|
こうしてみると1925年のテーラー英訳は研究テーマの宝庫かもしれないですね。
研究分野として
1C.H Brewitt Taylor氏自体の研究。
多忙な職務の傍ら、これほどの大きなことを成し遂げたテーラー氏
個人に対する研究がもっと進んでもいいかもしれません。来年は生誕
200年ですし。
2英訳そのものの研究
日本語訳、原文との対比による翻訳研究。ちなみにテーラー訳の1959年改訂版の
前文(Andrew Miller)には小川環樹訳の序文に関するコメントがありましたね。
------
It is, for example, the iealized Liu Bei in the novel who survives in the Chinese tradition even though, as Professor Tamaki Ogawa has pointed out in the introduction to his Japanese translation of the novel there is little if anything in the historical record to justify the gracious treatment which he has been accorded.
例を挙げるとすれば、三国志演義における劉備の理想化である。この理想化は中国社会には伝統的に根付いてしまっているが、小川環樹教授が氏の日本語訳の序文に述べているように、歴史の記録としてはそうした劉備の聖人君子的扱いを裏付ける根拠にははなはだ乏しいといえる。
------
3月締め切りの三国志学会の論文にこの膨大な研究テーマの取っ掛かりを
示せるといいですね。
|
|