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わかれ目
184/02
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(作品をお読みになる前に)このコーナーでは小説が完結するまで連載していくというコーナーではなく、実際の書きかけの小説を不定期に公開するコーナーです。新たに書きかけの小説を掲載する際にはそれまでの書きかけ小説をサイト上から消すという方式です。だから、誤字脱字があるかもしれませんし、ストーリー的に完成作品よりおかしいところが多いかもしれません
   私は常々、完成した作品、もしくは完成を前提とした作品(連載)を誰かに見せる以外にも、制作途中にある作品を見せる表現方法も「あり」かなと思ってました。そうすることで、より制作者の創作に対する思考過程に肉薄することができ、おもしろいかなと。
   このコーナーはその思いを試すという、私の中できわめて実験的なコーナーです。なので、コーナー自体、消えるかも知れませんが、しばしお付き合いのほどを。
   なお、ここに展示している作品はいつか完成させるつもりですが、完成した作品は二度とこのコーナーに戻ってくることはなく、どこかで公開されると思います。
   では、本編をごゆっくり、どうぞ。




   転がる死体。

   ここは人通りが多くないが、普通の通りだ。

   その背中に広がる赤い染みと、どこを見ているかわからない目以外は、生きている者と変わらない。むごたらしい。無実の罪かもしれないのに。
   転んだだけよ、と言いながら今にも立ち上がりそうだ。生きていれば、高貴な裳衣(いしょう)が女性を運んでいる、なんて思ってしまうんだろう。
   生きているのと死んでいるの、どこがわかれ目だ?
   実際、目にしていることなのにとても信じられることじゃない。

   私の目に、赤い染みが衣装の上でどんどん大きくなっている様子がうつる。


「よそ者か?」

   後から声をかけられ振り返る。そこには一人の男。私よりいくつか歳を重ねている。壮年だ。左手に刀を持っている。
   その身なりを一瞥すると、まず腰の位置から青い絹が目に付く。それは青綬と呼ばれるもの。
   男は朝廷(くに)の人間。しかも、高い官位だ。

「私が来たときから、そこに人が倒れてました」
   すぐに言い訳を口にしてしまうなんて、情けないが、あらぬ疑いをかけられ、いざこざが起こるよりましだ。

   男は片眉を上げる。
「わかっているよ。おまえさんが殺したなんて思っちゃいない。まだ、ここに死体を見て、驚き立ち止まる者がいたなんて思わなかったからな。珍しいもんだから声をかけた」
   そういうと、男は涼しげな笑みをみせた。

「話にはきいてました。だけど、いきなり死体なんて目の当たりにすると、見て見ぬ振りなんてできません」
   そう、話には聞いていた。私が京師(みやこ)を離れていたのは、たった二日。それだけなのに道ばたで遺骸が横たわっていても誰も驚きもしないようなことになるなんて。

「おまえさんも官吏(やくにん)だろ?   驚いている場合じゃないことはわかるはずだ」
   男は冷たく言い放った。
   男の言葉で思い出す。今、私もこうをつけている。ただ、男のように青綬じゃなく、黒綬。男の方が官位は高い。
「それはわかっています。私は諫議大夫という政治に大きく関わる官職です。だけど、実際に起こっていることを実感できずに良い働きができるとは思いません」
   私の言葉に、なぜか男は片方の口の端をあげ、静かな笑みをみせた。
「やはりおまえさんが朱公偉だな」
   男の口から出たのは私の名前。なぜ、私の名前を?

「儂(わし)は皇甫義真だ。実はおまえさんを探していた」
   何か言葉を返す前に、男がそう名乗った。
   私は男を知らないが、どうやら向こうは何かしら私を知っているらしい。
「なぜ、私を?」
   率直に思ったことが口に出た。なぜ名前を知っていたかより、この男が私を探す理由を訊くのが先になってしまったようだ。皇甫義真という名まえの男は表情を変えず口を動かす。
「まぁ、そう答えを急ぐことはない。今、京師(みやこ)の民衆は、死体が転がるような惨事が昨日までで、そしてここだけで終わりだと思っている。しかし、おそらく惨事のきっかけをつくったやつは、そうは考えていない。あちこちで死体が転がるような惨事が近いうちに、そう天下のいろんなところで起こると、確信している……」
   皇甫義真は内容の熱さとは裏腹に淡々と言葉をつむいでいた。だけど、いつまでたっても、疑問が晴れないような気がしたので、思わず口を挟んでしまう。
「まさか私がこの騒ぎに関係すると?」
   いらだちからか、思ってもないことが口に出た。だけど、それは皇甫義真に変化をもたらす。皇甫義真は淡い笑みをみせる。
「今はまったく関係しない。しかし、これから深く深く関係する。儂はそう考えている」
   またも謎の言葉。皇甫義真の意図することがわからない。
「私が惨事を大きくすると?」
   この皇甫義真という男はこの私を捕まえようとしているのではないか、いやもしかすると背後で転がっている女性の遺骸のように私はなるのかもしれない、そう疑った。そう思うと男の左手にある刀にどうしても目が行ってしまう。


