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制作ノート
020912
<<三国志小説とは。

   よく三国志ファンの間で、周瑜は美形だっていうのはほとんど定説化している。あと、孫策はファンにとってその性格に目がいきがちなので、あまりその容貌に触れられることは少ない。
   小説を書くにあたり、ここでちょっとした考察。
   例によって、伝承や演義の類は入れない。

   まず、周瑜の容貌が書かれている唯一(多分)の部分。

瑜長壯有姿貌。1)

   わざわざ史書に「有姿貌」と書かれているので、良い容貌だったということが想像できる。但し、その前の「長壯」(おおきくなると5))の部分があるので、その容貌はある種、後天的なものと私は連想した。なので、子供時代はそれほど、特筆すべき容貌じゃなかったのかと想像(言葉尻をとりすぎ?)。

   一方、孫策の方はと言うと……

策為人、美姿顏、好笑語、性闊達聽受、善於用人、是以士民見者、莫不盡心、樂為致死。2)

   まぁ、後半は孫策のまわりの人の反応が書かれているんだけど、前半はまさに彼の人柄や容貌について。
   ここで目を惹くのが「美姿顏」という文字。現代に生きる私にとって「美」という漢字は魅惑的。そうかそうか、美しい姿と顔なのか。

   で、この人は周瑜と違って、両親共々、史書にしっかり伝をたてられている有名人。で、この両親の容貌や性格などに関する記述を探ってみる。
   まず、孫策の父である文台さん(孫堅)について。

堅生、容貌不凡、性闊達、好奇節。3)

   容貌は「不凡」(非凡?)とのこと。
   こう書かれると、現代に生きる私は美しいのを想像するより、さきに変わった顔や姿を想像してしまう。んー、どうなんでしょう。
   次に性格。これは「闊達」とのこと。さっきの孫策の引用を見てもらうとわかるんだけど、この単語はそのまま孫策のところにも見える単語。
   つまり、孫策の性格は父親譲りって言えるんじゃないかな。

   逆に母親の方だと、

孫堅聞其才貌、欲娶之。4)

となる。ここで「之」は孫策の母親の呉夫人さんのこと。つまり、文台さんがその才覚と容貌のことをきいて、娶りたいと思ったそうな。
   まあ、文台さんの容貌は綺麗なのかどうかわからなかったけど、ここでの容貌は文脈からおそらく綺麗なんだろう。

   だから、孫策は母親似の美形なんだろうかと想像できてしまう。こちらは先天的な感じ。

   てなわけで、こんなことを想像しながら、小説を書くのでした。



1)   三國志卷五十四呉書九   周瑜魯肅呂蒙傳より。よくファンの間で言われている「美周郎」という単語はどこぞやの作家の造語だったときいたことが。   <<戻る

2)   三國志卷四十六呉書一   孫破虜討逆傳より。普通、容姿のこととか伝の冒頭にありそうだけど、これは伝の中頃にでてくる文。   <<戻る

3)   三國志卷四十六呉書一   孫破虜討逆傳で注にひく呉書より。「容姿は平凡じゃないよ」っていわれりゃ、「どないやねん!」の突っ込みの一つも入れたくなる清岡です。   <<戻る

4)   三國志卷五十呉書五   妃嬪傳より。「貌」はともかく「才」の方はその後の数々のエピソードで証明されている。   <<戻る

4)   三國志卷五十呉書五   妃嬪傳より。「貌」はともかく「才」の方はその後の数々のエピソードで証明されている。   <<戻る

5)   (2003年4月22日)。よそ様のサイトの日記を見て気付いたんだけど、これって筑摩書房「世界古典文学全集24c   三国志III」(いわゆる三国志邦訳本)準拠の訳だね。普段は筑摩を疑ってかかるんだけど、よっぽど、周瑜ファンが怖かったんでしょうか、私。これは再考の余地有り。。。(さらに追記)「壯」の意味が「大きい男」以外にも「若者、としざかり、三十歳」って意味があるとのこと。   <<戻る

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