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私の苦労よ、さようなら |
020607
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<<小説ページをつくろう♪ 私はこのサイトを開設するずっと以前から、様々な三国志サイトへ行っていろんな三国志ファンと交流している。 今回の話はそんな交流の中で、今まで起こりそうで起こらなかったことだが、起こってしまったことの話。 後半、文章が多少、荒くなることをご了承、願いたい。 三国志にはいろんな顔がある1)。 大きく分けて、歴史の顔と虚構の顔。 三国志を遠くから眺めたことしかない人にとってその二つの顔は鏡に映った顔の違い以下で、まったく同一に見えるだろう。 だけど、その二つの顔どちらかを写生したり、愛して止まなかったりする人にとって、ジキル博士とハイド氏の違い以上にわずらわしく感じることだろう。 私はどちらかというと、後者。しかも、歴史の顔が好きなあまり虚構の顔が少しわずらわしく感じる方。かといって、虚構の顔が嫌いと言うわけじゃないけど(小説、書いてるし・笑)。 例えば、歴史の目元はタレ気味でおっとりしているのに、他の人から「歴史君って目が鋭くてステキv」とか言われると、少しひるんでしまう。「そりゃ、虚構君の方やっちゅーねん!」 まぁ、三国志があたかも多重人格ってのは一見問題があるようにおもえるけど、つきつめていくと、そこが彼の魅力の真骨頂であるような気がする。 それでも、三国志のいろんな顔をそんなに知らなくても、それがあるとわかっている人とは、そんなに話が食い違うことはない。お互い、何のことを言っているか、意識するもん。とりあえず、簡単にその人の知らない顔を教えてあげればいい。 一番、厄介なのが、一つの顔だけを三国志と思い込んでいる人。いや、「三国志って他にも顔があるんだよ」って教える人に少しでも耳をかたむければ済むことなんだけど。 今回のケースは自分を正義だと信じちゃっている人のお話。 ここからは、とある三国志サイトで起こったことに対する私の見解。話に偏りがでるかもしれないのはご了承、願いたい。 名前は伏せるが、とある三国志サイトの人気投票でのこと(知っている人にとってどこだかバレバレなんだけど・汗)。 その人気投票は一ヶ月や二ヶ月の期間で行われている。そのルールは投票者一人が決められた期間に最大何票かいれることができ、その期間を終えると、また、その最大何票かの投票権を得ることができるというもの。それが一ヶ月か二ヶ月、続く。 だから、ある三国志の人物をなるべく上位につかせようとすると、その期間を忘れずに根気よく、手持ちの票すべてをその人物につぎ込めばいい。またそういう投票する人が多ければ多いほど上位になる。 まぁ、ルールの詳細はおいとくとして、この人気投票は投票ごとにその人物が好きな理由とかコメントを入れられる仕組みで、それが大きな事の発端。蜀のある人物に熱烈に票を費やしている人のコメント群が発端だ。 情報の歪曲をおそれずに、そのコメントを一言に要約すると、 「関羽や張飛の仇である、卑怯な呉のどこがいいの?」2) というコメント。私は前述の「いろんな顔の話」を念頭においていたから、「こういう人って実際、いるんだなあ」と思うぐらいだったけど、当時、呉のとある人物が人気No.1だったので、その人物に投票する人々からパッシングの嵐。まあ、そのコメントを書いた人がいまいちルールを飲み込めてないのか、ルール違反の常習犯になっているってのも相俟ってのことなんだろうけど。その人は続けて 「蜀以外の人物に票を入れるなんて信じられない。呉の魅力を教えてくれ」 というようなコメントを横柄に入れ続ける(しかもルール違反で・汗)。 もちろん、常連さんのほとんどが、その人の態度に良い感情を抱くわけはないので、まともにこたえず、半数は感情的なやりとりに終始する。 そんな中で私は、コメントを出したその人が三国志の一つの顔しか知らないんだろうなあと判断し、まるで揚げ足をとるぐらい丁寧に、引用文献を明確にし、三国志の事実確認のコメントを書き続ける。その人と私との認識している三国志の出来事に大きな差がありそうで、通じる話も通じないと思い、回りくどいけど、三国志の事実確認をしていった方が早いと思ったからだ。 蜀のことは全然、詳しくないけど、こうなったら仕方がない。普段、読み慣れてない三国志蜀書を読みつつ、私はコメントの最後に皮肉っぽいことを書いてしまったけど、それ以外はまともなコメントをつらつらと書いていく。 しばらく、渦中の人は私のコメントを無視することなく反応してくれた(それまで人の話を聞かないという症状があった)。だから、さあ本番のコメントを書こうとばかりに、私は人気投票にアクセスした。ところが状況ががらり変わっていた。 その渦中の人は私のコメントのレスを最後に「論理のすりかえ」をした上、矛先を別のところ(人気投票批判)に移していた。当初、そんなことは一言もふれていなかったのに、まるでとってつけたように。もちろん、ルール違反は忘れていなかったご様子(笑) それより、呉の魅力はどこにいったんだー というわけで、その人に他にも三国志の顔があるんだよと聡そうとした私の苦労は露と消えることになる。 ある意味、今回のことはファンの間の三国志観のギャップを垣間見ることができ(極端すぎる例だけど)、勉強になったといえば、なったんだろう……なのかな?? その渦中の人の話はもっと続くんだけど、「論理のすりかえ」をされた時点で私は脱力してしまったので、自然、相手にしないようになる。やがて、その人は形式的な謝罪をした後にコメントを書かない宣言をし去ってしまう。(020610追記:去っていなかった) まとめて見ると、その人は「正義のヒーロー」ごっこをしたかったのだと思う。去る直前に、呉の人物以外に投票している人へ向けて、「後は任せた。頑張ってこの人気投票を変えてくれ」というような、まるで番組改編期に、死にかけの古いヒーローが次の新しい番組のヒーローに世界の平和を託すような論調の言葉を残していたことから想像してのことだが。 でも、ヒーローもの番組に必要不可欠な巨大な悪の存在は、その人の頭の中以外にあるわけはなく(断言)、後事を託された人は、さぞ困ったことだろう。 ともかく、はじめから無い悪の存在と戦おうとするあまり、その人はまず呉を悪にし、その次に呉の人物に投票する人を悪とし、またその次に人気投票自体を悪として、ほとんど言いがかりのレベルで毎回、我々はそのヒーローごっこにつき合わされていたということになる。もともと言いがかりだから、ヒーロー役の正義の論調は、当然、毎回、変わる(「論理のすりかえ」→物語の破綻)。それは、番組としては最低視聴率間違いなしの出来だろうけど。
1) 本当は「三国志という以上、魏書、蜀書、呉書から成る陳寿の史書しかありえない」と主張したいけど、それが現実にそぐわない「お子ちゃま発言」っていうことは重々承知している。それに私は裴松之注を含めて三国志と言ってしまうことが多々ある。ここでは三国志通俗演義やその他の創作群を含めた広義の三国志を指す。まぁ、三国志ジャンルとでもいうのだろうか。 戻る
2) ここに来るような方なら、ご存知のように、張飛は、歴史上、自らの部下に殺された。創作の中には呉の陰謀で殺されたというのもあるかもしれないけど、私は未だかつてそんな作品があるなんて聞いたことがない……そういえば、NHKの番組、「その時歴史が動いた 第64回三国志英雄伝」では、関羽と張飛は呉の裏切りで殺されたことになっていたが、まさかこれを元に発言しているのだろうか 戻る |
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