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【2450】趙雲の武勇について? 田舎もの 2006/8/19(土) 19:41 教えて

【2511】いい加減なことを書くのはいけないですね 中根東龍 2006/9/24(日) 10:06
┣ 【2514】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね むじん 2006/9/24(日) 16:12
┗ 【2515】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね ペテン師 2006/9/25(月) 0:31
┗ 【2520】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 孫ぽこ 2006/9/25(月) 21:46
┗ 【2530】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 夏侯惇 2006/9/26(火) 20:22 多分…
┗ 【2537】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 通りすがり 2006/9/29(金) 13:38
┗ 【2552】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 叔嗣(しゅくし) 2006/10/13(金) 20:47 ひと言
┗ 【2564】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 巫俊(ふしゅん) 2006/10/22(日) 17:42
┣ 【2565】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね 徳本 2006/10/23(月) 23:52 多分…
┗ 【2566】Re:いい加減なことを書くのはいけないですね たぬ 2006/10/24(火) 9:39

【2511】いい加減なことを書くのはいけないですね
 中根東龍  - 2006/9/24(日) 10:06 -

引用なし
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   既に議論は終了しているようですが、誤解があるようですので
以下に指摘します。

▼ペテン師さん:
>趙雲の武勇…ないっしょ。

陳寿の正史三国志の趙雲伝本文を読まれたのでしょうか。
「長坂に於いて劉備の妻子を救ったこと」は陳寿はキチンと書いていますね。
また、勇猛な武将であったと陳寿本人が末尾の評において述べていますね。

>演義では(日本の趙雲像は)兎に角カッコ良く、颯爽と現れて敵をバッタバッタ倒す人物ですが、実際は単なる猪武者以上のものではありません。

趙雲が猪武者だという根拠は陳寿の正史三国志の趙雲伝本文には有りませんね。
「趙雲・トウ芝の兵は弱かった。敵は強かった。しかし箕谷に於いて兵士をまとめて固く守ったので大敗にはならなかった」というのが、実は正史本文における唯一の
趙雲の将軍としての戦績なのですが。

>趙雲伝の殆どを占めているのが趙雲別伝という『家伝』であり、お家のご先祖様の功績を輝かせようと書くものです。

趙雲別伝=『家伝』という根拠は何を根拠にそうおっしゃるのでしょうか。
趙雲別伝の素性は厳密には不明です。また、趙雲は子孫もどうなったのかわかりません。趙雲の子孫すら明瞭でない状況において家の先祖を顕彰する目的の文書が作られ、劉宋の宮廷に入るというのは非常におかしなことではないかと思います。別伝の作者は誰か不明としておいたほうがいいでしょう。

>ですから内容的にはハッタリがあると思うべきでしょう。
>陳寿自身、列伝を良く書いて欲しければ金を出せみたいなことを平気でしてますから…
>『別伝』は裴松之はあとから加えたものであることはいうに及ばず、趙雲の生前からそんなに評価は高くなかったというのが本当のところではないでしょうか。

生前から評価が高くなければ、素性不明、一介の騎兵隊長に過ぎなかった趙雲が中護軍・征南将軍までのぼり詰めることはなかったでしょう。征南将軍は九品官人法においては官品二品、国務大臣クラスの役職で、通常の庶民では絶対になれない官職です。

【2514】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 むじん  - 2006/9/24(日) 16:12 -

引用なし
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   すみません、一つだけ。

▼中根東龍さん:
>生前から評価が高くなければ、素性不明、一介の騎兵隊長に過ぎなかった趙雲が中護軍・征南将軍までのぼり詰めることはなかったでしょう。征南将軍は九品官人法においては官品二品、国務大臣クラスの役職で、通常の庶民では絶対になれない官職です。

蜀は漢制を引き継いでいるので、九品官人法が当てはまらないケースがままあります。漢制では前後左右将軍の位が高く、四鎮がそれに次ぎ、四征はその次と、私は認識しています。もちろん、それでもかなりの高位には違いありませんので、論旨には賛成です。

【2515】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 ペテン師  - 2006/9/25(月) 0:31 -

引用なし
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   ▼中根東龍さん:

>陳寿の正史三国志の趙雲伝本文を読まれたのでしょうか。
>「長坂に於いて劉備の妻子を救ったこと」は陳寿はキチンと書いていますね。
>また、勇猛な武将であったと陳寿本人が末尾の評において述べていますね。
>
陳寿の正史読んでますがなにか。
「長阪に於いて妻子を救った」ことはかいてますねー。でもコレはっきり言って全然する必要ないことです。
このようなことは劉禅が帝位についたから目がいくだけのことであって、逃亡する時に妻子を置き去りなんていうのは昔からありますし、劉備など何度妻子をなくしています。劉邦も逃げる為に子供を落とすなど平気でしています。
妻子に関しての扱いなど実に軽いものです。
この時、本来守るべきは主君である劉備であり赤子ではありません。

