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既に議論は終了しているようですが、誤解があるようですので
以下に指摘します。
▼ペテン師さん:
>趙雲の武勇…ないっしょ。
陳寿の正史三国志の趙雲伝本文を読まれたのでしょうか。
「長坂に於いて劉備の妻子を救ったこと」は陳寿はキチンと書いていますね。
また、勇猛な武将であったと陳寿本人が末尾の評において述べていますね。
>演義では(日本の趙雲像は)兎に角カッコ良く、颯爽と現れて敵をバッタバッタ倒す人物ですが、実際は単なる猪武者以上のものではありません。
趙雲が猪武者だという根拠は陳寿の正史三国志の趙雲伝本文には有りませんね。
「趙雲・トウ芝の兵は弱かった。敵は強かった。しかし箕谷に於いて兵士をまとめて固く守ったので大敗にはならなかった」というのが、実は正史本文における唯一の
趙雲の将軍としての戦績なのですが。
>趙雲伝の殆どを占めているのが趙雲別伝という『家伝』であり、お家のご先祖様の功績を輝かせようと書くものです。
趙雲別伝=『家伝』という根拠は何を根拠にそうおっしゃるのでしょうか。
趙雲別伝の素性は厳密には不明です。また、趙雲は子孫もどうなったのかわかりません。趙雲の子孫すら明瞭でない状況において家の先祖を顕彰する目的の文書が作られ、劉宋の宮廷に入るというのは非常におかしなことではないかと思います。別伝の作者は誰か不明としておいたほうがいいでしょう。
>ですから内容的にはハッタリがあると思うべきでしょう。
>陳寿自身、列伝を良く書いて欲しければ金を出せみたいなことを平気でしてますから…
>『別伝』は裴松之はあとから加えたものであることはいうに及ばず、趙雲の生前からそんなに評価は高くなかったというのが本当のところではないでしょうか。
生前から評価が高くなければ、素性不明、一介の騎兵隊長に過ぎなかった趙雲が中護軍・征南将軍までのぼり詰めることはなかったでしょう。征南将軍は九品官人法においては官品二品、国務大臣クラスの役職で、通常の庶民では絶対になれない官職です。
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