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青木朋さん、こんにちは。
いろいろ言いたいこともあるのですが、MM2さんがレスをしていない司馬昭のことについて指摘させていただきたいと思います。
>1.司馬師と司馬昭がいつから魏に仕官し始めたのか、晋書本紀以外の情報をご存知の方がいらっしゃったらお教えください。
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> 司馬師は『晋書』景帝紀に「魏景初中,拜散騎常侍」とあります。景初年間(237〜239)に散騎常侍で起家したのでしょうか。散騎常侍(三品)は起家官としては高位すぎるのでは? 三十歳で初出仕? などビミョーに疑問なのですが。
> 司馬昭は文帝紀に「魏景初二年、封新城郷侯。正始初、為洛陽典農中郎將。」とあります。典農中郎將は、手元の資料では六品なのですが、兄に比べこの格差は・・・?
手元の資料というのはおそらくむじんさんがUPされている洪飴孫『三国職官表』のことかと思いますが、洪飴孫『三国職官表』が典農中郎將を「六品」としているのは約700年後の宋代の『冊府元亀』の記述からです(他の魏品は唐の『通典』からなので、魏の官品を云々するには、常に一定の不確かさがあると私は考えています。というか『冊府元亀』を小一時間見たのですが「第六品」という記述は見当たらず・・・↓)。この典農中郎將は『続漢書』百官志に「曹公置典農中郎將,秩二千石.」とあり、宮崎市定先生の『九品官人法の研究』によれば、漢秩の二千石は、魏品の四品or五品に相当します(同書、第二表)。五品は、父親が第一品の官位のものの子が起家官として与えられる官(『九品官人法の研究』)なので、相応しいと思います。
また世継ぎである司馬師と格差があるのは当然かと思います。たとえば『晋書』武帝紀に魏の斉王が即位した際、司馬懿に対する処遇に関して「以世子師為散騎常侍,子弟三人為列侯,四人為騎都尉.帝固讓子弟官不受.」とありますので(って、「以世子師為散騎常侍」とあるんですよね・・・)
とりあえず、レス逃げ。ご参考までに。
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