目をとじれば   一二歳
176-
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   がん。

   大きな音、それと一緒に俺の頭が大きく動いた。
   目を開ける。上体を起こす。暗いところ。
   だけど、左から薄明かりが漏れている。
   淡い。だけど、妖しく赤い明かりだ。
   そこへ目を向けると、明かりに浮かぶ影が……誰かの背中だ。
「父ちゃん?」
   俺の寝ぼけた頭でも、父ちゃんはもう居ないって知っていた。だけど、思った、あの父ちゃんなんだ、やっぱり死ぬわけないんだ、って。
   その背中。肩越しからこちらへ振り返る。
「目覚めてしまったか…」
   光を背に、その大男(おとな)は言った。
   似ているけど、父ちゃんじゃない、俺は、目頭が熱くなるのを感じた。
   その大男(おとな)は顔をむき直す。
「俺はおまえの父親の弟。従父(おじ)ってやつだ。俺は謝らない。韓家の血筋を残すにはこれしかない」
   従父と自称する大男の声は俺の耳で不気味なほど穏やかに響いていた。
   一体、何のことだ?   何が起こってるんだ?

   遠くから悲鳴が聞こえる。
   鬼気迫る声だけど、声がほとんど聞こえないぐらいに小さい
   その声が遠くから聞こえるからなのか。ここはどこだ?
「俺は、たしか家で眠っていたはずだ。朝一番に戌卒(じゅそつ)の手伝いに行こうと思って…」
   これは夢かもしれないと疑いながら、俺は言葉をつないでいた。
「言わなくても知っている。俺が眠っているおまえを連れ出したからな」
   従父は声からは言葉の意味以外、何も感じられなかった。

   俺はいらだち立ち上がる。
   そうすると、足下から揺れに揺れていることに気付く。
   ここは輿車(ばしゃ)の中か?   そう気付く。
   幕の向こうに、すぐ知りたいことがあるんだ。
「もう動き出している。おとなしくしておけ」
   この従父、姿だけじゃなく、声までそっくりだ。暗闇の中、まるで父ちゃんが言い渡されたようだ。
   だけど、じっとなんてしてられない。
   こんな理不尽なことでじっとしとくのが大男(おとな)なら、大男なんてなりたくない。   大男の言うことに怖じ気づいて、輿車のはしで縮こまっているほど、小男(こども)じゃない。
   俺は、もう十二だ。
   大男は笑うかも知れない。だけど、俺の中で十二歳は立ち上がるときなんだ。

   俺は片足を一回ずつ動かして、幕を払う。
   そうすると、外の全景が見える。
「嘘だ!」
   俺の喉から叫びが飛び出た。俺の目に信じられない光景がうつっていたからだ。

   遠くで燃え上がる県(まち)。
   暗闇の虚空を焦がそうとする勢いだ。
   そして、変わりゆく県の姿だけど、俺にはわかった。あれは俺が昼にいたところだって。
   俺の目を覚まさずに、この従父はここまで運んできたんだ。
   まったく、わけがわからない。
   なんで、こんなひどいことするんだ。
   これじゃ、家族や県の人を守る機会をはじめから奪われたってことじゃないか。
   これじゃ、俺は嘘つきだ。

   いろんなのが俺の心で渦巻く。
   だけど、どんどん県城から離れていく。

   手遅れになる!

   そう思うと、動いている輿車(ばしゃ)から飛び降りて走り出したくなった。
「行くな」
   その声とともに従父に左肩を捕まれた。左肩が痛い。
「はなしてくれ!   俺は行くんだ!   助けに行くんだ!」
   俺がいくら払いのけようとしても、従父はびくともしなかった。岩のように座ったまま。
「おまえまで亡くなってしまったら、韓家が滅ぶ。それがわからないのか」
   従父は俺に見上げていた。その眼光が直に俺を射抜いている。
「俺の母、弟や妹はどうしたんだ?」
   わずかな望みを俺は確かめようとした。従父は表情を変えない。
「わからない。だが、望みはない」
   従父の口調は嫌になるぐらいはっきりしていた。これじゃ、聞き間違いはありえない。疑いようがない。
「なぜ、俺だけ助けたんだ!」
   俺は怒った。俺は左手で従父の右腕をきつくつかむ。こんな腕だったら壊れてしまえとばかりに。
「仕方ない。おまえをここまで運んだあと、不覚をとった…」
   従父は言葉を詰まらせた。やっぱり、この従父は自分の命惜しさに逃げたんだ、と俺は怒りをつのらせる。
「不覚ってなんだ!   こんなに俺を強く握っているのに!」
   きっ、と従父をにらんだ。
   従父は表情を変えない。ただ、視線を俺から下に移す。それは自らの左太股を見ているようだった。

   俺は、はっ、となる。
   遠くに燃えさかる炎、それに星や月、それ以外、辺りは暗闇ばかりだ。それでも、俺の目にはっきりうつっていた。
   従父の右太股が血の色に染まっている。
   とっさに従父の顔を見る。俺の眼差しの先には顔色を変えない従父の顔がある。その口だけが動き出す。
「仕方なかった…おまえを輿車に乗せた後、鮮卑の兵卒の不意打ちをくらった。なんとか、そいつを倒したが、もう歩ける状態ではなかった。儂には従者一人しかいなかった。だから、もう輿車で立ち去るしかなかった…」
   従父の言葉に何の感情も込められていないと思っていたけど、いつのまにか、声が震え始めていた。

   従父に怒りを向けるわけにはいかない。

   俺はそう思った。そしたら、今度は俺の不甲斐なさに怒りが向くようになっていた。
   鮮卑が近くまで現れるようになって、俺が家族を守ると常々、言っていた。だけど、どうだ、自分だけ、のこのこと生きているじゃないか!
   言ってみれば、俺が家族を死なしたようなものじゃないか。

   俺はその場にへたり込んだ。
   従父の腕から力無く離れた。
   喉から声が出てきそうにない。

   もう遠くて見えないはずなのに、目を開けていると、見えるような気がする。母ちゃん、弟や妹たちが飢えた敵の手にかかるのを。
   だから、目を開けてられない。遠くの炎さえ痛いぐらい眩しく感じる。

   俺は目を両手でおおうだけじゃなく、目を堅く閉じた。