趙雲が果敢、勇猛に戦ったのは箕谷で戦ったから『子竜一身胆なり』の言葉を頂いていますが、遭遇戦に於ける負け戦です。
敵が引いて帰っていくのですから多勢に無勢であるなら大人しくしていれば良いものを敵に突っ込み少しばかりの戦果を挙げることをしています。
生き残っているから誇張されるものの相手が押し寄せてきたら陣営の武将どもも全滅している可能性もあるのですが、考慮しているとは思えませんね。
個人的勇であり、戦死していれば単なる匹夫の勇になりかねません。

また、趙雲は一時的に劉備の江南平定時に桂陵太守になっていますが、それ以降死ぬまで本官には就けていません。
蜀平定時も翊軍将軍という雑号にはなっていますが、それだけです。
あの馬謖や孟達・向朗などが太守になっていても、趙雲は県令や県丞すらにもなれていない所を見ると太守とするには能力不足だったのではないかと勘ぐりたくなる所です。

>生前から評価が高くなければ、素性不明、一介の騎兵隊長に過ぎなかった趙雲が中護軍・征南将軍までのぼり詰めることはなかったでしょう。征南将軍は九品官人法においては官品二品、国務大臣クラスの役職で、通常の庶民では絶対になれない官職です。

此処についてはむじんさんが僕が言うべきことを少しばかり代弁してくれてますのであまり書くところがないけどとりあえず書く。
しかし、魏の九品をそのまま適用して考えられるとはねー。これこそ『いい加減なことを書くのはいけないことです』ですね。
中護軍・征南将軍になったのは223年です。
このときの蜀に残っている最古参といえば劉琰か趙雲だけです。
中国は古参や年長者にたいする礼もあるのでしょうが、趙雲がその地位につけたのは赤子の時に助けられた。その一字にかかっているものと思います。
魏でいう賈詡みたいなもので、その恩に報いた形の現れでしょう。
蜀における四征将軍はこの頃って雑号の一種ではなかったっけの〜★
それに四征将軍より、この場合は中護軍の方が意味があるように思われるんですがね…

中根殿 
猪武者などとは一言も正史に書いていませんが、他の武将と比較して考えた時に古参の類でありながら大軍を率いたこともなく、仮節もなく、太守でもない。
そのような所を加味して単なる猪野郎という評価を下しているわけです。
列伝をバカ正直に受け止めていては見逃すものも多いと思いますよ。

【2520】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 孫ぽこ  - 2006/9/25(月) 21:46 -

引用なし
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   >中根殿 
>猪武者などとは一言も正史に書いていませんが、他の武将と比較して考えた時に古参の類でありながら大軍を率いたこともなく、仮節もなく、太守でもない。
>そのような所を加味して単なる猪野郎という評価を下しているわけです。
>列伝をバカ正直に受け止めていては見逃すものも多いと思いますよ。

すいません。根本的なところなので一言。

貴方は【猪武者だ】と断定したから問題があるのです。

貴方が猪武者だと推測するのは全く問題ないですし、逆に陳寿三国志から【一かどの人物だった】と推測することもまた可能です。

ですから、私たちが断定して言えるのは【このように書かれている】という事実のみです。そこから先については推測であることを大前提にしなくてはなりません。特に人物評を巡ってはこうした姿勢が大切かと思います。

いろいろな行き違いのもとになることなので、その大前提は守っていくことが大切だと思います。

【2530】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
多分…  夏侯惇  - 2006/9/26(火) 20:22 -

引用なし
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   ちょいとばかし目に付いたので書き込みです。
 趙雲の伝に載ってるエピソードは、曹軍単騎駈けにせよ、何にせよ、評価されているのは「一身これ全て肝」の言葉通り、全て度胸の評価だけで、どこの誰かを大破した、討ち取ったというものでは無く、本当に三国演義に描かれているような、彼自身にせよ、彼の率いる部隊にせよ、その「殺傷能力」に関しては特筆されていないような気がします。
 これを書くと「大軍の中を突っ切るには、相当な武芸武術がいるだろ。」といわれる方もおられるでしょうが、果たして、特に攻めてきているわけでもなく、ただ単騎でそこらを駆けずり回っているだけの騎馬武者を、『劉備捕獲』が最優先の曹操軍が相手にするでしょうか?また、趙雲が突っ切ったのは、戦法の曹純、文聘らの軽騎兵数百のはず。単騎ならば、民家、丘、林、樹木などに隠れながら、少しずつ捜索する程度のことは、なんとかできるはずです。また、曹操本隊の大軍であったとしても数万の大軍が、劉備一人を探すのに、ひとところにまとまっているわけも無く、中核を除いては、無数の捜索部隊に分割して追撃しているはずです。
つまり趙雲はそのことを、長い戦場の経験で知っていた。
知っていても、ある程度の腕前と、物凄い肝っ玉がないと実行できるものではないでしょうが、演義であるように、数万が集中している陣営のど真ん中をつっきるという、いわば「匹夫の勇」を実行するのとを比べてみれば、自ずとその状況が分かると思うのです。
 従って、断定は出来ませんが、「敵を殺傷する目的」で、対呂布決死隊に参加し、いくつかの首級を挙げて帰還した典韋のようなそれとは、スケールダウンして考えるのが妥当じゃないかなぁ・・・と、某は思っております。

