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▼TMKさん:
>私が聞いた話…といいますか、適当にネット上で拾い読みした情報では
>正史には孫権が「赤髯」であるとの記述があり、羅貫中の時代にはすでに異国の人が
>中華にも入ってきていて、赤髯で碧眼という異国の人を羅貫中も知っていた…
>そこで「孫権は赤髯である→赤髯といえば異人であり、青い目をしている」という
>連想から演義の孫権は碧眼に書かれたのではないか…という説が唱えられて
>いました。
>この説の真偽は分かりませんが、悪意を持って碧眼にされたという可能性も
>ありそうですね。羅貫中時代の中国で、碧眼紫髯の容貌が良い物と思われては
>いなかったのか。碧眼の異国人に対しては、どのように評価されていたのか
>などを調べて行けば、分かって来るかもしれません。
>調べるのは難しそうですが、考察の価値が多いに有りそうです。
陳舜臣氏の『中国の歴史5』(講談社文庫)によりますと、
元の時代の人種の順位は、
1 モンゴル族
2 色目人(モンゴル族以外の遊牧民、西域人、欧州人など)
3 漢人(金朝治下にあった漢族、契丹族、女真族など。北方人)
4 南人(南宋治下にあった漢族)
さらに漢族も十等に分けられ、その序列は、
1 官 2 吏 3 僧 4 道 5 医
6 工 7 匠 8 娼 9 儒 10 丐(かい、乞食)
と、儒は下から二番目らしいですw
陳舜臣氏を全て信用するわけにはいきませんが、一応参考までに……。
モンゴル族よりも、漢族のほうがはるかに人口が多いわけですから、これは分割統治政策です。
羅貫中が異民族を快く思ってないことは、十分考えられます。
それとも、孫権の碧眼は『三国志平話』にあるのでしょうか?
あるいは、講釈師の語りを聞いて参考にしたのかも。
このころは科挙も廃止されてるそうですから、そうした知識人層が小説家などになって、『三国志演義』や『水滸伝』などが生まれたらしいです。
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