   この京師(みやこ)で兵乱を起こし転覆しようとする集団がいる。
   その集団に所属する人を「角道者」と呼んだ。なんでも、張角という者が広めた「道」を信じる者たちらしい。
   そんな陰謀が明るみになったもんだから、私の居ない間、京師に住む「角道者」は身分、年齢、性別に関係なく次々と捕まり殺されていったそうだ。
   そのあげく、今、背後で転がる女性のように、その場で斬り捨てられる者も珍しくなくなった。


   私は「角道者」なんかじゃない、そう叫んでも信じてもらえないような緊迫した様子だ。
   武術のたしなみはそれほど私にない。ここは確実な手を選ぶべきだ。まず男の間合いの外へ出て、人混みに隠れる。まるで声がするかと感じるぐらい、心中でそう自分で自分に繰り返し言い聞かせる。その声と同じぐらい胸の高鳴りが聞こえる。

   男の口が動く。
「そう怖がるな。おまえさんを張角の一味なんて思っちゃいない。むしろ張角たちを倒す側だ」
   信じてはだめだ、そう私は思った。いつでも後へ跳べるよう、私は身構えている。皇甫義真はだまし討ちをねらっているのかもしれない。
「私は諫議大夫、文官です。倒す側に立つような武官ではありません。だから、あなたは私のことを知りません。口から出任せです」
   言葉で突き放した。

   皇甫義真はゆっくり穏やかに息を深く吸う。その間、奇妙な静寂が流れる。
「確かに今、おまえさんは文官だ。だが、おまえさんは三年前、軍を率い、南の辺境の反乱をしずめたはずだ。だから、儂の予測ではおまえさんが今回の反乱討伐の将となる」

   皇甫義真の言うとおり、私は軍を率いた経験がある。だが、私を捕らえようとする者なら、そんなことは当然、知っていることだろう。

   義真の眼差しはまっすぐこちらに向けられていた。一見、冷たさを感じるその目の奥に、確かに熱いものを感じ取る。そのため、目の前の男が妄言や嘘のたぐいを吐いているだけなど思えないでいる。
「私にはこの反乱がそんな大規模になるとは思えません」
   体の緊張はほぐれているが、まだ警戒をといたわけじゃない。

   義真は右手で私の背後の方を指さした。
   つられて後を振り返ってしまう。当然、そこには女性の遺骸が横たわっている。
   不意打ちかと思って、すぐに視線を義真の方へ戻す。
   義真はただ遠い目をしているだけだ。彼は重々しく一呼吸する。
「おまえさんを含め、京師の人々はあの遺骸を見て、ひとまず危険は去ったと思っている。だが、危険の種は消されていない。実は四方八方へ飛び去っている。やがてそれらの種は各地で成長し、ここへ帰ってくるだろう。もちろん危険を運んでだ。今度は角道者じゃなく、儂らが無惨に通りへ棄てられる番だ…」
   やがて義真はまっすぐこちらを見つめた。私は言葉を失う。義真は再び口をひらく。
「そんな簡単に危険が京師の城壁の内側まで来るなんて思わないだろう。ところが今、京師にはそんな危険を払う力がない。おまえさんも知っているだろ?   どれだけ腐敗して脆くなっているかを?   だからおまえさんみたいに実績のあるやつが真っ先に反乱討伐の将に選ばれるのが道理だ。おまえさんが京師のわかれ目を握っている」
   義真の力強い視線に射抜かれるような心地だった。

   実績があるとはいえ、私がそんな大それた役職になるなんて想像がつかない。それに同じ反乱討伐とはいえ南の辺境とは勝手が違うだろうに…
   それに義真はそういう予言を私に言って、何の得があるんだろうか。

   だんだんと心の中で感動より疑問が大きくなっている。だけど、それをうまく言葉にできない。
「あなたはいったい何を…」
   言葉が続かない。

「おまえさんのことは記録をみれば、おおよそわかる。だけど、この目で見てみたかったんだ、実際にどんな人物か……この京師どころか天下の安全を任せられる人物か」
   義真が口にした「天下」という言葉で、背中に悪寒に似た衝撃がはしった。義真は涼しげな表情でこちらを見守っている。やがて彼はまた話し出す。
「儂の言うことが本当かどうか、近いうちに嫌でもはっきりするだろうね」

   私は義真の言葉をいつの間にか信じられるようになっていた。




   慣れないかつ冠を頭に感じながら、廊下を歩く。確実に歩を進めているが、地に足がついていない感覚だ。まだ実感がない。
   いったい、いつからこんな感覚になったか、よく思い出してみる。
   官府(やくしょ)に戻る途中で、あの遺体を見てからだろうか、いや、きっと皇甫義真という男に会ってからだ。

「どうだ、かつ冠の感触は?   武官になったという実感があって悪くはないだろう?」
   皇甫義真の声だ。あのときと同じく背後からの声。彼と歩調を合わせるため、私は少し立ち止まり、また歩き出す。
「あなたの予言のとおり、私は高位についた。だけど、それはあなたが人よりものをよく知っていたからってだけでしょ?」
   私の口から突き放したような言葉が出た。こうしないと、まだ実感がわかないと思ったからかもしれない。
「安心しろ。別に恩を着せようなんて思ってない。ただ悪い方の予言があたったから、良い方の予言があたったんだけどな」




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