【2537】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 通りすがり  - 2006/9/29(金) 13:38 -

引用なし
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   横から失礼します。趙雲についていろいろと議論がなされているようですが、ペテン師様はその文章でなにを書きたかったのでしょうか?中根東龍様のレスに対する返答として書かれたのか、それともご自身のもっている知識を書きたかったのか。
ペテン師様の書かれたその返答には肝心な主旨が含まれておりません。それは泣き叫ぶ子供と同じです。


趙雲が猪武者かどうかについてあの時こうしたどうしたから猪武者だと言われていますが、資料や戦略を抜きにその当時の状況として考えた場合、戦場という人殺しと殺戮の場で実際に戦っていることを考えれば、彼も同じ人間ですので戦場ではその時その時の行動があるでしょう。それに対してあの時こうしたどうしたのは猪武者だといわれる方はその後の戦況がどう左右したかどうかということで語られているのでしょうか。ちなみに趙雲に任地が与えられなかったのは、私は孔明が手放したくなかっただけだと単純に思っております。

【2552】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
ひと言  叔嗣(しゅくし)  - 2006/10/13(金) 20:47 -

引用なし
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   こんな遅くにすみません。論点がずれている様なので一言。

>趙雲の武勇…ないっしょ。

これは個人的な武勇に関してなのか。それとも軍を率いた時の功績なのか。
書き方が短絡的なので、理解されにくいです。
人に説明するのだから、もう少し具体的に書きましょう。

たしかに軍を率いた時の功績は少ないですね。
それに個人的な武勇も、誰それを斬った等の記述もありませんね。

ですが、劉備の身辺警護を任されています。
特筆するような武勇は無いにしろ、関羽・張飛が納得できる
個人的な武勇は持ち合わせていたのだと推測できます。

呉での婚姻の時でも身辺警護を任されていたようなので
相手に失礼の無い行動が出来る礼節をわきまえ、
不測の事態にも対応できる人物と評価されていたのだとも推測できます。

簡単に「武勇は無い」と言い放つのは
あまりにも無配慮な事だと思います。


>趙雲別伝という『家伝』

別伝はあったのか無かったのか。
裴松之が伝に加えているので、
裴松之の時代には存在していた物だったのでしょう。

別伝が家伝かどうかは、わかりません。
どこから家伝であるという資料が出てきたのかわかりません。
人に教えるのですから憶測ではなく、
資料に基づいて詳しく説明しましょう。
田舎もの様は、「別伝」の存在を聞いているのです。
その質問に答えずに知識をひけらかすような事は慎んだほうが
良いかと思われます。

おそらく、「ゲームや小説のような趙雲を想像するな」と
言いたいのだろうと思います。
史書からどう読み取るかはペテン師様の勝手です。
ですが、その勝手な評価を他人へ押し付けるのはやめたほうがよろしいと思います。

正史をバカ正直に読めば、趙雲は許チョや典韋と同類だと思われます。
劉備の近衛隊長と思ったほうが自然ではないでしょうか?
そうであれば、地域の統括職に就く必要はありません。

【2564】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 巫俊(ふしゅん) WEB  - 2006/10/22(日) 17:42 -

引用なし
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   論点には関わらない(はず)ですが、思ったことを。

>ですが、劉備の身辺警護を任されています。
>特筆するような武勇は無いにしろ、関羽・張飛が納得できる
>個人的な武勇は持ち合わせていたのだと推測できます。

これは的を射ているものと感じます。
関羽・張飛の武勇は否定しようがないですから。
(関羽・張飛の武勇は相対的にどの程度のものだったかという推測では各人考え方が異なることと思います。)
納得していた可能性ですが、高いと思います。
張飛あたりが内心不満を思っていたりとか、「この〇〇が」と軋轢があったとか、あるいは時間の経過で「納得」度合いも変わってくるとは思いますが。
やはり、相対的に納得してたんだろう。というくらいしか分からないですよね。

