行書きとし、文が短ければ五行書きとして尚書に提出する。
公卿、校尉、諸將は姓を書かない。大夫以下で同名同官のものがあれば姓を書く。
※ 長い場合は二行書きしかせず、短ければ五行書きするというのは、長い場合は木簡を編むにしても、ちょっと納得しにくいものがあります。
ちなみに、裴松之の「上三國志注表」には「臣松之言……臣松之誠惶誠恐頓首頓首死罪謹言。元嘉六年七月二十四日。中書侍郎西郷侯臣裴松之上」と記載されています。「死罪死罪」が「死罪謹言」になっていますが、それ以外は、この書式にかなっています。
>章曰報聞公卿使謁者[才采]大夫以下至吏民尚書左丞奏聞報可表文報巳奏如書凡章表皆啓封其言審事得[白/七]嚢盛
修正:[才采] → 將
「章」に対しては、提出者に上聞することを伝え、提出者が公卿の場合は謁者が、將・大夫以下吏民までの場合は尚書左丞が皇帝に奏聞し、裁可されたら提出者に伝える。「表」に対しては、提出者に既に皇帝に伝えたと文書で知らせる。
通常、「章」や「表」は皆、封を開いて提出するが、その内容が審事(機密を要する事柄)の場合は、黒い袋に入れて提出することができる。
>其有疑事公卿百官會議若臺閣有所正處而獨執異意者曰駁議駁議曰某官某甲議以為如是下言臣愚[(章(夂/貢))/心]議異其非駁議不言議異其合於上意者文報曰某官某甲議可
その内容に疑義がある場合は、公卿百官が会議をする。
台閣の決裁に異議がある場合の文書を「駁議」という。「駁議」は「某官某甲議して思えらくかくの如し」記し、文末に「臣愚トウにして議異」と記す。「駁議」でなければ「議異」とは記さない。それが上意に合う場合は「某官某甲の議は裁可する」と文書で知らせる。
>漢承秦法群臣上書皆言昧死言王莽盗位慕古法去昧死曰稽首光武因而不改朝臣曰稽首頓首非朝臣曰頓首再拜公卿侍中尚書衣帛而朝曰朝臣諸營校尉[才采]大夫以下亦為朝臣
修正:衣帛 → 衣[白/七](訳注本の注により修正)、
[才采] → 將
漢は秦の法を継承して、群臣の上書は皆「言昧死(死罪に当たるようなことを申し上げます)」と記した。王莽は位を盗むと、古法を慕って「昧死」をやめ「稽首(跪いて頭を地について拝礼いたします)」とした。光武帝はそのまま改めなかったので、朝臣は「稽首頓首」と記し、朝臣でないものは「頓首再拜」と記す。
公卿・侍中・尚書の黒い衣服を着て参朝する者を朝臣という。諸営の校尉・將・大夫以下もまた朝臣とされる。
以上から、上書の内、「章」は申請書、「奏」は弾劾書、「表」は報告書、「駁議」は異議申立書、となりそうです。
>あと上疏ですが、南朝梁の劉[羯ラ]の『文心雕龍』の奏啓第二十三だと
>
>自漢以來、奏事或稱上疏。
>
>となっていて、上奏の別名でしょうか……?
上奏が弾劾だとすると、奏事と上奏は違うような気がします。上疏は上章か上表かといった感じじゃないでしょうか。
手元の漢和辞典(角川新字源、旺文社の漢和辞典もほぼ同じ)を見ると、
上書:天子に手紙・文書をたてまつる。またその文書。
(同)上疏、上表
上章:(不載)
上表:意見を書いた文書を天子に提出する。またその文書。
(同)上書、上疏
上奏:天子に意見を申し上げる。
駁議:(不載)
上疏:天子に箇条書きの文書を差し出す。またその文書。
(同)上書、上表
奏事:(不載)
となっていますが、『独断』の解釈には、まるで参考にならないですね。
本当は『三国志』『後漢書』『晋書』あたりの用例を調べて『独断』の記載と照合すればよいのでしょうが、ちょっとその気力はないです。
委面如墨
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