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気になるアイツ(![]() |
020616
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<<年表式作品リストとネタバレ年表 なんか、LOG内でまた妙なシリーズを立ち上げてしまう。 その名は「気になるアイツ」。三国志の人物の一人に着目し、語っていこうという、三国志サイトにはありがちなコーナー。ただ、私は小説を書く動機にすることが多いので、私の妄想を交えていこうかな、なんて思ってる。 まとまった数になったら、小説本編の方にコーナーを立てても良いかも。 さて輝かしい第一回は ![]() 「それ、誰やねん」って声が聞こえてきそうだけど、それもそのはず、正史には一切、名前が出ておらず、三国志呉書潘濬伝の注に引く「呉書」だけに名前が見られる。そこの記述には孫堅(字、文台)に従って功を上げたとある。続いて、 ![]() 孫氏三代に、まったく同じ血縁関係で各人物が仕えるなんてとても面白い。まさに「 ![]() で、今回はその初代(?)である ![]() いきなり余談だけど、この「 ![]() ![]() さて、 ![]() 玄字文表、丹楊人。父祉、字宣嗣、從孫堅征伐有功、堅薦祉為九江太守、後轉呉郡、所在有聲。1) つまり、 ![]() ここで、私は宣嗣が太守になっていることに驚く。 文台さん配下で文台さんの部下だった頃の出世頭は朱治(字、君理)と呉景(字は不明。孫氏三代では伯明と名付ける)。朱君理は督軍校尉になったし、呉景は騎都尉になっている2)。 太守といえば、その二人より位が高いので、今までの私の認識に修正を加えなくてはならないみたい。 そんなことより、私的に問題になるのは、それほど出世するのに、「孫氏三代」で未だに登場させていないってこと。では、早速、小説の設定(というか妄想・笑)を考え出さなくてはいけない。 まず、息子の文表が「丹楊人」(丹陽人)。だから、父親も丹陽県出身に違いない。 丹陽といって、思い出すのが、朱君理。彼は丹陽郡故 ![]() 「孫氏三代」では、文台さんと朱君理が会った3)のは、熹平元年(西暦172年)〜熹平三年(西暦174年)に会稽郡の妖賊、許昭が反乱を起こした時期4)にしている。このとき、文台さんは郡司馬で、朱君理は州の従事である。5) だから、「孫氏三代」で ![]() いっそのこと、 ![]() 宣嗣と君理の前に現れた文台は、彼らの目にはかなり生意気に見えたということにして、そこから物語スタート。「文台の初陣」の許昭討伐の軍議のシーンとシンクロしたシーン3)から初めてと……てな感じで次々と妄想が浮かんでくる。(この段落もすべて、あくまでも小説の話ですよ) と、まあ、清岡の小説のプロットはこのように出来ていく。 さて、 ![]()
1) 三國志卷六十一呉書十六(潘濬伝)の注に引く呉書より。ちなみに、筑摩書房「世界古典文学全集24c 三国志III」によると、この呉書は呉の史官・韋昭の紀伝体の書とのこと。 戻る
2) それぞれ、三國志卷五十六呉書十一(朱治伝)、三國志卷五十呉書五(妃嬪伝)より。この二人は正史で名前が頻繁に見えるしわかりやすいのだけど、宣嗣はあれだけ出世しているのにながないだなんて… 戻る 3) 「孫堅的世界」の挿話に置かせてもらっている小説「文台の初陣」での虚構。ただ、この小説は古くて小説設定と史書で食い違っている箇所が何個があるのでいつか訂正したいと思っている。 戻る 4) 許昭の反乱に関しては後漢書第五十八列伝四十八(臧洪伝)より。ここの文で他は不毛な妄想だけど、許昭の反乱は史書に載っている。 戻る 5) 朱君理が州の従事であったことは三國志卷五十六呉書十一(朱治伝)に見られるが、その時期は不明である。 戻る |
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