>呉での婚姻の時でも身辺警護を任されていたようなので
>相手に失礼の無い行動が出来る礼節をわきまえ、
>不測の事態にも対応できる人物と評価されていたのだとも推測できます。

許チョの類であると想像すると、礼節があるってイメージがし難いですね(^^;
許チョのイメージに引きずられているからですが、
「礼節」となると、演義の趙雲のイメージに引きずられているんじゃないかということは再三思ってしまいますよ。

>簡単に「武勇は無い」と言い放つのは
>あまりにも無配慮な事だと思います。

ひとそれぞれの意見だと思います。
ペテン師さんのご意見は辛らつかもしれませんが、納得できなければ聞き流すこともできますし。
よく聞くと、趙雲に最低限の武勇があったことはペテン師さんもご同意のようですよ。
泡立てたものに泡立てると、もっと泡が立っちゃいます。

>別伝が家伝かどうかは、わかりません。

趙雲の縁者以外の人が、趙雲の事績を集めて書いたとしても、「家伝」と称することができるんじゃないですかね。

>おそらく、「ゲームや小説のような趙雲を想像するな」と
>言いたいのだろうと思います。
>史書からどう読み取るかはペテン師様の勝手です。
>ですが、その勝手な評価を他人へ押し付けるのはやめたほうがよろしいと思います。

ゲームや小説のような想像を持って正史の考察に入るのを、先入観と呼びます。
先入観で議論すると砂上の楼閣です。
先入観をもっている人が、辛らつな意見に反発しているという構図のようにも見て取れますが。
かたくかたく戒められることとは思いますが、小説と正史を比較するのは楽しいですよね^^(←はなしずれた)

>正史をバカ正直に読めば、趙雲は許チョや典韋と同類だと思われます。
>劉備の近衛隊長と思ったほうが自然ではないでしょうか?
>そうであれば、地域の統括職に就く必要はありません。

近衛隊長を将軍・司令官の類としてどう評価するかは、各人のご高見をお待ちしたいです。

【2565】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
多分…  徳本  - 2006/10/23(月) 23:52 -

引用なし
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   知識不足で込み入ったところはわかりませんが、
ちくま訳の正史三国志を読んで感じたことを記します。
もし誤認等がありましたらご指摘のほどをお願いします。


まず趙雲伝は関羽や張飛と同じ括りをされていますので、
程度の差はあっても蜀を代表する武勇があったのだろうとは思います。

ただ、趙雲の武勇を示す具体的な記述は本文中に見当たらず、
敵将と一騎討ちをした様子も特に見受けられません。
その代わり長坂橋では劉備を先に逃して甘夫人と劉禅の護衛を務めたり、
箕谷で囮部隊としての任務を受け持って被害を最小限に止めたなど、
どちらかと言えば冷静かつ粘り強い戦いぶりが特徴だと思います。
また、劉備の主騎となっていたことからも、
趙雲は信用のおける人物と判断されていたことだけは確かでしょう。
後の評価は『趙雲別伝』のエピソードですからこれら本文だけでみると、
典韋や許チョの同類とするのは流石に無理はあるかとは思いますが、
当時の武将としては平均以上の武勇を持っていたのではないかと愚考いたします。
(『趙雲別伝』が信頼における文献なら話は別でありますが)

ただ、指揮官として大軍を率いていたり政治に関与していたりはしないので、
優れた戦略眼や政治手腕があったかどうかは評価できません。
このことを「趙雲が劉備の身辺警護する人物としてうってつけの適性だった」
が故に大軍や政治運営に携らなかったのか、
それとも「武勇もあるし人格も優れてはいるが、それだけの人物」
であったかどうかは推測の域を出るものではないと思います。
(ただ、物語的には前者の方が面白いですよね)


> 近衛隊長を将軍・司令官の類としてどう評価するか
私個人の意見からしてみれば、
近衛隊長に最も求められるのは忠誠と滅私奉公の姿勢だと思います。
何しろ主君の命を守るのですから、私用や私利私欲を優先されても困ります。
また一般的に近衛兵の類は国内でも最精鋭の兵士で構成されることが多く、
これらを統括、指揮するに相応しい人格や能力は持ち合わせていないと厳しいでしょう。
ただ近衛部隊がどれ位の規模を持つかはピンからキリまでありますが、
三国時代における近衛部隊の規模がどれ程かはわかりません。

【2566】Re:いい加減なことを書くのはいけないです...
 たぬ  - 2006/10/24(火) 9:39 -

引用なし
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   >許チョの類であると想像すると、礼節があるってイメージがし難いですね(^^;

 を読んで、本当に人それぞれ考え方や見方が違うと感じました。

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