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三国志小説とは。
020814
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三国とは。1)

   三世紀前半、今でいう中国の一部には、魏、蜀漢、呉という三つの国があった。
   単に国が三つあっただけではなく、最高権力者の「皇帝」が、それぞれの国にちゃんと一人ずつ居た。それまで皇帝は何人もいたけど、それは代替わりしてのこと。一時代(一代)において皇帝は世界に一人だけだった。「皇帝」が世界に三人も居たのだから、当時としては異常事態だったんだろう。その一度に三人居た時代、三国時代は三十年ぐらいしか続いていない。
   それぞれの国のはじめの皇帝三人は、イコール建国者だと言え、ある者は親の代や兄の代から国の礎を築いており、またある者は各地を流浪し一代で皇帝になっている。
   国号は、皇帝由来の土地(出身地)の名から名付けられる。
   曹丕が初代皇帝である曹氏は魏という地名を使い、孫権が初代皇帝である孫氏は呉という地名を使った。ところが、劉備が初代皇帝である劉氏は事情が違う。その先祖はそれより以前の国・漢の皇帝なので、自らは国号を「漢」としていたみたいだけど、他の国から、その勢力となる地域名より「蜀」と呼ばれていた
   つまり、三国とは、曹氏の魏、劉氏の蜀漢、孫氏の呉のことである。


三国志とは。

   国があれば、歴史がある。
   その歴史を現在の我々が知るには、史書を読む方法がある。
   現在、正統とされる史書(正史)の中で、この三国の歴史を知ろうとすれば、西晋の時代(三世紀後半)に生きた陳寿が書いた「三国志」を読むのが手っ取り早い2)。この日本語訳も発売されている3)
   三国志の特徴は、国別に史書が分かれていること。つまり、魏書三十巻、蜀書十五巻、呉書二十巻に分かれている。それぞれの書はそれぞれの国の名が冠せられているけど、国の歴史だけではなく、国ができるまでの歴史も書かれている。
   さらにそれぞれの書は、歴史の出来事が順々に書かれているというよりは、まず「伝」として人物ごとに分かれている。呉書で例えると、孫破虜討逆伝(孫堅と孫策の伝)、呉主伝(孫権の伝)……というふうに続く。
   後漢書や晋書など、他の正史を見てもらうとわかるんだけど、これらは(本)紀、列伝、志に分かれていて、三国志と異なる。私が受けた印象だと、紀が時間の流れ順に歴史の大きな出来事が書かれたもので、列伝が人物ごとに分かれた書かれたもので、志が天文や地理や風習など別に書かれたもののように思える。
   三国志は伝だけで構成されているように思えるけど、曹操の伝、曹丕の伝、曹叡の伝、曹芳・曹髦・曹奐の伝にあたるのが、それぞれ「武帝紀」、「文帝紀」、「明帝紀」、「三少帝紀」というように、「伝」という文字ではなく「紀」という文字が使われているので、これが三国志でいう(本)紀に相当するんだろう。これが三国志が正統とする王朝が曹氏の魏である理由の一つなんだろう。ちなみに「志」に相当するのは三国志には存在しない。個人的に三国「志」とつくのにおかしな感じがする。
   なお、三国志の注釈は宋の時代に生きた裴松之によるものが有名で、今、出回っている三国志のほとんどに、この注釈が加えられている。


三国志小説とは。

   三国の歴史が書かれた史書は三国志だけではない。魏略、後漢紀、華陽国志など、いろいろある。他にも真偽を別にすれば、民間伝承や講談など様々。
   三国志の情報を主にし、それらの情報をも基にし、あれこれ話を創作するのが三国志小説だといえる。
   そんな三国志小説の現存する中で最も古く最も有名なのが「三国志通俗演義」(三国演義とも呼ばれる)4)。元末明初(14世紀)に羅貫中という人によって書かれた小説だと言われている。
   小説なので、当然、虚構が混じる。それらの虚構は、史書に書かれた出来事を変質させることやオリジナルな部分を加えることなどで成り立つ。これらの虚構は虚構と認識されれば問題ないのだけど、どうも現状はそうではない。このことは少し後で述べる。
   日本で一番、ポピュラーな三国志小説は、この「三国志通俗演義」を基に吉川英治先生が1938年に日本で書かれた「三国志」5)である。文字や言葉の違いはあれど、三国志小説を基にした三国志小説なので、これは二次創作だといえる。余談だけど、日本で一番、ポピュラーな三国志漫画は、この吉川英治先生著の「三国志」を基に横山光輝先生が1972年に連載を開始した「三国志」6)である。これは三次創作だといえる。それらの伝統を踏襲してか、ドラマ、アニメ、ドキュメンタリー、解説、演劇、ゲームなどのさまざまなジャンルで、少なからず「三国志通俗演義」の要素を含んでいる創作なのに、「三国志」と銘打つことが多い。
   「三国志通俗演義」を基にした創作なのに「三国志」と名付けたのが大きく影響して、現在でも日本で「三国志」というと、「三国志通俗演義」そのもの、もしくは「三国志通俗演義」の虚構部分を含んだものを意味する場合が多い。それだけならまだましだけど、「三国志」と呼んでいることから、「三国志通俗演義」そのもの、もしくは「三国志通俗演義」の虚構部分を含んだものを中国の歴史と勘違いされやすい。
   話を本題に戻す。最近の日本の三国志小説は、依然、「三国志通俗演義」の二次創作的な部分もあるけれど、本来の意味での「三国志」を基にしようとする傾向がある。だけど、意識的にせよ無意識的にせよ、「三国志通俗演義」の要素を含むことが多いので、最近の作家は「三国志」メインというより「三国志」と「三国志通俗演義」を並列に用いているんだろう。

   と、難しいことを書き並べているけど、要するに清岡の三国志小説は、オリジナルな要素を含むけど、「三国志通俗演義」の要素を含まない、と書きたかっただけだったりして……


1)   これ以降、清岡の記憶を頼りに書いているので、間違えたことを書いているかもしれないので、注意されたし。   <<戻る

2)   舊唐書卷四十六志第二十六經籍上によると、同じ三国志でも、魏国志(魏書)は正史類に分けられているのに、蜀国志(蜀書)と呉国志は(呉書)は雑史類に分けられているのが興味深い。さらに新唐書卷五十八志第四十八藝文二では、三つとも正史類とされている。   <<戻る

3)   陳寿/裴松之著「三国志(1)」筑摩書房刊(ISBN 4480080414)を初めとする全八巻。たまに、「正史七巻に書いてある」というようにこの本を基に書かれることがあるけど、これはあくまでも訳書なので、そう言う言動は混乱の元。   <<戻る

4)   「三国志通俗演義」は訳書がいくつか出ている。そのほとんどが本編で後ほど述べるように、セオリー通り「三国志」と銘打っているが。例えば、羅貫中著、渡辺精一先生訳及び解説「新訳三国志(天の巻)」講談社刊(ISBN 4062048000)を初めとする全三巻。   <<戻る

5)   現在でもいろいろな出版社から発売されている。例えば、吉川英治先生著「三国志(1)」講談社刊(ISBN 4061965336)を初めてとする全八巻。   <<戻る

6)横山光輝著「三国志」潮出版社刊(ISBN 4267901015)を初めとする全60巻。これはコミックサイズだけど、他にも大判サイズや文庫サイズが発売されたようだ。       <<戻る

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